左野 初:第二話 プール掃除をしよう!
羽津学園は勉学だけではなく部活の方にも力を入れているようで、運動部系には比較的いい施設が見受けられている。まぁ、どこの学園も優れた生徒がいればそんな人たちと一緒に全国めざしたいって向上心を持った生徒が来るだろうからなぁ。俺みたいなやる気のない子にはあまり関係ない話だが。
管理はどうやって維持しているのかと思えば、何処かの企業の株を持っているそうで、部の施設の維持費、増設等はそれらから出ているようだ。やはり金はあるところにはあるようだ。現に、何回か泥棒が入り込んだことがあるらしいが毎度捕まえられている。百パーセントというのがこれまたすごい。
ま、金持ちのここの学園の長の夢は羽津学園都市を作る事らしい、そんな噂をきいたことがあるが、前回の噂と言い、学園としてはどうなんだろうか。
学園町の夢はともかくとして、とりあえず設備が豪華というわけだ。
「プールは温水かぁ」
室内プールなんて早々無いよなぁ。珍しいからと言っても一度見ておけば二度も見る必要はないだろう。
今はその温水プールに生温かい水がはられている事は無く、水泳部達が一生懸命ブラシで磨いている途中だ。
「……あの子、尻がいい形だ。おお、きゅっとひきしまった太もも、エクセレンッツ」
背中があらわになった競泳水着やらスクール水着に心を奪われていると厄介さんの声が飛んでくる。
「ちょっと、手を休めないでよっ。きれいきれいにしてよっ」
「はいはい」
勿論、野次を飛ばしているのは左野初だ。
何故部員でもない俺がプール掃除を手伝っているか、単純な話にリッキーこと羽根突律と左野初に頼まれたからだ。
「親しい男子生徒って先輩しかいなくて。あ、そうそう、先輩今日もかっこいいですよ」
「あからさまなお世辞は要らない、ちっともうれしくないよ」
「その割にはうれしそうな顔をしてますね」
そりゃ、眼福だからね。君らに言うつもりはないけれど男だから好きなのさ。
「可愛らしい下級生が手伝ってと言っているんだから大人しく手伝ってくれてもいいんじゃない?」
「可愛らしいだって?」
「何か不満でも?」
「左野は黙っていれば可愛いよ、ね、先輩」
「は、はぁ?」
「黙っていれば、ね」
「そう、黙っていれば」
少しだけいらついた感じの左野の言葉、そしてリッキーの微妙なセリフに首をすくめるしかなかった。
話はさかのぼる事、数十分前のことだ。
「スク水姿の水泳部を見放題だよ」
「実際にそんな事を言われて飛びつく男子生徒なんて殆どいないんじゃないのか」
罠だ。手伝おうと言えばひそひそと言われて女子から嫌われること待ったなし。彼女がいれば優しく慰めてくれるだろうが、いない場合は学園内でのランクを落としかねない。どこに行ったってスクールカーストは存在するからな、うん。
「うん、まぁ、そうかな」
リッキーは素直にそう言ってうなずいていた。よかった、罠だった。そんなことないよと言っていたら是非手伝わせてくれというところだったぜ。
「さすがに手伝うのはなぁ」
「手伝うと、お金が出るわ」
今の俺は女の子よりお金が欲しかった。
「よし、やろう。即やろう。さぁさぁ、二人とも案内してくれ」
「あ、ちょっと、気安く触らないで」
「やだー、先輩に連れていかれて無理やりされちゃうのかも」
「うっわ、真白ってやばくね」
「年下が趣味なんだ……きもっ」
こういったやり取りで俺は雇われの身となった。うん、なんだかクラス内での評価が下がった気にするけれどそんなもんお金の前では無価値だ。
最初のほうはエロい目で部員たちを見ていたが飽きた(健全な男子としてどうかと思うが)ので一時間ほど磨いてようやく終わりを迎えた。
「ふいー」
遊んでいる部員もいるけど、率先してやらされた俺は疲労が勝っていて遊ぶ気にもなれない。おまけに女子生徒も見飽きたのでちっとも楽しくなかったりする。絵に描いた餅は餅であり、胃袋を満たせないのなら意味のない存在だ。
「先輩、お疲れー」
リッキーにねぎらわれ、スポーツドリンクを受け取る。リッキーの隣には左野も腰をかけている。
