夏八木千波:第八話 千波の心
千波は毎日が幸せだった。
窓から侵入して(部屋を繋ぐ橋を作った)、起床時間まで冬治のベッドにもぐりこんだり、寝顔をずっと見たりすることが堂々と出来る日々が続いている。
それまでは窓ごしに写真を撮って、寝る前に眺める程度だった。もちろん、それは今でも毎日続けている。彼女のPCには『冬治寝顔ファイル』といった彼女にとっては掛け値なしのファイルがあったりするのだ。
幸せと同時に、こんな幸せが毎日続くのが不安だった。
何だか、詐欺にあっているのではないかと思ってしまうのだ。
学園祭を周っているときも冬治の方から腕を組んでほしいと言ってきた。
「ほ、本当ですか」
「え、何がだ?」
冬治はかなり驚いていたりする。
彼が積極的に腕を組んでほしい。そう言って来るのは初めての事だ。付き合い始めても、人前では気にしてか言ってきてくれない。
「……俺何か変な事を言ったか。千波、お前さんなんて聞こえたんだよ?」
「腕を組んでくれって」
「俺も、腕を組んでほしいって言ったから間違っては無いよな」
辺りに俺と同じ声の人なんていないよなぁとあほな事を言う兄をじっと見つめる。
「ま、いいや。とりあえず腕を組んでほしいんだよ」
「こう……ですか」
自分の胸の前で千波は腕を組んでみた。
発育のよい千波の友人はそれだけで胸が強調されると言うのに、千波は違った。冬治が『俺は薄くたっていい』と学園生徒の前で宣言したからそれで構わないだが。
「あ、いや、そのー……千波さんや」
「何ですか、兄さん?」
「腕を組んでほしいって言うのは堂々としたそういうあれじゃなくて、こうだよ、こう……そんで『兄さん、好きです』って言って」
千波の腕に自身の腕を絡めて、珍妙な声を上げる冬治。
隣を通って行った生徒が何だか珍しいものを見ている感じだった。え、お前からそんな可愛い声が出るのと言う意外な驚きと言えるだろう。
「そ、そうですよね」
「いつもはすぐに腕を組んでくれるのに……ボケに走るとか一体、どうしたんだ。身体の調子が悪いのか?」
ボケに回りたくなってきたのかというとぼけた兄貴についムッとしてしまう。
「違いますっ。なんだか最近怖いんですよ」
「怖い?」
変な事を言ってしまったと少しだけ後悔してしまった。
「……幸せすぎて、怖いんです」
喋った後に更に悔んでしまう。
こんな事を言われてもうまく伝わらないし、頭は大丈夫かと言われるだろう。何を言っているんだと思われてしまう。
場合によっては変な子だと思われるだろう。もっとも、千波の場合は色々と前科があるためにこいつも変なことするんだなと冬治に認識されていたりするのだが彼女はそんなこと知らない。
「幸せすぎて怖い? ははぁ、なるほどな」
ただ、予想に反して冬治はわかりきったような感じであった。こうして察してもらえるのはそれだけ心が通い合っているからだろうな……不安もちょっとだけ和らいだ。
「無理に、納得してくれなくてもいいです。笑ってくれても構いませんよ」
少しつんとするのは恥ずかしいのと、嬉しいからだ。
「笑える要素は無いだろ? どこで笑えと?」
真剣に考えてくれているようで更に嬉しくなってしまう。
「俺はもっと千波と幸せになれると思うよ」
「え」
「だって、そうだろう? まだ半年もつきあったってわけじゃないぞ。倦怠期に陥っているわけでもないし、そもそもあんまりデートをしてない。キスだって三ケタもいってないんだぜ?」
人目を気にせずそう言ってくれる冬治をちょっと恥ずかしいと思った。それより、嬉しい気持ちの方が強かったりもする。今のところ、キスの回数は四十七回だ。
きっちりと数えるのが普通だと千波は思っているので手に負えないかもしれない。
「千波はちょっと気が早い。もっと幸せになってから言うもんだよ。それに、あんまりそういった事を言うと『ひゃっほー! 破滅へのフラグがたった!』って周りから思われる」
「そう、ですかね」
「そうだよ、そう」
「兄さんがそう言うのならそうなんでしょうね……あの、どんなフラグが立つんですか」
「そうだなー……千波と俺が喧嘩して気まずくなって別れ話をするとかかな」
「あり得ません」
一蹴する千波に冬治が笑う。
「じゃあ、俺が浮気したらどうだ」
「安心してください、千波は兄さんの浮気に関しては寛容ですから」
自信満々と言った調子に胸を張る千波を見て彼氏のほうは意外そうだった。
「へー、そうなのか」
「ええ、その時は兄さんを殺して、千波も死にます」
「許せてねぇよ。ま、千波みたいな女の子は他に居ないからな。浮気はあり得ない」
馬鹿面をしている彼氏を見ると悩んでいたのが馬鹿らしくなってきた。
冬治の腕にしっかり抱きついて、引っ張る。
「時間を無駄にしましたから、行きましょう」
「そうだな。うん、お前さんがここ最近元気がなかったからどうしたのかと思ったよ」
「気付いてくれてたんですか」
「たまたまだよ。買いかぶってもらっちゃ困るからな。いくら彼氏だからって全部は把握できねぇ。でも、お前が俺に見せてくれることは全部、知っておきたい」
つい潤んでしまい、冬治の胸に顔を埋める。見られたくないと思ったのは、冬治にか、それとも周りの人たちか。そもそも、周りの人等眼中になかった。やはり、冬治に見られたくないのだろう。
「兄さん、大好きです」
「俺もだよ、千波」
そして、抱きしめ会う二人を見ながら他の生徒達は満場一致で思うのであった。
『余所でやれよ…』




