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闇雲紗枝:第二話 あなたは勘違いしている

 目が覚めたら見知らぬベッドで寝ていた。

「おはよう、矢光君」

「……?」

 そして、何故だか半裸の闇雲先生が隣にいた。

「はれ? 何で闇雲先生が?」

「もぅ、他人行儀はやめてよ。紗枝、って呼んで」

「……はぁ?」

 脳内で至急記憶再生が行われる。

 そうだ、俺はビールを飲まされて……その後の記憶が無かった。

 やられた、アルコールでどうにかするんじゃなくて薬を盛られたのか。

 まさか生徒相手に其処までするのかよと信じられない思いで闇雲先生を見る。

「そんなに熱い視線を送られると困っちゃう」

「……」

 しばらく考え、一旦頭を冷やすことにした。

 そういえば、ボイスレコーダーがあったなぁ。

 あれを聞いてみることにしようと思う。

「ま、なにはともあれ俺は部屋に戻りますよ」

「クールなのね?」

「ええ、まぁ」

 もし、心のよりどころの携帯電話がなければ頭の中が真っ白になっていただろう。そもそも、あの計画帳とやらを読んでいなければボイスレコーダーなんて考えつきもしなかった。

 まさかガラケーが主人のピンチを助けるとはなぁ……物は大切にするべきである。

「くそ、バッテリーが切れてやがる」

 自室前で携帯電話を確認した俺はパワーボタンを押してもうんともすんとも言わないガラケーにため息をついた。

「空気を読んだのか? うーむ……」

 まぁ、電池あっての物種である。

「ん?」

 部屋でシャワーでも浴びようかと中に入る。そして、新聞受けに何かが入っている事に気付いた。

 手に取ってみると三枚の書類がまとめられたものだ。

「……親愛なる矢光冬治様へ。もし、あなたはこの文字を読んでいる時、面倒事に巻き込まれていますか? そうだと思うのなら次のページへお進みください……」

 俺は黙って書類をめくった。

「……これを読んでいるとき、平日ならば普通に学園へと登校してください。もし、休日の場合はこのまま部屋で大人しく過ごしてください。学園に通う日がやってきたら一時間目に授業を抜け出し、保健室の先生にベッドを褒める話をしてください。ついでに、精子の話もしてみてください……」

