上条龍美:第八話 とんとん拍子の罠
夏休みに突入して俺は毎日龍美の部屋に向かっている。すでに、夏休みが始まって一週間程度経過している。
これが愛をささやくバカップルの巣ならよかったのだが、あいにくと言ってそういう優しいものではない。
冷房の良く効いた部屋でやっていることは健全な勉強である。
「疲れたよぉ、世界史なんて覚えたくないよー」
「追試を受ける羽目になったお前さんが悪いんだ」
「本来なら追試って夏休みに入る前にやるもんでしょ」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そこは学園側に聞いてもらわないと、俺に聞かれたってわからない。
「ほら、黙って先生から渡された問題集を解くんだ」
「うー……冬治君が厳しぃ」
そりゃそうだ。なぜなら、先生に俺は教えられたのである。
もし、追試がだめだったとしてもこの問題集を最後までやってくれば温情采配をしてあげるよと。
龍美のことを信用してないわけじゃないが、保険は掛けておくに限る。あり得ないとは思うが、留年になったら嫌じゃないか。
「頭の中がパンクしそう。人間の集中力って、ずっとは続かないらしいよ?」
上目遣いの龍美を見ていて軽く心がときめいてしまった。
「……そうだな。じゃあ、休憩するか」
なんだかそれが、勉強するにおいて不純なものだったのでばつが悪くなった。
「本当っ?」
机に頭を突っ伏していた人間が、すぐさま元気になる姿を見ると怪しいと思ってしまう。
こいつは本当に真面目に勉強をしていたのだろうかと。
ただまぁ、軽く龍美に劣情を抱いてしまっただけに何か言う権利はないな。
「冬治君的に気になる女の子と一緒にいるとどんな感じがするの?」
そして意外と勘が鋭いらしい。それでも、俺は顔を能面のようにして龍美を見る。
「うれしいはうれしいが、追試を受けていない状態なら尚よかった」
「うっ……」
休憩中なのに精神的ダメージを与えてしまった。
「すまん。一緒に入れてうれしいよ」
変に溝を作ってしまうのはよくないな。謝るべきところはきちんと謝らなければ。それが自分の気持ちを知られたくないのならなおさらだ。
「冬治君が、優しい……」
「俺は優しいぞ」
「嘘だぁ。だって、夏休みに入ってこれまでやってきたことを思い出してよ」
これまでやってきたことか。
「……お前さんの課題を見ていた。俺、優しい」
もちろん、一緒に勉強していたおかげで俺の夏休みの友も終わりが見えた。
「相互理解の必要アリだよっ。結構厳しめだったし。なんっていうか、触れそうでいて触れられない距離感の中、二人っきりだねと言ったわたしにたいして冬治君はどう返したと思う?」
「確か、みっちりお前さんを教育してやるだったかな」
「そう、それ! 問題発言。R18だよっ」
人差し指をびしっと突き付けて俺をにらんでくるが褒められるのは当然として、こうやって批判されるのは違うと思うぞ。
「何言ってんだ。みっちり龍美の頭に世界史を叩きこんでやったろ」
「スパルタ。飴と鞭って言葉知ってる?」
「知ってる」
「じゃあ、鞭が欲しい」
「……え」
直球なお仕置きプリーズという言葉を聞いて固まってしまう。叩かれてもあまりいたくない鞭をどこで購入して来ればいいのだろう。
「ごめん、間違えた。飴が欲しい」
「塩味の飴をあげよう。夏にぴったりだろ……いたっ」
手で叩き落とされた。
「今日さ、夏祭りがあるでしょ」
「あるな」
「一緒に行こうよ?」
「んー、いいけど。それがお前さんの飴になるのか」
やっぱり、一度鞭で叩いてみるのもいいかもしれない。
「うん。あ、ちなみにお昼から行動開始だからね?」
「……わかった、いいよ」
本当はもう少し勉強させたかったんだけどな。根詰めてやったところでもう頭に入らないのだろう。
「久しぶりに食玩もみたいし」
「オーケー、じゃあこれから昼飯を食って遊びに行くか」
「遊びに行くんじゃないよ。デートしに行くんだよ」
「デートね」
「ねぇ、冬治君」
「ん?」
「わたしさ、女の子らしい趣味してないけど……いいのかな」
「なんだ、告白か?」
「うーん……ここでもいいなら今からするよ」
その言葉にドキッとする。どこまで本気なのかわからない。
