只野夢編:第二話 予知夢は可能か?
少しだけ期待していた転校生としての紹介は一切なく(これは二年次編入のため仕方がない)、クラスメートを中心とした友達が六月の頭には出来始めていた。
友達の筆頭としてあげられるのが只野友人、七色虹の両名であり、クラスが同じなので大体一緒に行動している。
只野友人は只野夢の兄だ。四十分ぐらいかけて見ていれば似ているかもしれない。
七色虹の方にも兄妹はいるようだが、なかなか顔を拝む機会が無い。
「あー、だりー」
「もうちょっとでお昼だよー」
「だな」
昼前の授業が終わり、副担任である闇雲先生が去っていった。
いの一番で弁当箱を取りだした友人を見て何だか不安になった。
デジャヴとでも言うのだろうか? 弁当に危機が迫っている。
慣性、そんな言葉が頭に浮かびあがる。
「あ、おい……ちょっとまて」
「ふぁー……飯だ飯だ。よっこいせっと……っとと」
乱暴に置かれた弁当箱は机の上を滑り、そのまま落下……教室の床に中身をばらまいた。
一連の動きは全てスローモーションで見えた。
クラスメート数人のあっ……という表情と、飛び散るおかずの数々。
床に落ち、埃にまみれたおかずたちは老廃物ではなく、もったいないおばけとして生まれ変わると思われる。
今どき珍しいアルミ製のお弁当箱が乾いた音を教室に響かせた。
そして、次に訪れる静寂を守らず、気付けば俺は友人を罵っていた。
「おい、待てって言ったろ。アホかよ」
「……アホなもんか。手が滑ったんだ」
おれは悪くない、そんな表情がこれまた癪に障る。
「滑ったのはお弁当だよ」
「なにが滑っただ。おまえの冗談は滑っても、弁当は勝手に滑らねぇよ」
「そうだそうだ」
七色と一緒に非難がましく友人を見て、落ちたおかずでも綺麗な物をお弁当箱の中に放り込む。
「ほら、拾ってやったぞ」
机の上にお弁当箱を置いてやる。勿論、汚すぎて食べられない物は蓋に載せてあるし、ごはんも汚れた部分は削ってやっている。
「一度落ちたもんなんだぜ? きたねーだろう」
「何言ってんだ。大丈夫だ」
「そうだよ、胃の中に入ればどれも一緒だってば!」
七色、それはちょっと違うと思う。
「ぜってー、くわねぇからな」
「何だよ、勿体ないじゃないか」
「じゃあ、お前が食えよ」
「いいのかよ」
このまま俺がわからずやの弁当を食べてもいいか……そう思っていた矢先、最近一緒にご飯を食べる夢ちゃんがやってきた。
「……なにしてるんすか?」
俺が友人のお弁当を持っているので、夢ちゃんが首をかしげている。
「友人がお弁当箱を落としたんだよ」
「落としてねぇよ。滑ったんだってば」
自分の非を一切認めない友人にため息をつき、どうすればいいのかわからなかったので再び彼の机の上に置いた。
「おれは食べないからな」
「……自分が作ったお弁当が、いらないっすかっ!」
友人の言葉に食ってかかったのは意外な事に、夢ちゃんであった。
俺はちょっとびっくりして彼女の方を見ると既にお弁当を食べ始めている七色が耳に顔を近づけてきた。
「もぐもぐもぐ……あー、おいしー」
卵焼きから野菜炒めへと箸を動かす。
半分ほど食べ終えても、なにが言いたいのか伝わって来ない。
「……それで? 俺に何か言いたい事があるんじゃないのか?」
このまま放っておいたらお弁当を食べ終えてしまうだろう。
「あ、友人のお弁当は夢ちゃんが作っているんだよ」
「へぇ、すげぇな」
友人のお弁当はなかなか手の込んだものばかりで、『ここの母ちゃんすげぇな』と何度思った事だろうか。
あいにく、俺の母ちゃんはあまり料理が得意ではない。ま、今は俺が料理を担当しているので当然弁当も俺作である。良くも悪くもなじみのある味で面白みが無い。
俺と七色が話している間に闘いが始まったらしい。
「じゃあ、食べなくていいっすよ!」
「ああ、いらねぇよ。どうせまずいもんな。おれが作ったほうがうめぇよ」
「なんて事を言うんすか! 兄貴はろくに料理なんてしたことないっす!」
「う、うるせー! 大体お前、っす! っす! うるせぇんだよ!」
全く的外れの言葉である。頭に血が上った奴の典型的な例だな。それでも、俺は確かに……そう思えて仕方がない。