うん、黙っていれば可愛くていい感じの二人組だ。他の水泳部員は比較的胸が大きいから可愛いと言うより綺麗と言ったほうがいいのかも。
「水がたまるまで泳げないのか」
「時間かかるからねー」
「まだちょっと寒いし、無理よ」
どこか元気のない感じで佐野がつぶやいた。
「温水にすればいいだろ」
「んー、そうだけど」
「それに左野は泳げないし」
「え」
すごく重要な事を聞かされた。左野自身もぎょっとした感じでリッキーを見ている。
「ちょ、ちょっとリッキーっ。何しゃべってんの!」
親友に詰め寄って両手を振り回している。プライドが高いのか、知られたくなかったらしい。
「え? 事実じゃん。嘘は良くないよ」
「そ、そうだけど。率先してしゃべっていくのはどうかな」
「いやね、こういうのは最初が肝心なんだよ」
猫っぽい表情を見せて人差し指を立てる。
「冗談でもさ、先輩が左野のことを水面に放り投げたら溺れちゃうじゃん。そんな事故を予防するためだよ」
そんな事をする人はいないんじゃないのか。リッキーの杞憂だと思われる。というか、俺はそんなことをするひどい先輩だと思われていたのか。
「そうだけど、やっぱり泳げないって言わなくてもいいんじゃないのっ?」
「いやね、こういうのってちゃんと言っておいた方がいいんだよー。わたしもさ、泳げなかった時に泳げるなんて言ってさぁ……溺れかけたから」
何があったのかは知らないまでも、その目は達観したものがあった。
リッキーのことはいいとして、問題は左野だ。年下のくせに、やたら上から目線のこやつにはちょっとだけ悪戯したい気持ちもあった。
さすがに、水面に向かって放り投げるようなことはしないけどさ。
「そうかぁ、左野ちゃんは泳げないのか」
「左野ちゃんとか言うな、気色悪い」
ぶるっと身震いする左野に俺はこれ以上からかうのをやめた。つつくと暴発して余計な被害を周りに与えるかもしれない。ただまぁ、少しだけ左野に興味は沸いた。
「おおかた、泳げるようになるために水泳部に入ったんだろう」
「え、何でわかったの」
勘だ。
でも、馬鹿正直に答える必要もないだろう。
「もしかして、左野の事なら何でも分かるストーカーだったりして」
リッキーがにやっと笑う。この子は危険な発言が多いな。ただまぁ、たまには変態を演じるのも悪くない。
「こう見えて女子生徒の情報は詳しいんだぜ?」
もちろん、冗談だ。そもそも女子生徒の知り合いなんて殆どいないし、残念ながら電話番号も知らない。
「真白先輩、今日の左野のパンツはなぁに?」
「可愛い熊のバックプリントさ」
勘というより、ここは絶対に当てちゃいけない問題だ。だから、あり得ないような柄を指摘してみた。
さすがにこの年齢にもなってそんなガキくさい代物を履いているわけでもないだろう。
「な、何で知ってるのよっ」
今はスク水姿だが、スカートを抑えるようなしぐさを見た。顔を真っ赤にして照れる姿はかわいかったが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
変態の振りをしていたらまさしく変態になった瞬間である。
「あたりかよ。事実は小説より奇なりか……もうどうにでもしてくれ」
「さ、最悪、いったいいつ、見たのよっ」
まさか泳げないんだろうからストーカー扱いされそうになるとは思わなかった。やはり、慣れないことはすべきではない。
「さーのっ、落ちついて。おそらく勘で言ったのよ」
「おう、勘だよ。畜生、俺が気付いてきた頼れる男の先輩イメージがすぐさま崩れた」
「んなもん、最初っからこれまで一切ないわよ」
ごもっとも。
「けどさ、あんたの言う事いまいち信用できないんだけど。いっつもパンツの中を覗いてそうな雰囲気があるもん」
まるでゴキブリでも見ているような目だ。
「たとえそんな人間だったとしても、だ。俺は左野のパンツを覗き込むような時間を無駄にするような事はしたくない」
変な話になったら相手を怒らせて終了させるに限る。
実際、この方法はある程度効果を見せてくれているからな。