「お前さんの好きにしろよ。待っててほしいって言われているんだから、俺からは言わないし、いつまでも待っててやる。もっとも、夏祭りに行くのなら、いいムードの時にしたほうがいいだろ?」
「でもさ、答えを知ってて告白するのってなんだか違うと思うけど」
その言葉に俺はにやっとする。
「わからないぜ? 俺がふるかもしれない」
「うっそだぁ……こんなことしても冬治君は嫌がらないでしょ?」
そういって俺の唇に龍美は自分のそれを重ねた。
拒絶することなく受け入れ、俺は龍美の肩を引き寄せる。
「……お前さんな。まだ付き合ってもないのにこういうことをするのか」
「ダメ? 冬治君って形式にこだわるの?」
少しうるんだ瞳でこちらを見上げてくる龍美に俺は首を振る。
「ダメじゃないさ……でもよ」
「あのね。ムードなんて関係ない。わたしは冬治君がいればそれだけでいい」
「俺だけ? はは、食玩も必要だろ」
「うん、それとこれとは別枠だから」
え、何それ。女の子は甘いものになると別腹みたいな感覚でさらっと流された気がする。
「冬治君がどうしてわたしを好きになってくれたのはわからない。それをいつか聞いてみたい気もするけど、今はいいんだ。これからは先のことを二人で考えたい」
「これから先のこと?」
「恥ずかしいことを言うけれど、なんっていうか……け、結婚を考えているレベル……なんです」
最後は敬語になって俺を上目遣いに見てきた。はたから見たら笑っちゃうような子供っぽい言葉かもしれない。
「どうすればいいのかわかっていないから二人で考えて過ごしていきたい」
「龍美の考えはわかったよ。でもよ、俺たちはまず何をすればいいんだろうな?」
「うん、そこらへんは大丈夫。まず、やってもらいたいことがあるから」
一体、なんだろうか。
二人の気持ちはもう確かめ合った。次は目下の問題である追試の件だろうか。
そんな軽いことを考えていたわけだが、幸せそうに微笑む龍美の口から爆弾が発射される。
「わたしのお父さんに会ってほしいの」
「……マジで?」
まさかのお願いだった。
そして、その日の夕方から夏祭りへと向かい、結果を言うとまったく楽しめなかった。金魚すくいや射的をした程度で、お腹にたまるものは口にしなかったのだ。龍美が控えてねと言っていたので、我慢したのである。これほど緊張する夏祭りも初めてだった。
何せ、夏祭りが終わった後に龍美のお父さんと会うことになっている。
「すっごい汗だけど大丈夫?」
「……いや、ね。まさかキスしたその日にお前さんのお父さんに会うことになろうとは」
「ねね、そんなことより浴衣姿」
そういってその場でくるりと回る。紫と黒の浴衣姿はばっちりだった。うなじなんてどこがいいんだとこれまで思ってきたが認識を改めたいと思う。
ああ、こうやって俺は大人になっていくのだろう。
「どうしたの? 見ほれちゃって」
「ふっ、俺の彼女は最高だなと」
「やだもうー」
「……まぁ、こうやって現実逃避しているんですけど、ちらつくのはお前さんのお父さんだわ」
おう、よくもまぁおれの娘に手を出してくれたのぅという見知らぬおっさんが俺の頭の中に巣くっている。
「顔知っているっけ?」
「知らない。会ったことないな」
龍美のお母さんにはあったことがある。割とウェルカムらしく俺にはよくしてくれている。
不安半分、期待半分の複雑な気持ちのままあるいていると聞いたことのある声が耳に届く。
「あれれ? 冬治君じゃないっすか」
「おう、下舌」
「やっほ、とらちゃん」
いつものぐるぐるメガネの下舌が俺たちのほうへと流れを逆らって歩いてきた。
「デートっすか?」
「ああ。それとな、俺たち、付き合うことになったんだ」
もう少し内緒にしておいてもいいかなと思ったのだが、下舌には言っておいていいだろう。下舌にあっていなかったらおそらく俺たちはただの友達でどこかで袂を別っていたかもしれない。
「うんうん、いいことっすよ。自分はなにもしてないっすけどね」
腕を組んでしきりにうなずく下舌に俺は口にしないだけで感謝している。
「そんなことないよ。とらちゃんがいなかったらわたしは多分、冬治君との関係をダメにしていたから」
そういって龍美も微笑んでいる。
