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羽根突律編:第三話 ノラクラ

 パイプ椅子を清掃する作業参加者は俺たち二人だけだった。内容としては非常に簡単だったが、とても単調で、さらに場所が悪かった。三十度を超えているだろう体育館内は窓を開けても意味はなく、サウナのように暑かった。

「バスケ部ってこんな熱いところで練習頑張っているんですね」

「あぁ、そうだね」

「バレー部の女の子の胸、見ました?」

「いいや」

「見ないと損ですよ、あれ」

「ほぉ、そんなにか?」

「そんなにです。ジャンプしたときにあんなに胸って揺れませんよ。マシュマロか何かでできてるんじゃないですかねぇ」

 それはお前さんがないだけじゃないかなと思ったが答えないでおいた。

「なんですか、その顔は」

 りっちゃんは軽く怖い笑顔を俺に向けてきたので伝わっているのだろう。

 おっぱいは脇に置くとして、今は真面目にボランティア活動をやっている。一部鈍色のパイプ椅子を古ぼけたタオルで拭いているが、効果はあるのだろうか。

 清掃だけではなくてあまりに古臭くなったり、クッション部の破損がひどいものは廃棄分としてまとめてくれともいわれている。

 清掃と言うよりは点検に近いのかもしれない。

 バレー部の上下する鋭いおっぱいスパイクを横目で見つつ、パイプ椅子をしごく。りっちゃんは暑いだなんだ、バスケ部のエースが格好いいなどとさぼり気味……というより完全に手を止めていた。。

 それでもまぁ、単調だが簡単な作業は時間があればいずれは終わる。

「こっちのまとまりは今ので最後だね」

「冬治先輩って文句言いませんよね」

「ん? 文句?」

 どういう意味だろうかと首をかしげてしまう。

「文句を言っても始まらないし、参加表明をしたのは俺だからな」

「……それでもまぁ、自分の責任じゃないのにこうやってボランティアするのって面倒くさくないですか?」

 つまらなさそうに目を細め、古ぼけたパイプ椅子の端をつかむ。

「まぁ、そうかもしれないが……文句を言う割にはりっちゃんだって参加しているじゃないか」

「さぼってますけどね」

 そういって手を広げて見せる。汗でシャツが少し透けており、下着が見えた。

 あのサイズで、ブラって必要なのかね。

「あの、冬治先輩?」

 いぶかし気な視線を向けられたので咳ばらいをする。この子は下着を見られても文句を言わずに逆にほれ見ろ、さぁ見ろと言わんばかりの態度をとってきそうだ。

「なんでもない。りっちゃんが本当にさぼりたいのなら、涼しい場所でさぼることもできるがそれをしないのは俺に悪いと思っているからだろ? 実際、暑いのは確かだし、運動していないからと言って舐めてたら熱中症になるぜ?」

「それは大丈夫です。冬治先輩がしっかりとお茶やら塩飴を準備してくれていますから」

 ほかにもタオルや保冷パックを入れたクーラーボックスも持ってきている。あとは温度計と、三十分ごとにタイマーを設置し、それが鳴ったら仮に喉が渇いていなくても必ず水分補給を義務付けた。

「これで足りるかどうかはわからないから気分が悪くなったら横になっとけよ。アイス枕も準備している」

「準備しすぎで逆に怖いっす」

 りっちゃんと話している間も俺は手を休めずに進めている。二人でやった量が少ないと学園側にも悪いからしょうがない話だ。りっちゃんはこの手の作業を苦手としているだろうし、ここは俺が頑張るべきだろう。何せ、自分のことだし、後輩女子に頑張る姿を見せるのもいいじゃないか。

 俺の頑張りをすげぇかわいい女の子が影で見ているかもしれない。誰が見ているかわからないのだから、そんな下心のためにやるのも悪くない。

「怒ってもいいんじゃないですか」

「なんにだ? 誰かにか?」

「はい」

「……その誰かはどこにいるんだ」

 どことなくそれはりっちゃんに似合わなさそうな後ろ暗い感情のように思える。もっとも、人間だれしもそんな一部を持っているものだし、出会って大した年月が経っていない相手に対して心の闇がどうこういうのもおかしなもんだが。