「……そ、そんな事を言って、あたしの事が凄く気になるんでしょ、へ、変態」
つーんとそっぽを向いた。
その態度に俺はげんなりする。
「凄く自意識過剰なんだな……これだから量産型ツンデレヒロインはつまらないんだ」
胸を隠すようにうずくまる。顔なんて真っ赤、もじもじしている姿は可愛いと認めてやってもいいかな。ただそれだけだ、絶対口にして言うつもりはない。
「照れた顔がまたたまらないとか、言うんじゃないのー?」
「リッキーもおかしなことを言わないように」
さっさとお金をもらって逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
俺の心を覗いたりしたのか、リッキーがため息をついた。
「お金は今日払われないですよー。先輩、もしかしてそれをもらうためにずっと待っていたんですか?」
「そうさ。なんだと思ってたんだ?」
「水着の美少女を二人も侍らせて、にやにやしながら会話がしたかったのかと」
この子は冗談で言っているつもりじゃないらしい。真剣な目をして俺を見ている。
「……俺、帰るよ」
これ以上ここに居てもいい事は無いだろう。
「そうだねー、帰ろうか」
そういってリッキーも立ち上がる。
「う、うん、そだね」
「先輩、一緒に帰ってもいい?」
「えー、左野がいるしなぁ」
本心からそう言ったつもりではなかった。
「……そ、そう」
見るからに沈んだ感じの左野を見て凄く悪い事をした気持ちになってしまう。
「打たれ弱いのかよ…」
「香車みたいな性格。しかも、敵陣地にいざ乗り込んでも奥手になって成れない縛りつき」
「隅っこでやられるのを待つだけの存在か」
倒せるのは初期配置ならおそらく歩と香車だけだぜ。
「さっきのは冗談だよ。付き合い短いお前さんでも俺の性格、なんとなくわかったろ? 面倒くさいんだよ、俺は。な、だから元気出せよ、左野」
「すごい、先輩が自分のことをダメ人間だと下げまくって左野を上げようとしている……」
「リッキー、余計なことを言わないように」
「へーい」
くっそう、俺がどうして左野のためにこんなことをしてやる必要があるんだよ。
「な、一緒に帰ろうぜ?」
「うん…」
「これは近年まれに見るへこみ具合」
「……そうなのか」
解説者みたいな感じのリッキーに尋ねると深く顎を引かれる。
「そりゃあね、友達だから手に取るように分かる。この前先輩を疑った後に『どうしようどうしよう』と言ってたからね。ほら、先輩もたまにあるでしょ、新しい人と出会ってこの人にはあんまり嫌われたくないなぁってことがさ」
「うーん、そこらへん考えたことがあまりないなぁ」
気づけば他人の評価を下げているときがあるからなぁ、俺って。クールで生かす先輩を目指していたら気づいたら後輩のパンツを言い当てる変態すれすれの立場になっていたりするし。
「年上の先輩が左野のタイプだから。応援してあげてね」
応援、ねぇ。
「頑張れ頑張れ、さーのっ」
俺は右手を突き上げたり下げたりして応援することにした。
「さぁ、リッキーも!」
「おっけーです! 負けるな負けるな、さーのっ」
二人でそれを繰り返していると他の部員が寄ってきた。
「あれ? 何してるの?」
「落ち込んでいる左野を応援してるの」
「面白そうだね。フレフレさーのっ」
「ふぁいとだふぁいとださーのっ!」
一同で左野を応援した。徐々に体を起こしていき、最後に言葉を放った。
「あーもうっ」
両手を振り回している。そうしているとガキみたいだ。無駄にジャンプしているのに、胸がたゆんたゆんしないのはさみしいな、マジで。
「その憐みの視線は何よ」
「……すまん」
「素直に謝んな、ばーかっ」
左野はおそらく元気になったのだろう。
「お前さんはそのぐらい口が悪いほうがいいよ。元気は出たか?」
「お、おかげさまでね」
顔を真っ赤にしてそっぽを向いた左野を見て仕事は終わったと部員たちが去っていく。親指を立てながら、ドヤ歩きの後姿は仕事を終えた漢だった。これには性別関係ないな。
「いい部員さんたちが多いな」
「……そうね」
何となく、ほほえましい気持ちでいられた。