「そうっすか? そういってくれると嬉しいっすね……けど、冬治君の顔色が今一つすぐれないっすね」
「お前さん勘がいいな。これから龍美のお父さんに会うことになっているんだ」
人生初めての体験だから不安が多い。
「ありゃりゃ、いつの間にかステップ踏んで次の段階にいっているんすね」
「ああ、どうしたもんかね。うまく切り抜ける方法を考えているんだがなかなか思いつかないな」
「会うのが嫌じゃないんすよね?」
「おう」
「たっちゃんはどんなふうに思ってるっすか?」
「大丈夫。わたしのお父さんなら最終的に冬治君のことをきっと気に入ってくれるから」
なんだか納得してもらうのに試練を超えないといけない流れが出来つつある。俺、ただの人間だからヒドラとか倒せないよ。
「うん、たっちゃんは彼氏の不安を消すつもりはないと……まぁ、何があっても頑張ってほしいっす。あと、良かったら結果も教えてほしいっす」
「……頑張るよ」
下舌と別れて俺たちは帰路につく。
静かで、暗くて、二人しかいないアスファルトの道を寄り添って歩く。何もしゃべらなくても、俺たちは幸せに包まれていた。
という感想を抱けたらどれだけよかったか。実際に楽しそうにしているのは龍美一人であり、この暗くて長い帰り道を俺は不安の予兆として感じていたりする。
「ただいま」
「ついに来てしまった……」
幾度となく入り込んだ龍美の家の玄関。今では畏怖を漂わす地獄の門に見えていた。
「お帰り、龍美。そっちの子は?」
まるでクマのように畳敷きの部屋から顔を出したのはこわもての男性だった。
「ただいまお父さん。こっちはほら、わたしの彼氏」
「ほー、彼氏さんね。龍美ぃ、おまえ、女の子っぽくないんだからしっかり捕まえとけよ。男なんてみんな、良い女を見つけたらそっちになびいちまうんだから」
「もう、冬治君はそんなことしないんだから」
「そうかぁ? まぁ、いいや。いつまでもそこに突っ立ってても疲れるだろ。あがるといい」
「は、はい、失礼します」
俺は龍美に引っ張られるようにして畳の部屋へと招かれた。
そして、そのままなぜか晩御飯を呼ばれることになった。
「うまい。飯がうまいっ」
「おうおう、男はがっつり食わないとな」
「はい、お父さんっ」
「お、いいね。もうその気分か」
「すみません、早すぎましたね」
「気にするな。おれらだって似たようなもんだったよ」
お酒の入った龍美の父、小太郎さんは愉快そうに笑っており、母親である早苗さんもにこにこしていた。
「ふー、この様子なら仲良く出来そうだね。冬治君、わたし、お風呂に入ってくるよ」
え、俺を置いてお風呂に行くのかよと思ったが、両親がうなずいたので見送った。
「……冬治君、いいや、冬治」
「はい」
小太郎さんはガラスのコップを置いて酒臭い息を吐いた。
「お前に龍美を頼みてぇんだ。嫁から聞いてたけどよ、龍美はお前のことをよくしゃべるんだと」
「どうも……」
「うれしくもあり、さみしくもある」
「……それは、父親的にってことでしょうか?」
「んー、そうじゃねぇんだ」
乱暴に自身の頭をかくとつまみに手を伸ばした。
「話すのはお前の話だけ。最近じゃ、ほかのなんっつったかな。虎? 虎なんとかって子も友達出来たって言ってたけどそれ以外の話を聞かねぇ。学園に入学してからこっちな。そんなに学園のことなんて話したことねぇよ。あいつはただ、勉強するためだけに行ってるって言ってたからなぁ。もうちっと、学園でも楽しく過ごしてもらいてぇんだよ」
そういってまたお酒に手を伸ばそうとしたが早苗さんがコップを奪って席を立った。
「……ま、だからと言って過干渉するとすぐにうるさそうな顔をするやつだからなぁ。あいつが外の世界に興味を持つまで一緒にいてやってほしい。都合のいいことを言っているのはわかってるんだ。本当の友達を、もっと増やしてやってほしい」
「努力してみます」
「そうか、悪いねぇ」
へへへとそういって小太郎さんはテレビのニュースを見始める。
「今日は俺、もう帰りますね」
「んー? そうか。龍美は多分、風呂あがってもお前と遊びたいんだと思うが?」
「……ちょっと、お父さんに言われたことを考えてみます」
「そうか。悪いな」
「いえ、俺も少し前に龍美から怒られました」
そういうと一つため息をつかれた。