言葉による安直なキャラ付けは如何なものだろうか。
「いってはならねぇことを……もう兄貴の弁当は作らないっす!」
「ああ、いいぜ」
「じゃあ、晩御飯も作らないっす!」
「……え、マジで?」
ここで既に心折れようとしているのだろう。
捨てられた犬の顔になった。
しかし、すぐさま顎を逸らす。
「い、いいもんねー。作ってもらえなくても、いいもんねー」
「そうっすか……じゃあ朝も作らないっす」
「ど、どうぞどうぞ」
今にも泣きそうな顔になった。三食抜きは辛かろう……。
「制服のアイロンがけも、部屋の掃除も、洗濯も……なーにもしてあげないっす! 母さんたちは旅行中っす! 兄貴の世話をしている奴はいなくなるっすよ?」
「いいよーだ」
「それなら、家から出て行くっす!」
「ああ、わかった。お前の顔なんざ、金輪際見たくない!」
ここで兄妹げんかは終わりを迎えた。
「くそっ!」
そして、何故だか自分のクラスなのに出て行く友人。
「あ、おい友人……」
「いいっすよ。冬治先輩。あんなわがまま兄貴は放っておくっす」
「まぁ、そうだけどね」
「……同情の余地、無しだな」
折角の友達だ。少しぐらいはかばってあげたい。
しかし、どう考えても先ほどの喧嘩は友人が悪い。
これでもかという程に、かばえるほどの要素を微塵も感じさせない典型的なわがままだった。つーか、あの年で何もしてないのか。
その日、そのまま友人は早退してしまった。
「早退? ああ、そう。やる気のない子は出て行って構わないもの。義務教育は終わったんでしょ? 其処で騒いでる女子と男子も覚悟しておくことね」
これまた友人の早退した影響は闇雲先生の機嫌の悪さに拍車をかけたようである。
「はぁ……なんでこういう時に只野は早退するんだ」
「空気も読めないのか」
「人の道……兄の道をそれっぱなしだからなぁ」
男子生徒の口勝手な言い分も、この時は正論に聞こえてしまう。
「友人、心配だね」
七色も髪形を気にしながら心配していた。
「そうだな……」
そうだなぁ、今日は雨が降りそうだからさっぱり系の晩御飯を作ろうかな。
ふむ、ちょっと早い気もするけれど冷やし中華で行ってみようと思う。
家に帰りついてみると、雨が降っていた。
「来ちゃった」
「友人……」
そして、俺のアパートの前にはリュックを背負って泊まる気満々の友人が立っていた。
――――――――
そんな、夢を見た。
「……悪くはないんだけどなぁ」
友達がこの部屋にやってくるのは悪くない。中々楽しい毎日が遅れそうだ。
悪くはないものの……連泊となれば話は別だ。
何故なら、うちにはお年頃の妹がいるざます。
変態に磨きがかかりつつある友人に(最近、ノーパン主義に目覚めた)、おいそれと泊まってもらうわけにはいかないのだよ。
今でさえ、葉奈ちゃんは風呂上がりが無防備だからな。あんな姿を見せたら友人を叩きださねばならなくなる。
「どうするかなぁ……」
この前見た夢が現実になったからと言って、簡単に信じるわけにもいかない。
そもそも、内容通りの展開になるはずがないのだ。
「ばかばかしい……」
馬鹿にしつつも、もしかしたらそんな事もあるかもしれない。そう思ってしまう俺は日本人思考に違いないね。
信じていないけれど、つい気にしてしまう。
俺より先に葉奈ちゃんが出ていってしまい、洗濯物を干して外へ出る。
「……」
俺が遅くなった理由は単純なものだ。もう一つ、お弁当を作ったのである。
これを友人に毎日渡せば未然に夢の内容である喧嘩の種を防ぐ事が出来る。
男子の友達にお弁当を作ってやるなんて個人的に嫌な話だ。
そりゃあ、普段世話になっているのなら作っても何ら問題はないと思う。そうやっておホモの友情……じゃなかった、男の友情を深めるのも青春だろうさ。
さしたる理由もないのに、お弁当を作ってくるのはいかがなものか……しかし、俺が講堂を起こさなければあの二人は喧嘩してしまう。
何だかんだ言って夢の内容を信じてしまっている事に気づき、一人苦笑してしまう。
「冬治先輩、おはようございますっす」
「あ、夢ちゃん。おはよう」
「っす! 朝から冬治先輩に会えるなんて夢みたいっすね」
「はは、そんな大げさな……」
