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東未奈美:第七話 与えたものは変化する

「冬治君、一緒に帰りましょうか?」

「え? ええ? 東先輩の方から誘ってくるなんて一体全体、どうしたんですか」

 そういうとため息をつかれた。

「たまに一緒に帰っているでしょ?」

「そうでしたね。何せ、これまでそろそろ帰るからしたくしなさいって感じだったので何口調だよと心の中で突っ込んでしまいまして……ふぁっ」

 失礼なことを口走った俺の鼻がつままれる。

「年上に対して生意気ね」

「い、一歳しか違わな……すんましぇんしあ」

 鋏を取り出してきたので俺は素直に謝った。

 準備を終えて、二人してコートを着用して外に出る。外は寒かった。

「寒いですね」

「……そうね」

「あの、東先輩。手をつないでもいいですか?」

「いいわよ、好きにしなさい」

 先輩の手を掴むと冷たかった。

「先輩の手、冷たいですね。手が冷たい人は心も冷たいって聞きますよ」

「……違うでしょ?」

「えっと、はい。心が温かいっていうと、なんというか、心臓あたりを触らせてくれって意味にとられないかと心配して嘘をつきました」

「余計な心配はしなくてよろしい」

 それから少しの間、俺たちは静かに帰っていた。

「あの、東先輩」

「何?」

「東先輩って、彼氏っているんですかね」

「いない。いるんだったらこうやって冬治君と手をつないで帰ったりはしないから」

 横顔を盗み見ると、どこか楽しそうに笑っていた。

「冬治君は?」

「や、さすがに彼氏はいませんって」

「……話の流れ的に彼女がいるかって返しなのはわかっているわよね?」

「本命が一人と、遊ぶための女の子が三人……いだだだっ、指をひねらないで、そっちは関節が曲がらないほうですからっ」

「ありそうな冗談っていうのが癪だわ!」

「ちょーっと、あり得るわけないじゃないですか! いませんって」

 さっきまで楽しそうにしていた東先輩の顔は般若になっていた。俺が全面的に悪いのはわかっているんだがね。

「こうやって東先輩と一緒に帰るのが楽しくて、ほかの子のことは考えられません……言っておきますけど、冗談とかの類じゃないんで」

「……そう」

 またそれから俺らは静かに歩き始めた。

「それじゃ先輩、俺の家はあっちなんで」

 そして、それは分かれ道まで持続してしまった。まぁ、悪くない無言空間だったのでそれはそれでいいんだが、こうやって一緒に帰る時間は一日を消費していくごとに当然減っていく。

 先輩が留年でもしない限りあり得ないわけで、それはとてもさみしく感じられることだ。最初は煩わしい先輩で、俺を傀儡にしているろくでもない先輩だったはずなのに俺の感情はいったいどうしちまったんだろう。

「また明日」

 そう言って手を放そうとすると、強く握りしめてくる。

「東、先輩?」

「……黙ってついてきなさい」

「わかりました」

 俺はそういって彼女の隣に並ぶ。それに満足したようで、東先輩はまた楽しそうな顔を見せてくれた。

 手を引かれて案内されたのはマンションの一室。東先輩が住んでいる場所だろう。

「はい、ハンガー」

「どうも」

「座って待っていて。今、お茶を出してあげるから」

 そういいながらテーブルの上にガスコンロを設置して鍋を置く。

「鍋、食べて行って」

「えっと、いいんですか?」

「どのみち、冬治君には決定権がないから」

 と、言いつつもこちらの様子をうかがっている。

「食べていくでしょ?」

「ええ、」

「……、何を苦笑しているの?」

「いや、うまそうな鍋が食べられてラッキーだなって」

「そ、変に期待して外れてもわたしのせいじゃないからね」

 テレビを見ながらボーっとしていると、鍋の準備ができていた。

「水炊きだからたれは好きなものを使って」

「へーい」

 鍋を食べ終え団らんしていると気づけば夜遅い時間帯になっていた。

「っと、そろそろ帰らないとまずいっすね」

「……何がまずいの?」

「へ? だってさすがに東先輩もお風呂に入るでしょ? 沸かしているの、知っていますし」

「……お風呂に入ってくるから、まだ帰らないで」

 俺に何か言うことがあるのか、帰るなと言ってきたので一応、うなずいておいた。

 先輩がお風呂に入っている間、この後俺はどうなるのだろうかと考えていたりする。変に興奮したこともあったが、さすがにお風呂に入って一時間を超えたところで遅すぎないかと思ったりもした。

