秋山実乃里:第五話 彼女は釣りが好き?
「あっちー」
本格的な夏も近い、そんなある日のことだった。
隣の席に秋山がいなくなった時に一冊の手帳が置かれていた。黒くて、実用性に富んでそうな雰囲気の手帳だ。大人が持ってそうな逸品である。
「これはもしかしなくても秋山のネタ帳……だよな」
自傷小説家のネタ帳は面白そうだ。開けてみようかなと思いつき、手を伸ばしたところでやめた。
「罠だ」
第六巻(第一巻から第五巻まで頭の中で絶賛販売中)とか虫の知らせとかがとうとう俺にも舞いおりてきたんだと思う。
非戦闘アビリティー的な?
喧騒のさなか、何者かの視線を感じてそちらを見るとストーカーよろしく秋山がこっちを見ていたりする。
「隠れ方が足りないだろ」
俺がそう言うとさも、今戻ってきましたみたいな顔をしてそのまま机の上に置いてあった手帳を掴んで胸ポケットにしまった。
「見た?」
机に着いての第一声がそれだった。
「見てないよ。お前こそ俺を見ていただろう」
「自意識過剰すぎじゃないの。いいところよりも悪いところの方が先に思いつくような男子生徒が何言ってるの」
「そっくりそのまま返すぜ」
「……」
「お、おい、悪かったからそんなに悲しそうな顔するなよ」
「それで、本当はどうなの? 見た?」
「いや、本当に見てないよ」
「そっか、よかったね」
不敵に笑う秋山の顔を見て本当に見ていなくて良かったと思う。見ていたらどうなっていたか想像して背筋が凍る。無理難題が得意みたいだから気をつけなくてはな。何を言われるかわかったものではない。
そして、次に似たような事が起こったのは期末テストが差し迫ったある日のことだ。
「ん?」
秋山の机の上に手帳がのっていた。
「期末テスト秘伝法……か」
あ、怪しいっ。
胡散臭い手帳を指で突いてみる。ふむ、いたって普通の手帳だな。
「だからと言って俺が見るとでも思ったのか、馬鹿め……今回の俺はただの俺ではない。二週間前から準備オーケーだ。それに、今日から朝早く来て職員室前のスペースで自習しているんだぜ? 目指せ、学園五十番台っ」
何せ、五十番台に入れば両親が家に帰ってきてお祝いするとか言っているからな。たまには両親の顔を見るのも楽しいもんだ。
「……前に帰ってきたのは正月の時だっけか」
本当、あの両親は息子の事を放っておきすぎだわ。
「うおおおおっ、俺は、両親の笑顔を見るためにっ、闘うのだあっ」
「真白がまた何か騒いでるぜ」
「本当だ、よくやるわー」
「……こほん、勉強しよっと」
周りの生徒に笑われながら席に座るとどこから見ていたのか秋山が残念そうな顔をして近づいてきた。
「冬治、ドンマイ」
「はは、残念だったな。先ほどの独り言ぐらい別にどうということはない」
最近は誰かさんのおかげで図太くなりましてね、ええ、独り言なんてわけないのですよ。あ、そういえば秋山さん、一緒に話していていきなり手をあげて『せんせー、冬治君が独り言を言っていて怖いです』って言ってもらえるの辞めてくれませんか。あれはマジで、教師からやばい目で見られますんで。
「私が五十番、君は五十一番」
「ほぅ、挑戦状とはいい度胸しているじゃあないか」
そう簡単には負けんぜよ。親がほとんど家に居ないさびしがり屋の本気を舐めんなよ。
そして、手帳が三度目俺の目の前に現れたのは期末テストの後だった期末テストはそのまま俺の勝利で飾り(その事を秋山に言ったら何の事だととぼけられた)、明日から夏休みと言う時に手帳がのっていた。
「またか」
二度ある事は三度ある。
というか、こんなのに引っかかる奴なんざいねぇよと突っ込もうとして手が止まってしまった。
「秋山実乃里による真白冬治評価表……だと」
凄く気になる内容だった。
「いや、待てよ。これはやっぱり罠だろ。開けたところで真っ白かもしれないな……」
う、うーん、そういえば前回、前々回とかしっかり書かれていたしなぁ。期末テストの方は『教師と寝ろ』で何も書かれていない手帳には『次は錬金術師ネタかな』と書いていた。
つまり、これまで通りの内容ならふざけた事が書かれているわけだ。
「しかし、だ」
見られるとわかっておいてある手帳だがね、たとえ、ふざけた内容だからと言って……他人の、しかも女の子の手帳を勝手に見るような奴は幻滅だよなぁ。俺だって日記帳を見られると嫌だもん。
そもそも、衆人環視だし、秋山が俺に対する評価をしている手帳なんて見たら周りから気があるんじゃないかって思われるし。
十分ほど悩んだ末にやっぱり、読まない事にした。
「秋山、もう出てきていいぞ。どれだけ待とうと、俺は読まんぞ」
近くに置いてあった蛇の入って居そうな大きな段ボールに向かって声を駆ける。
「そっか、残念」
掃除用具から出てきた事にちょっとだけ驚いた。動揺を隠して、隣に座った秋山に聞いてみる。
「その手帳、どんな評価が載ってるんだ」
「えっとね……」
手帳を開こうとして結局閉じた。
「どういう事だ」
「私は他人の手帳を勝手に読む人は嫌いかな。書いてあるのはそれだけ」
「そうか」
「そうだね」
「じゃあ今後机の上に忘れて行くなよ。ふとした拍子に中身を知っちまう事があるかもしれない」
「気になる?」
いつもの無表情の顔に何故だか安堵しつつ、軽く頷いた。
「ちょっとぐらいは」
「それは私だから?」
その言葉に目を剥くと秋山は珍しくわらっていた。
質問に俺は答えず、中指を立ててやった。
「夏祭りの日、校舎裏に来てほしいんだ」
「え? なんだって?」
「一度だけしか言わないから」
言うだけ言うと立ち上がってどこかへ行ってしまう。
夏祭りの日に校舎裏に来てほしい……その言葉はしっかりと脳内に残っている。
一体これは、どういう事なのだろうか。
しかし、残念だ。これまで秋山と付き合ってきて、今度はどんな場所に連れて行ってくれるのだろうとちょっと期待してしまっている自分が悲しい。
「ああ、甘酸っぱい俺の青春は一体どこへ行っちまったんだ」
これならまだ、女教師に呼び出されて二人きりの方が胸がドキドキするからな。俺のドキドキ、どこにしまったんですかね、秋山さんや。
夏祭りの日に、起こったことは一歩間違えれば警察に突き出されているところだった。神社に侵入し、その御神体を写真に収めるなんて本当に、危なかったと言っておこう。