肩までの髪を揺らすぐらいのジャンプに再び苦笑してしまう。夢中夢というわけじゃなさそうだ。なんとなく、そう思う。
一緒に登校を始めたら今後起こるかもしれない展開を気にするわけにもいかないし、変な事を考えている場合でもない。
ただ黙って歩いているだけだと変な先輩だと思われてしまう。
「ねぇ、夢ちゃん」
「なにっすか?」
「只野家のご家庭事情を聞くようで悪いんだけどさ、友人って家事やるのかな」
「やらないっすよ」
特に変に思っている風でもなかった。
「あ、やっぱり。夢ちゃんが全部してるの?」
「ま、そうっすね。母さん達は先週から海外旅行中っす」
その言葉にどきりとする。
うん、そういえば……夢の中でも旅行中だと言っていたな。
今日か明日、おそらくどちらかで……事が起こるはずだ。
「あのさ、夢ちゃん」
「なにっすか?」
「……今日さ、一緒に昼ごはん食べない?」
俺の申し出に夢ちゃんはあっさりと頷く。
「いいっすよ。ちょうど今日冬治先輩達のクラスに行こうと思っていたっす。兄貴や七色先輩と食べるとおいしいっすからね。あのクラスの人達は面白い人が多いっす」
連日とは言わないまでも、二日に一回はやってくるため俺のクラスメート達の間では結構な人気者だ。男子からは妹分として、女子からはこれまた同じく妹分として、兄である友人よりもまともで、優しく、気がきくから人気になるのだろう。
眼鏡を取ったら可愛いと噂になっているが、滅多に外さないためレアものと噂が出ている。
「それで、誰を誘うっすか?」
純粋無垢なところがあるからな、にこにこ笑っている夢ちゃんを騙すようで悪いが……これも只野兄妹のためである。
「あ、そうじゃないんだ。二人で食べようと思ってさ」
「え?」
きょとんとした表情で俺を見る。
「場所は……そうだ、屋上なんてどうだろ?」
「え、えーと? 新手のジョークっすか? 心臓に悪いっすよ」
戸惑いつつも、いつもみたいに笑い始めた。
このままだとなぁなぁで終わり、結局は喧嘩が勃発しそうである。
「いやいや、マジだよ。ほら。見ての通り、お弁当を作ってきてるんだ」
鞄の中からお弁当箱を取り出して見せる。
「ま、マジっす」
「ああ、俺は本気だよ。夢ちゃんに食べてもらいたくってね」
「あ、でも……自分もお弁当を持ってきているっす」
そういって夢ちゃんは鞄から小さなお弁当箱を取りだした。
「そっか、家事しているからそうだよねぇ」
冷静に考えてみりゃそうだわな。
友人のお弁当を作っているのだから、自分の分を作らないわけがない。
「冬治先輩のお弁当は誰が作っているんすか? お母さん?」
まるで居心地が悪いとばかりに話を逸らすつもりのようだ。
居心地が悪いと言うよりも、頭がパンク寸前なのだろう。顔を真っ赤にしている。
俺も一度、身長に動いたほうがよさそうだ。
「俺が作っているよ。葉奈ちゃんと一緒に二人暮らしだからね」
「へぇ、やるっすね。凄いっすよ」
「夢ちゃんだってやってるんでしょ。別にすごくないよ……しかし、困ったな。お弁当が無駄になりそうだ」
このままだと駄目なようだな。普段から食べていれば問題なかったろうけどさ。
ま、どうせお弁当を友人がこぼすのだ。そうなった時のために俺の机の上に置いておくかな。勝手に食っていいよと友人に告げておけばいいだろう。
「冬治先輩」
「ん?」
お弁当箱を俺に近づけ、夢ちゃんは決心した凛々しい表情になっていた。兄がちゃらんぽらんな所為か、彼の妹には見えなかった。
「これ、兄貴に渡しておいてほしいっす」
夢ちゃんはそう言うと俺にお弁当を押しつけた。
「そのお弁当は、自分がもらうっす」
「そ、そう?」
「はいっす! 兄貴ならぺろりといけるっすよ」
意外と大食いなのかもしれない……俺は夢ちゃんから受け取ったお弁当箱を落とさないように気をつける。
「そのお弁当、もらっていいんすよね?」
「え? あー、うん。一緒に食べてくれるって事?」
「じゃ、じゃあお昼休み屋上で待っているっす!」
俺の質問には答えず、お弁当箱をひったくるようにして走り出した。
「おーい、夢ちゃん?」
「このままお昼まで楽しみにしとくっすー」
一体何を楽しみにしておくのだろう?