「私ですよ」

 彼女は自身を指さした。

「私が新聞部に適当に伝えなければこんなことをしなくてよかった。私がふざけなければ先輩は今頃学園の女子にもてもてでしたよ?」

 いや、下着泥棒の猫一匹を捕まえてもそんな展開には絶対にならないから。宝くじが当たるよりあり得ないから。

「仮定の話はあまり好きじゃないけど、仮に俺がりっちゃんに怒りをぶつけても誰もプラスにはならないからな」

 想像してほしい、年下の女の子をてめぇのせいで俺の評判がたがたなんだよ、どうしてくれるんだよって。もし、このうわさが広まったらさらに俺の評価は下がること間違いない。さっきも言った通り、誰がどこで見ているかわからないので考えすぎかもしれないがうかつな行動は出来ないもんだ。

「でもですね、やっぱり何かやるべきじゃないかと」

「だからこうしてボランティアをやっているだろう?」

「いえ、そうではなくて私に対してです」

 そういってかなり顔を近づけられた。何か期待している節がある。

「お前さんはお仕置きしてほしいのか」

「はい」

 冗談を言ったら真面目に返された。

「冬治先輩って近づこうとすると割と逃げていくタイプの人じゃないですか」

「俺が? 男、真白冬治逃げも隠れもせんが座右の銘だよ」

「えー、嘘だぁ。たまに、友達でもいるんですけど仲良くなろうと距離を近づけるとすすーって離れて行っちゃう人がいるんです」

 そんな人間は割と多い。必要以上に相手に踏み入ってほしくなく、その条件を守ってもらうために相手とより仲良くなるための距離には近づかないなんてやつが。

 まぁ、それを直接言ってくる人はいない。たいていの人はそのことに気づいて距離を一定に保ってくれる。

 人は近づきすぎると相手のことも、自分のことも見誤ることがある。感情に振り回されたくない人間が、無意識的にそういった行動をとったりするんじゃないかと俺は思う。

「まー、あれじゃない? 知り合って数か月ならこのぐらいの距離感が妥当かと」

「そういう自分のことなのに他人事なところもどうかと思います」

「今日はやけに食らいついてくるね」

 ちょっと恨めし気に相手を見たが、その程度でひるんでくれる相手じゃなかった。真っ向から俺を見てくる。

「はい、今日は逃がしませんよ」

 一体何が彼女を駆り立てるのか、想像してみたが答えは出なかった。もしかしたら、七色先生と話していた内容を全部聞いていたのかもしれない。

 効果がないって意見を伝えなかったから少し怒っているのかもしれない。

「わかった、お仕置きのことは考えておくから今は手を動かすか、涼しい場所に行って涼んでくるといいよ」

「そうやって直接言えないところが冬治先輩の長所であり、短所ですね。何でもかんでも、わかった風に言うのはやきもきさせます」

 気づけば後輩女子に壁際まで押しやられていた。真正面から相手にぶつかったり、意見を言うのはその後のことを考えると面倒なので忌避した結果がこれである。

「中には正直に言ってほしいっていう人もいるんですよ。言葉で伝えなきゃ、伝わらないこともあるじゃないですか」

 正論だ。

「……そうかい、それは失礼したね」

「言ってください」

 後輩女子にこう責められては仕方がない。俺はいったん、相手の肩を押して離れるよう促したが、相手はより顔を近づけていた。これで相手の顔が普段通りにしまりのない緩んだものならさすがの俺も力を入れたが、真面目な顔をしている。

 こいつ、こんな顔もできるのかと素直に驚かされた。

「俺はボランティアをした程度じゃ、イメージアップにはならないと思っていたよ」

「……なんであの時に言ってくれなかったんですか?」

 どこかすねた感じのほっぺを引っ張ってやる。

「代案がないし、こう自信満々に言われちゃしょうがないさ。それに、りっちゃんが真面目に考えてくれたことだ。普段は面倒くさがるだろうにこうやって真面目に参加してくれたし、結果はどうであれ、いい思い出になると思ったんだ……恥ずかしいから、こういうことを言わせないでくれ」

