秋山実乃里:第九話 孤独は本に夢を見る
一般的なデートコースを実乃里と周ってみたいな、そう思ったのは冬休み初日だ。
「で、どうだろうか?」
勿論、俺が費用全部もちだろうとおもって三万おろしてきている。リッチである。
「んー……」
乗り気ではない実乃里をどうやってその気にさせるか考えるよりも代案を出したほうが早いかもしれない。
「じゃあさ、実乃里の家に招待するのはどうだ」
「誰を?」
「俺を」
「どこに」
「だから、実乃里の家だよ」
しばらく考えた末に、実乃里は首を縦に動かしてくれた。
「いいよ」
「よっしゃ」
別に女子生徒の家へ招待されるのが初めてではないものの、一応彼女の家に招待されるのは嬉しいものだ。
最近、実乃里ともっと仲良くなれた気がする。気のせいかもしれないが……まぁ、あれだ、俺はもっと実乃里と仲良くなりたい。
実乃里の家へと案内されて、若干緊張してしまう。
「ただいま。誰もいないから気にしなくていいよ」
「え、そうなんだ。じゃあ、実乃里は一人暮らしなのか」
ちょっとばかり、変な期待をしてしまう。
「小さい頃からね。お父さんとお母さんは外国のUMAを追いかけてるから」
なるほどね、実乃里の両親っぽいなぁ。
生活臭をほとんど感じさせないリビングに案内され、しきりに首をかしげてしまう。
「なぁ、冷蔵庫とか無いのか」
「うん、部屋に小さいのがあるだけ」
「めしはどうしてるんだ」
「殆どレトルト系」
「そんなんじゃちゃんと成長しないだろ」
「小さい?」
そういって自身の胸をわしづかみしていた。
「い、いや、充分」
「じゃあ、いいんじゃん」
「そ、そうだな」
戸棚を開けると箱入りのカレーが図書館の棚ばりに並べられており、分類分けされている。また、どう考えても消費期限を過ぎてしまうほどの乾麺系も確認される。
「これ、一人で食うのか」
「うん」
「成長はともかく、身体悪くするぜ」
「……家庭の事情だから仕方がない」
それだけ言うと俺を残して部屋へ向かおうとするもんだから慌ててついて行った。
「ここが私の部屋」
少しばかりのドキドキを胸に部屋へと入る。
「てっきり、本棚が並べられていて小説類が沢山置かれているものかと……」
「ここはあくまで私の部屋だからね」
あるのは机と、何度も読まれてボロボロになった本、銀色のパソコンだけだ。
「お茶持ってくる。パソコンに触らないなら後は自由にしていていいから」
そう言い残して実乃里は部屋から出て行った。
「んじゃ、好きにさせてもらおうかな」
実乃里によって厳選された本棚に興味があり、どんなものを呼んでいるのか気になった。
「ん?」
左上から見て行こうとしたら画用紙で挟まれた一冊の本とは言えない小冊子を見つける。
「……タイトルは『しあわせな少女』か」
おそらく小さい頃の実乃里が書いたであろう一冊だ。文字は意外にも綺麗で、表紙には一生懸命書かれた女の子が一人で笑っていた。
「ふむ」
表紙をめくると小説だけあって文字が羅列されている。思ったよりも漢字が多用されていた。
わたしのなまえは秋山実乃里。外で遊ぶのが大好きな女の子だ。お母さんとお父さんと一緒に住んでいる。お父さんは毎日仕事が終わるとわたしのためだけに、すぐに家に帰ってきてくれる。お母さんも、仕事が終わったらすぐに帰ってきてわたしを抱きしめてくれる。
自分で考えても幸せな女の子だ。
寝る前には嫌いな絵本を読んでもらう。最近はお父さんが書いたユーマを探す冒険譚を呼んでもらうのが楽しい。
休日には動物園に連れて行ってもらう。この前は水族館に連れて行ってくれて本当に楽しかった。
一人で閉じこもって、文を書き続ける少女なんて、不幸せで気持ちが悪い。わたしは、とても幸せだ。
俺はそれ以上ページを進める事が出来なかった。
「お茶、どうぞ」
殆どお茶なんて入っておらず、急いで戻ってきたようだ。
「あ、わざわざご丁寧にどうも」
ふざけて頭を下げたら手に持っていた本を奪われたのだ。
茶化そうかなぁという雰囲気を一発で吹き飛ばすほどのシリアスな表情だ。
「なぁ、実乃里」
「何」
「お前、水族館って行ったことあるか?」
「ない」
「そうか。動物園は?」
「ない」
そう言うのって幼稚園なり小学校なりで行ったりするもんじゃないのか。