突如元気になった下級生に首をかしげ、俺は只野兄妹のもう一人の事を考えるのであった。
「友人」
「何だ」
ぼけーとした表情で教室に入ってきた友人に夢ちゃんのお弁当箱を渡す。
「あれ? それ夢の弁当箱じゃね? 何で冬治が持ってんだ?」
「拾ったんだ」
「拾い食いは良くないぜ。ま、うまいけどさ」
平時だとちゃんと夢ちゃんの弁当がうまいって認識しているんだな。
これ以上ちょっかいを出して話がこじれたらまずい。俺は肩をすくめるのだった。
「冗談だよ。夢ちゃんがお前に渡してくれってさ。今日の昼、要らなくなったってよ」
「ほー、ま、あいつの料理はうまいんだが、食いあきてるからなぁ……」
それもそうかもしれない。
でも、そういう配慮に欠ける一言は結構ぐさりと来るもんだ。
「じゃ、俺がもらっていいんだよな?」
「待てよ。誰もやるとは言ってないぞ」
口では文句を言いつつも、結局食べたいのだろう。
「なぁ、友人」
「何だ? まだ弁当箱が出てくるのか?」
「出てこねぇよ。どれだけ弁当楽しみにしてるんだ……」
全く、愛変わらずアホだ。
「一回だけでいいんだけどよ。何か失敗をして誰かに責められても歯を食いしばって謝ってほしいんだ」
「はぁ?」
当然、変な顔をされた。
「何だ、何かの布石か?」
「……予防線みたいなもんだよ。それとお前に百五十円くれてやるよ」
「本当に何か悪いものでもくったんじゃねぇか?」
「そんなんじゃねぇよ。いつも友人にはお世話になっているから、そのお礼だ」
爽やかーに微笑んで見せる。
「まー……一応、もらっとくけどよ。お礼なんて言わないからな?」
「ああ、それでいいよ」
将来、詐欺師になれるかもしれない。
困惑気味の友人の手にお金を握らせ、俺はため息をつく。
「僕には?」
「七色か? 飴しかないけどそれでいいか?」
「うーん、じゃ、要らない」
俺の目論見通りうまく行ってくれるだろうか。打てる手は全部打ったつもりだ。
四時間目が終わるとすぐに、俺は弁当箱を持って教室を出て行った。
「今日はこのぐらいにしてやらぁ!」
「あ、おい、冬治……」
俺が一体何をしようとしているのか、クラスの連中にわかるはずもあるまい。
さっさと廊下を走りぬけ、屋上へ続く階段を脱走兵よろしく駆け上がる。
この勢いなら屋上から羽ばたいてどこへでも飛んで行けそうだ。
「ふぅ……」
走り抜けた先、心地よい風が吹きつける……わけもない。
六月だ、梅雨だ、曇天だ。
今にも喚き出しそうな曇り空の下、眼鏡少女が顔を真っ赤にして俺を待っていた。
「夢ちゃん、早かったね?」
ぎこちない感じで笑みを浮かべ、盗み見るように俺の顔を伺っている。
「ちょ、ちょっとだけ、早く授業が終わったっす!」
「ああ、そうなんだ」
迎えに来られていたらそれはそれでまた違う悲劇が起こっていたのかもしれない。
そこまで面倒見切れないぞ。
タイムマシンなんていい物は残念ながら開発されていない。
未来を変えて、その未来も気にいらなかったとしても……変える手立てはないのだ。人間の人生は物語の主人公よろしく、やり直しは利かない。
そんな人間の中にも未来が見える人だっていると思う。でも、その人間にプラスアルファとして時間を巻き戻す能力は備わっちゃいないだろう。
どこに座ろうかと考えていると、鼻先を何かが掠めて行った。
反射的に、くもり空を見上げてしまう。
「あ、振ってきちゃったっすね……」
「ああ、そうだね。あの小屋に行く?」
俺は屋上の隅にある小屋を指差した。
「あそこは鍵がかかっているっす」
「そっか」
夢ちゃんとの屋上でのお昼は雨天中止と相成った。
二人で屋根のある階段踊り場まで退散し、雨空を見つめる。
「ついてないっすね」
「そうだね」
少々残念だけど、友人と夢ちゃんが喧嘩しなくてよかったと思う。
「……何だか、冬治先輩嬉しそうっすね?」
「そうかい?」
夢ちゃんに指摘されて首をかしげる。
「ま、雨は降って来ちゃったけどさ、雨を見ながらお昼を楽しむのも悪くないんじゃないの?」
「あの、階段踊り場で食べるつもりっすか?」
「場所は関係ないよ。俺は誰と一緒に食べるかで弁当の味なんて変わると思うから」
リノリウムの床に腰をおろし、遠慮なくお弁当箱を開ける。
「えーと……お隣失礼するっす」
「どうぞどうぞ」
やはり、雨を見ながらのお昼ご飯は嫌だったのか、それとも俺のお弁当がまずかったのか……この日の夢ちゃんは変に大人しかった。




