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闇雲紗枝:第十話 挨拶は重要

 お姉ちゃんの計らいにより、紗枝さんと甘い生活が送れるかと思えばそうでもない。

 今日は恋人になって初めての休日だ。

「冬治君、八枝を起こしてきて」

「紗枝さんにお譲りします」

「だってあの部屋怖いもん」

 俺の部屋で一緒に住むと言っていたはずだが、気付けば俺が紗枝さんの部屋で生活していた。

 理由は簡単で、紗枝さんが和室で……見てしまったのだ。

 それはもう、凄かった。



「本当に出たの! 出てくる前にも壁から話声が聞こえて……何だろうと思って耳をくっつけてみたらお経が聞こえて、身体が動かなくなったの! 押し入れが開いて、そこから黒くて何かドロドロした奴が……冬治君が扉を開けたら居なくなったの……」



 何かの錯覚なんじゃないかと言おうとして辞めた。

 お経の方は俺も何度か聞いたからなぁ。

 その日は俺の部屋で紗枝さんを慰め続け朝を迎えた。

 恋人同士の甘ったるい雰囲気は吹き飛んでホラー映画さながらの緊迫感があった。

「冬治君の鼓動の音しか聞きたくない……」

 そういって紗枝さんは俺の胸に胸を着けていたから聞こえなかったのだろう。

 俺にはばっちり、和室の方からお経が聞こえていたのだからな。

 あれはなかなか来るものがあった。

 お姉ちゃんがあの和室に居る時は何もなかったようで、多少寝苦しいものはあったが睡魔には勝てないと言っていた。

「ああ、多分あれよ。紗枝が夜中に目を覚まして向こうもこりゃ久しぶりに脅かせるチャンスだと張り切ったのよ」

 頑張りすぎである。

 ちなみに、お姉ちゃんが俺の部屋を占拠し始めた日から和室は平穏になったそうだ。

 多分、お姉ちゃんが気付いていないだけだと思う。

 ま、そんな理由があるので部屋には入りたくないのだ。

「俺が言ってもいいですけどね……また蹴り飛ばされたくないし」

 ノックをして、起きてこなかったので中に入って近づいた。

 すると、胸倉掴まれて蹴りあげられたのだ。

「寝起き、滅茶苦茶機嫌悪いからね」

「……ええ」

 そして、寝技をかけられているところに音を聞きつけ紗枝さんが助けにやってきてくれた。

「後数分遅かったら和室に俺も化けて出るところでしたよ」

「怖い事言わないでよ!」

 そういって抱きつかれる。

 うん、悪くないな!