俺の考えを読んだのか、それとも偶然か……実乃里は首を振った。
「小学生の時は行きたくないとごねたから」
「なんでだよ」
「……色々とあってね」
ごまかすようにそう言って実乃里の初めての小説はゴミ箱に飛んでいった。
「おい、それ捨てるのかよ」
「うん」
「なんでだよ」
「なんでって、これは私のだから私がどうしようと勝手だよ」
珍しく怒気を孕んでいた。だが、臆するわけにもいかなかった。
「じゃあ、売ってくれ」
何故かそんな言葉が口から出ていた。
「え?」
「だから、売ってくれ」
ゴミ箱に放り込まれた『幸せな少女』を実乃里が見つめ、俺も見つめた。
「……にーきゅっぱ」
「二百九十八円か。安いな」
「ううん、二万九千八百円」
「わかったよ」
財布からなけなしの一万円を三枚取り出してあっけにとられている実乃里に握らせる。
「じゃ、これは今日から俺のもんだ」
サルベージした本を俺は鞄の中に大事にしまう。
「別にいいけど……本当にいいの?」
「実乃里がそんなことを聞くなんて珍しいな」
「書いた私が言うのもあれだけど……価値なんてないよ」
「物の価値は必要としている人が決めるんだ」
そうでなければ大切にしまっているはずがないだろう。みられたくない思い出の品は誰にだってある……捨ててしまえば見られて恥部を暴きたてられる事もないのに、捨てないのは何でだろうな。
過去との離別は、自分の根幹を忘れることにつながっちまう。
何故、文章を書いて居るのか、何故、スポーツを続けているのか……忘れちゃいけない事はわかっているのに大きくなると忘れてしまう事がある。
実乃里が文章を書き続ける理由の一つ……おそらくそれが、この本だ。
「この本にはそれだけの価値があるって俺は思う」
実乃里が文章を書くことを辞めた時、俺はこの本を思い出させてやる義務がある。
「……」
じーっと俺の顔を眺めてそのままベッドの方へ歩き出し、仰向けになって実乃里は寝転がった。
「何だ、どうした」
ご丁寧に、前のボタンを全部外して綺麗なお腹を晒していた。
「やっぱり、悪いから身体で払おうかと思って」
「ぶっ……お前なぁ」
なんて魅力的な提案なんだ……とは思うだけで実行にはうつさない。手近にあったクッションを実乃里の顔にぶつけておいた。
「何すんの」
「あほ、お前俺が本気にしたらどうすんだ」
「別に、冬治ならいいかな」
「別にって何だ、別にって。俺は『俺でないとダメ』って口説かないとのらないぜ」
そして、これは間違いなく実乃里の罠である。
罠と思って飛びつくならばそれ相応の……この場合は退学辺りを覚悟して飛びつかなければならないだろう。
五分間にらみ合いが続いて根負けしたのは実乃里の方だった。
「ちょっと意外かも」
はだけた前を隠しながら実乃里は俺を面白そうに見ている。
「うっせ、俺はこう見えても理性的な人間なんだよ」
「ふーん? 本当?」
今一つ、信じてもらえてなかった。
それから特に何をするでもなく実乃里の部屋にぼーっといただけだった。
実乃里は執筆活動に精を出しているようだったし、邪魔するのも悪いだろうからケータイのカメラでそんな実乃里を撮って彼女の携帯電話に送る程度の悪戯しかしていない。しかも、見てくれなかったし。
「そろそろ、帰るわ」
「わかった」
これ以上居ても邪魔にしかならないだろう……俺が立ちあがると実乃里も立ち上がってついてきた。
「じゃあな……って、近いぞ」
振り返ったら目の前に実乃里が居てちょっと驚く。下がろうにも扉をまだあけていなかったので、軽く背中を扉にぶつけてしまった。
「明日も来て」
「え、明日か? あー、明日はちょっと後輩と遊ぶ用事があって無理っぽいなぁ」
「ちょっとでもいいから」
何か用事があるんだろうか?
「なぁ、実乃里……」
「前払い」
「何がっ……」
そういって実乃里は唇を押しつけてくる。
「んっ、っておい、お前っ。いきなり何すん……」
人差し指を唇に押し当てて何故か睨まれる。
「……約束、だからね」
一方的な約束と口づけをして実乃里は部屋へと入ってしまう。
唖然としつつ、俺は玄関から出て夕焼けをぼさっと見続ける。
「ん? メール……か」
相手は実乃里だった。
メール内容は『私が小説を書く理由を聞きに来てほしい』と書かれているだけだった。