 滅茶苦茶で、意味のわからない文章が綴ってあった。

「……最後に、この文章を書いた持ち主を信用するのなら最後のページへ進まず、このままゴミ箱へ捨ててください……か。何だこりゃ」

 一分迷って、俺はゴミ箱へ紙を突っ込む事に決めた。

 深く考えない方が身のためだろうな。

「さーて、くだらない文章読んで時間がつぶれたし、さっさとシャワーを浴びないとな」

 日本人という者は、占いは信じないが……結果を気にかけるものだ。

 誰かの言葉を思い出し、俺は学園へ向かう準備を進めるのであった。

 一時間目は闇雲先生の授業だった。

 その前に、朝のHRで担任の先生が学園に来ていないと知らされ、席替えが行われた。

 俺の席は一番後ろだったのに、教卓の目の前へと移動……かなり最悪である。

「じゃあ、ここは誰に答えてもらおうかな―……あ、冬治君と目があっちゃったね」

 芝居がかったセリフにクラスメート達が騒ぎ始める。

「嘘だろ? あの先生があんなに甘い声を出してる……」

「こりゃ、事件の前触れなのでは?」

「今日も仲良く登校してきたし……怪しいぞ」

 ここのクラスメートは勘が鋭い連中が揃っているようだ。

 俺は平静を装って黒板に答えを書いた。

「そう、正解だよー。はい、みんな拍手!」

 クラスメートの適当な拍手に俺はため息をついた。

「あれ? どうかしちゃった?」

「いや、何でもありません。ただちょっと疲れちゃって」

「疲れた……ああ、昨夜は激しかったもんね」

 そういって意味ありげにクラスを見渡した。

 男子はざわつき、女子生徒も俺を見て引いている。

「手が早すぎ」

 友達である七色はノートにそんな事を書いて俺に見せてくる。

「腰振りすぎ」

 これはアホの友人のノートに書かれた言葉である。

「先生、機嫌が悪いんで保健室に行ってきます」

 そこでまたざわつき始める。流れで出て行こうとしていただけに、見破られたのか? そう思ってしまう。

「はい、みんな静かに! 一人で寂しいよね。先生が添い寝、してあげようか?」

「じゃ、行ってきます」

 肩に手を置こうとした先生を避け、俺は教室を後にするのだった。

「……いや、俺は別にあの文章通りにしようってわけじゃないぞ」

 誰に言うでもなく、言い訳をしながら廊下を歩く。

 保健室まで数分でたどり着き、扉を開けた。

「失礼しまーす」

「ジョセフィーヌ……今日もごつい肢体をさらしてくれているね」

「……」

 異様な光景と言ってよかった。

 保健室の先生と思われる白衣を着た人物が、ベッドの淵に腰掛け、足を組んでいる。そして、優しく縁を撫でていたのだ。

「おっと、生徒さんか。ごめんごめん」

 別にばつが悪そうな顔をするでも無し、ベッドから立ち上がり、俺に近づいてくる。

「あ、あのー……」

 気分が悪いんです。

 そう言う前に俺はベッドの話をすることにした。

「ベッドって、凄くいいですよね」

「おや、君はわたしのことを知っているのかな? うーん、何だかどこかで会った気もする……気が、しないでもないし、する気がしないような気がしないでも……」

 どっちだよ。

「あ、いえ……俺、今年の春に転校してきたばっかりなんです。多分、会ってませんよ」

「ふむぅ……そうか。初対面でベッドのよさを呟くとはいいセンスをしているね」

 褒めてくれているのだろうけど、全然嬉しくなかった。

 それでも、あの文書に何故ベッドを褒めろと言う言葉が書かれていたのか納得出来た。

 あとはこのまま精子の話に続ければいい……しかし、どうやって切り出せばいいんだ?

 黙りこんだのがまずかったらしい。

「さ、こっちへ来るといいよ」

「え? あ、はい」

 保健室の先生は優しく俺の腕を引いて椅子に座らせた。

「君はベッドのどこが一番いいと思ってるんだい?」

 食いつき気味に顔を近づけてくる。

「……はぁ、個人的な感想ですが……」

 そう前置きして考える。

「柵、ですかね」

「それは何故だい?」

「えーっと、柵は人によって必要な物です。ベッドについていたり、なかったりしますよね?」

「ああ」

「ベッドが人と共生しよう、そう思って辿り着いた一種の進化の末だと思うんです」

 俺の言った言葉が理解できない人は要るだろうか?

 安心してほしい、俺自身……なにを言っているのかよくわかっていない。

「そうか、わたしは原種が素晴らしいと考えていたが……ふむ、なるほどな。そう言う見方もあるのか」

 顎を撫で始めたところで俺は精子の話を持ち出すことにした。

 恥ずかしいが、相手は保健室の先生だ。真面目に答えてくれるはず。

「あの、精子の話なんですが……」

「なるほど。ここで生死の話を持ち出してきたか……二年という事は……十七歳ぐらいだよね?」

「は、はい」

「うんうん、そういう年頃だな。わたしもその歳には深く考えたものだ。生死、生命の神秘、自分のルーツ……そして、ベッドへとたどり着いた」

 鳴る程、それは一理あるかもしれない。

 ベッドインって言葉も使うもんなぁ。ベッドに結びつけるのは間違いないだろう。

 何より、そう言う事をする場所だ。

「君は死んだらどうなると思う?」

「え? 死んだらどうなるかですか?」

 突拍子もない事を言われて驚いた。

「そうだ。生死を語る上では必要な事だよ」

 た、確かに精子は生まれる前の出来事だよな。卵子とくっついて受精し……そんで、胎児が出来あがるんだよな?