 恥ずかしさを誤魔化すためにほっぺを少しだけ強く引っ張った。

「ひゃあ、ひひますが」

「ああ、なんだ」

「わはひをふひかひらひかでひっはは、ほっひへふか?」

 俺はさっきのりっちゃんの言葉を思い出した。

「嫌いだよ、このお調子者め」

「ふへっ」

 緩んだ頬を開放すると、手によだれが付いた。

「素直じゃないですねぇ」

 おそらく俺らの姿はさぼりとしてとられるだろう。お腹の上に女子をのせて、ほっぺを引っ張っていたし、いまじゃ俺の上でくつろいでいる。

「言葉で言わなくたって、伝わるときは伝わるもんだ」

「相手に任せっきりのコミュニケーションはどうかと思いますよ」

「わかった、今後はりっちゃんとは真面目にコミュニケーションをとるよう努力する」

「……約束ですよ?」

 俺の両頬を彼女が引っ張っていた。すべてを見通すような眼は、しっかりと俺の両眼をとらえて離さない。

「わかったよ」

「あ、それとお仕置きもしてくださいね。けじめをつけなきゃ気持ちが悪いんで」

 そういって俺の上から降りた。相手の思惑通りに事が進んだような気がして久しぶりにイライラしてしまった。

 そんな顔を見られたくないので、そっぽを向いて手で相手を払う。

「ったく、あとできちんとお仕置きしてやるからどっかでさぼってこい」

「わかりましたー」

 そういってどこかへ行ってしまった。

 戦力的にいても居なくても(いたら集中の邪魔になるのでいないほうがいいかもしれない)どっちでもいい人材なので気にはならない。このままいても、また何かしらのちょっかいを出してくることだろう。

 正午になって、その日のノルマは達成した。

「……さぼってこいと言ったが、まさか帰ってこないとは」

 結局、りっちゃんは帰ってくる気配がない。携帯へ連絡を入れようかと思ったがやめておいた。

 一人で片づけを終え、用務員の人に終わったことを告げたら感謝された。

「いやぁ、君、やるねぇ」

「はぁ、どうも」

 用務員のおっさんの好感度を上げても意味などなさそうだがイメージアップにはなっただろう。

 結果的にプラスになったかどうかはわからないが、人助けにはなったはずだ。もしかしたら用務員のおっさんが世界の頂点となり、俺を優遇してくれるかも。

「いや、ないな」

 他力本願はよいことだろうが、あいにくこの学園にいる間はあり得ないだろう。よくて女子更衣室を覗ける場所を教えてくれる程度。そう考えて自分の行為が無駄ではなかったと言い聞かせてみたりする。

「これもまた、ばれたらイメージダウン間違いなし」

 というか、退学案件だな。

 気持ちを切り替え、今度はプールへと向かう。室内プールへと続く渡り廊下を歩いていると見知っている男子部員とすれ違った。

「お疲れっす」

「お疲れー」

「お、真白じゃんか。お疲れー」

「お疲れ」

 連中はとても学生とは思えない身体づくりで身長は二メートルあり、筋肉はもりもり。男子水泳部はもともとボディービルダー部から始まったそうで、その筋肉を何かに行かせないかと言う事で水泳となったらしい。合法的に半裸になれると言う事で選ばれたそうだ。一時期は陸上部になっていたそうだが、ブーメランで走っていたら苦情が来たそうだ。

「お、冬治君じゃないか」

「ども、新部長」

 男子水泳部の部長に会う。えぐいブーメランパンツに黒光りした筋肉はちょっと近づきづらい。ちなみに三年生の水泳部員はすでに引退しているため、二年の新部長が屈強な水泳部員をまとめ上げている。男子側はさっさと二年の新部長を指名して勉学に励んでいたが女子の部長は夏休み前にあった規模の小さい大会で優勝していた。