「もう無視しちゃいましょうか」

「そっか。そうしよう。たまには二人っきりで朝ごはん食べたいもんね」

 彼女が喜ぶ姿を見るのは嬉しいものである。

 しかし……この後が怖いんだよなぁ。

 お姉ちゃんは根に持つタイプだし、一応起こす努力はしたと言っておこう。

 三人分の朝食を並べたところで席に座る。

 紗枝さんは笑っていた。

「どうしたんですか」

「何だか新婚さんみたいだなーって」

「はは、そうですね」

「……おはよー」

 まぁ、こういう時に邪魔が入るのは良くある事だ。

 玄関から八枝さんが眠たそうに瞼をこすって現れた。

「紗枝……起きたの?」

 少し不機嫌そうな紗枝さんに気付く事もなく、定位置へとついてご飯を食べ始める。

「……うーん、まぁ。朝だし。それに今日は挨拶に行く約束をしているから」

「挨拶? 誰に?」

「……あの似非紳士よ」

 そう言って今一つ話が飲み込めていない俺を見た。

「あんたの、家に行くの」

「え? 俺の実家ですか。まだ早すぎますって! 付き合い始めたのは最近ですし……」

 お姉ちゃんは眠気が飛んだのかきょとんとして俺を見ていた。

「や、やだ冬治君ってば……」

 そして、紗枝さんは顔を真っ赤にしている。

「ああ、違う違う。まだそっちの挨拶じゃない。あたしたちは独立しているから親権とかじゃなくて冬治と、葉奈の兄妹として見てほしいと言いに行くのよ。筋は通さないとね」

「何だ……」

 ほっと胸をなでおろす。

「でも、いいんですか? お姉ちゃん、あの父親の事嫌いなんでしょ?」

「まぁね。冬治も嫌いなんでしょ?」

「ええ、好きではないです」

 熱く握手を交わし、俺もみそ汁を啜った。

「どうして? そんなに悪い人かなぁ?」

「紗枝さんは比較的あっちよりですね」

「そうね、葉奈も何だかんだ言って父親だし……それなりに敬意は払っているでしょ」

 葉奈ちゃんがどうなのかは知らない。

 ま、姉妹であるものの仲がいいのかどうかさえ本当の所わからないのだ。

 俺はため息をつきながら自分の母親の方を考えた。

 母さんはどんな顔をするのだろうか……まぁ、あの人なら興味を持たないだろうなぁ。俺に似て、いい加減なところがあるし。

 紗枝さんの運転で俺の実家までやってくる。

「うー、緊張する。息子さんを私に下さいってとても短い文章なのにね」

「……紗枝、違うわよ」

「あ、そっか」

 授業中は凛々しいのに、困ったものである。

 三人で敷居を跨ぎ、チャイムを押した。

「はーい……冬治に……先生?」

「副担任の闇雲紗枝です」

 見事に教師モードへと切り替わった。

 恋人ながら、頭の回る人だと思った。

「あの、何で腕を組んでるんですか?」

「あ、本当だ……」

 上っ面だけ教師になっても駄目だな。

 駄目なところも可愛く見えてしまう。

「こういう事だよ、母さん」

「あ、そうなの? ま、いいわ。とりあえず三人とも入りなさい」

「冬治のお母さんって軽いわね?」

「うん、いい加減な性格なの?」

 散々な言われようである。

 俺たち三人を招き入れる。

「冬治、お茶を入れて」

「りょーかい」

 客としてきたものの、実家なので動くしかないだろう。

 廊下の向こうから戸籍上の父親がやってきた。

「やぁ、お帰り冬治君。まさか帰ってくるとは思わなかったよ。ぼくも久しぶりに休日が取れてね」

「……あっちに行ったらもっと凄いものが見れますよ」

「そうかい? 何かプレゼントでも持ってきてくれたのかな」

 そういって応接間へと向かっていく。

 ええ、とびっきりのプレゼントですよ、とは言わなかった。

 背中を見送ることなく、お茶を注ぐためにリビングへとやってきた。

「あ、兄さん。お帰り」

「葉奈ちゃんもあっちに行ってみるといいよ」

「ん? お客さんでしょ? 誰だろ……只野かな」

 そういって廊下を通って行った。

「すごいのを捕まえてきたわねー」

 母さんはいつもの調子でお茶菓子を準備している。

「まぁね。それよかさ、案内してくれた部屋にお化けが出るんだけど?」

「へぇ、よかったわね」

 よくねぇーよと内心毒づいてお茶を六つ準備する。

 母さんと一緒に和室に戻るとお互いに苦い顔をして座っている父とお姉ちゃん、はしゃいでいる妹と紗枝さんの姿があった。

「お茶が入りましたよ。冬治、配って」

「はいはい」

 全員の前にお茶をついで、父親、母さん、葉奈ちゃんの前に俺、お姉ちゃん、紗枝さんで座る。

 一体誰から喋るのか……そんな雰囲気が漂っていた。

 何かしゃべる事があるのなら俺が真っ先に口火を切るつもりだったが生憎何もない。

「息子さんを、私に下さい!」

 そして、口火を切ったのは紗枝さんだった

「駄目!」

「そこは葉奈ちゃんが答えるのか……」

「お父さん。あんたのことを父親と認めるのは嫌だけど、冬治の姉にはさせてもらうわ。その為に、此処に来たの」

「……僕は構わないが、彼女が何と言うか」

 父親と八枝さんの方でも話が始まる。

「わたしは別に構いませんよ。冬治、よかったわね。お姉ちゃんが二人も出来て」

「え、あ、うん。一人は恋人なんだけど……」

「ああ、そうだったわね」

 どうでもよさげにお茶菓子を食べ始める母と、俺。

 再婚するまで二人だったし、家族がこんなに騒がしくなるとはなぁ……そう思えた。

 話がどんなふうにまとまるのか全く想像もつかない。

 俺と母さんは何だか蚊帳の外だ。

「母さん」

「ん?」

「まさかあっさり教師を恋人として認めてくれるなんて思わなかったよ」

「んー、そうねぇ……今は問題あるけれど、卒業してしまえば問題ないわ」

 確かに、そうだが、もうちょっと反対しそうなものだ。

「それにね、お母さん自体色々とあったからね。息子の事をとやかく言える立場でもないのよ。ま、浮気にだけ気をつけるように」

「はぁ、肝に銘じておくよ」

 娘だと両親の馴れ初めに興味を持つかもしれないが、俺はどうでもよかった。

 最終的に、『俺が父親と会話するのなら姉弟を認め、恋人も認める』という結果に落ち付いたのだった。

 まぁ、そのぐらいならいいかなと約束したものの、俺は一人暮らしを頑として譲らなかった。

「たまには戻るよ。今だと学園に近いからさ」

「そうかい? まぁ、変に無駄遣いもしていないようだから僕はいいよ」

「わたしも異論はないわ」

 何とか一人暮らし続行の許可を頂いたのだった。


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