「……いや、女の子ならこれが普通なのかもしれない」

 それが一時間半を超えたところで俺は失礼だと思いつつ風呂のある所へと近づいた。何せ、先ほどから全く音がしていない。

「東先輩?」

 返事が全くない。もしかして、石鹸で滑って頭でも打っているんじゃないだろうか。

 すりガラスに、人が倒れているように見えた俺は、何も言わずに扉を開けた。

「先輩っ!」

 浴室に東先輩が倒れていた。原因は不明だが、頭か何かを打ったのだろう。近くに置いてあったタオルを体にかけて呼びかける。

「大丈夫ですか?」

「う……うん。ちょっと、貧血みたいなもの」

 淡い笑みを浮かべて、また目を閉じる。

「先輩」

 呼びかけても今度は反応してくれなかった。いったい何が起こったのかわからないので一旦お風呂から出すと体を拭いて寝室に先輩を連れて行った。

「先輩は大丈夫だって言ってたけど、本当だろうか」

 救急車を呼んだ方がいいんじゃないのかと思いつつ、ベッドの近くに座って待機しておくことにした。勝手に部屋にいるのもどうかと思うが、このまま放置して帰るよりも何かあって動けない時、代わりに俺が動けばいい。

 こういう時、ついつい眠ってしまう事が多いから気を付けないといけない。

「……寝るなぁ、寝るなぁ……寝る……なぁ」

 しかし、俺も疲れていたのだろうか。襲い掛かってくる睡魔には全く勝てず、気づけば眠りの世界へといざなわれてしまった。

「……ふげっ」

 俺の寝起きの一発目はそんな間抜けな声だった。目に移る景色が普段の物とは違う事に違和感を覚えつつも、隙あらば睡魔が脳みそを攻撃してこようとしていた。

「冬治君」

 聞きなれた東先輩の声に俺の脳みそは完全に覚醒した。気分は熱した油に脳みそを放り込まれた感じだ。

「良かった、東先輩、何ともなかったんですね」

「いいえ、実は頭がぱっくり割れてしまいまして……」

「うわああああっ……」

 なんだか、とてつもない悪夢を見た気がする。

 頭の中に鈍痛が巣食っている。首を振って追い出しながら時計を確認する。朝の六時五分。

「東先輩は……まだ寝ているか」

 寝息を立てて静かに眠っている。殺気の悪夢がちらついたので、俺は少し先輩の顔に顔を近づけた。

「……ん?」

「あ……」

 目があって、俺は体が動かなくなった。

「なに、してるの?」

「……お邪魔しましたー」

 この前ニュースで見た説明責任という言葉が頭をよぎったが、あの東先輩の事だからしっかりと答えを導いてくれるだろう。

 俺は鞄と上着、コートを引っ掴むと逃げようとするのだった。

「待って」

「はぁ、何でしょうか?」

 もう少しで逃げられると言うところで追いつかれた。チェーンと鍵を外すのに手間取ったからである。

「説明して。なんで、わたしは裸で寝てたの?」

 そこの質問か。まず真っ先にそこから言っちゃうのか。ショートケーキで言うところのイチゴだし、ロープレだと最初にラスボス持ってくる感じだよ。

「覚えてないんですか?」

「……うん」

 変に覚えていないと言う理由もないからな。

「えっと、東先輩がお風呂に入ったところは覚えていますか?」

「まぁ、何となく」

「悲鳴が聞こえたので俺は浴室の扉を開けました。すると、浴室には女性が血まみれになって倒れていました」

「……え?」

「俺がそれを見て絶叫をあげると他にもなんだかすごく探偵っぽい連中が三人ほどやってきまして、がたいのいい別のおっさんが警察手帳を俺らに見せながら現場に入るなとお達しを……」

「待った。冬治君がふざけているのはわかった。それは、本気で言っているの?」

 俺は両手を広げて大げさに首を振った。

「やだな、それは先輩が一番わかっていることですよ」

「さっさと何があったのかを話して」

「へーい。風呂場で先輩が倒れていたので、慌ててタオルをかけて寝かせたんです。本来なら救急車を呼びたかったのですが、先輩が大丈夫だって言ったから」

 返事をしたこと自体忘れているようなのでどうしたものだろうか。

「そ、そっか。助けてくれたんだ」

「そりゃまぁ。もしかして見捨てるとでも思ってましたか?」

「うん……ほら、冬治君は面倒事が嫌いだって思ってそうだから」

「その通りですけどね。さすがに東先輩を見捨てる程、というかそんな嫌な事はしませんよ」

 俺、どういう風に思われているんだろう。

「あの、東先輩はとりあえず座っていてください。俺が朝食を作りますんで」

「いいの?」

「ええ、まぁ。この前は俺にいう事を聞かせましたけど、今日は俺の言う事を聞いてください」

「……わかった」

 俺はこの日、学園をさぼって先輩を病院へと連れて行った。お医者さんは頭を打ったようだが大丈夫だろうと言う話をしていた。

 それでも俺の気分は晴れなかった。何となく嫌な予感がぬぐえなかったのだ。

 なぜなら、なんというか……東先輩が俺に向ける視線がとても優しいものに変わっていいたからである。


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