「どうだい? 男子水泳部に……」

「ないない、自分のことや周りのことで一杯だ」

「むぅ、あの事か」

 当然、同級生のために壁新聞のことはしっているし、噂のことも知っている。

「俺らが好き勝手暴れて、筋肉のすばらしさを広めようか?」

「話が変わってきてるぞ」

 前回の部長も脳みそまで筋肉でできているタイプだったので面倒だったが、次の部長もあまり変わらない気がする。

「まぁ、あれだ、俺らも心配しているんだ。何か力になれることがあるのなら遠慮なく声をかけてくれよ」

「……ああ、ありがとな」

「おう、と言うわけでこれが入部届だ」

「入るわけないだろ」

「ちくしょーっ、いけると思ったのに!」

 そういって俺に右手を挙げてプールへ飛び込んでいった。あの人のバタフライは何度見ても溺れているようにしか見えない。

「……俺らも、ね」

「あ、冬治先輩」

 次に声をかけてきたのは左野だった。頭からつま先へ、途中何かにくぎ付けになることはなかった。

「パイプ椅子、どうだった? リッキーが戻ってきたから案外早く終わったのはわかったんだけど」

「りっちゃんこっちにいたのか」

 まぁ、涼しい場所っていったらプールだよな。水泳部だし。まぁ、水分補給を忘れていたらプールでも熱中症になるけどな。

 さぼってこいと言った手前、何か言える立場でもない。

「内容自体は難しいものじゃなかった。量が多いだけだな」

「そっか」

「それより、今はみんなのタイムは左野が計ってるのか」

「うん」

 左野は水泳部員だが泳げないらしく(泳げるようになるために水泳部員になったそうだ)、よく雑用みたいなことをしていた。

「スポドリはもう作ったのか?」

「えっと、うん、もう少なくなってる」

 こっちにやってきたりっちゃんがぐいぐい飲んでそうだな。

「んじゃ、俺が改めて作っておく。そういえばコースロープを新しくするって言ってたよな? 備品申請依頼書はもう書いたか?」

「えーっと、新部長が言ってたかも」

「田所か。おっと、部活中は部長と呼べって言ってたっけ。気を付けないと……田所は午前中、確か歯医者だったな。親知らずがどうとか……親知らず抜いて泳げるんかね。部長になって間もないから気負ってそうだ。それとなく注意しとかないと……」

 親戚の兄ちゃんが言っていたけど、あれは抜くとすごい痛いらしいが、人によっては全然問題ないらしいな。なんでも、生え方が悪いと痛いらしい。

「ちょっと連絡とってみるかな。そういえば、体調を崩している奴はいないか?」

「う、うん、こまめな水分補給は言ってるよ」

「なんだ、どうかしたのか?」

 後輩女子に引かれているように見える。

「よくそこまで考えられるなって」

「特に何も考えてないぞ。それに、俺は部活をやっているわけじゃないから」

「そうは思わないけどなぁ」

 水滴を滴らせてりっちゃんがプールから上がってきた。彼女には悪いが、なんだか半魚人が海からやってきたようなイメージをしてしまった。

「すでに女子水泳部は掌握されているというか、ロクヨンスプレーを備品で通した男としてリスペクトされてるし」

 ロクヨンスプレーとは制汗スプレーの一種で、これは前部長の功績も大きい。小さな大会ではあったが、彼女が活躍してくれたおかげで備品として申請してもオーケーだった。理由は彼女が汗臭いと男子生徒に言われてショックを受けたことによる。そこをついて教師側を説得することに成功したのだ。まぁ、汗臭かったのは事実だが。

 りっちゃんを交えて話をしていたら新部長となった田所がやってきた。

「よぉ、新部長。歯の具合はどうだ?」

「真白、悪いんだけどちょっと二人っきりで話したいことがあるから来てくれる?」

「もしかして愛の告は……」

「ないない」

「本当、ありえないない」

 後輩二人に手を振られて呆れられた。ひどい二人だ。

 俺は手を引かれ、女子更衣室へと連れていかれた。

「お前さん、どういう了見だよ」

 男子生徒と二人きりで女子更衣室っていかがわしい想像しかできないよ。

「単刀直入に言うけどね、明日から部活に来ないで」

「……え?」

 いかがわしい想像をしていたからか、予想だにしない言葉が耳に飛び込んできた。


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