 赤ん坊が生まれ、成長し、子を成して、老いる。そして、死ぬのだ。

 時の権力者はそれを恐れ、不老不死の薬を探させたりしたしなぁ。

「え、えーと……その、よくわかりません」

「はは、何も恥じることはないよ」

 先生はほほ笑むと腕を組んだ。

「こればっかりはどんな科学者よりも詐欺師や宗教家の方が饒舌に語る事だろう。そもそも、現代人はまともに取り合おうともしない事だ……身近に迫らなければね」

「は、はぁ……そう、ですかね

 今一つピンとこなかった俺に先生は考え込む仕草を見せる。

「まだ、若いからあまり納得できないかな。ま、それだけ平和と言う事だな。そうだね、せいの方がまともに受け入れられるだろう」

「せ、性ですか……」

 うん、精子の話により近くなってきたかと思う。

「基本、オスとメスが交尾し、精子と卵子がくっつき、生まれてくる……それが生命活動の始まりだ」

 さすが保健の先生である。

 ちっとも恥ずかしい表情をせず言ってのけた。

 ついでに、腰まで振ってくれた……色々と困るぞ、おい。

「生まれてきた個体も餌を求め、いずれは優秀なメスを求めて子を成すのだ。その個体のせいとはそのままさがである。わたしはそう思うよ」

「た、確かにそうですよね」

 せいとはさがか。まさしくその通りだ。

「しかし……世の中にはこの生命の輪廻に外れる者もいる。もちろん、諸事情で子を成す事が出来なかった者もいるだろう。たとえば、メスと巡り合えなかったオスだ」

 悲劇としか言いようがないな。

「まぁ、とてもデリケートな話だからね。わたしの口から断定的な事は言えないんだ」

「あのー……ちなみに先生は将来を約束した人っているんですか?」

「ああ、いる」

 堂々と言ってのけてびっくりした。

「毎晩、まぐわっているよ」

「まぐわるってそんな生徒の前で……」

 あまり生徒の前で言う事でもない気がする。聞いておいて悪いけどさ。

「ほら、そこで君を見ている」

「……え?」

 視線を向けた先にはさっき先生が座っていたベッドがあった。

「名前はジョセフィーヌだ」

「は? ベッドですよ」

「そうだ、ベッドだ」

「無機物ですけど?」

「喋るよ?」

 物言わぬベッドが喋るわけもないし、いきなり擬人化してくるわけでもない。上から見たり、下から見たけどそう言う事に必要な物がないぞ。

「無機物との間に子どもが出来たら……凄いとは思わないかい?」

「いや、あり得ないでしょ。だって、ベッドですよ? 人間じゃ、ありませんよ? ねじとか鉄製の材料で仕上がってますよ?」

 もし生まれてきたら奇跡である。

「では、聞こう。そうだな……人工の卵子に人造の苗床、もしくは精子でもどちらでもいい。全て人工的に作りあげたものを使用し、子どもが出来た……その場合、その子は人間じゃないと言う事か?」

 しばらく俺は考え、自分なりの結論を口にする。

「厳密に言うと違うんじゃないんですかね?」

 なにを持って人間と成すのかよくわからない問題だ。

 そもそも、そんな難しい事案をろくに勉強もしてない現代っ子に聞かないでほしい。

 反論してくるのだろうか? それとも、納得するのか?

 だがどちらをとる事もなく、先生は無表情のままベッドを撫でた。

「……世の中には精子に原因があったり、卵子に異常があったりで子を成す事が出来ない人達も居る。その人達が自分の子どもを欲することは悪い事かな?」

 凄く重い気分になってきた。

 もしかして保健の先生は……。

 仮病で保健室に来るのは間違っていたようだ。

 何か役立つような話はあったか? ベッドの話にまぐわっているとかいうふざけた話、不妊症の話程度しか……。

「ん? 精子に……原因? そんなことあるんですか」

「ああ、あるよ。男性不妊症っていうんだ。最近じゃ良くある話さ」

 関係ないけどねと言わんばかりにベッドを先生は撫でている。

「……な、なるほど」

 何だかあの文章の意味がわかって気がしてきた。

「あ、あの、先生!」

「何だい?」

「あの、そういう研究もしているんですか?」

「そういう研究? ベッドかい?」

「いえ、精子です!」

「生死? ああ、人間の永遠のテーマだからね。死ぬまで頑張るつもりだよ」

 すげぇ。そこまで熱心に勉強しているのにベッドとの間に子どもを成そうとしているのは実に残念だ。

 いやいや、もしかしたら研究の末に行きつく先じゃないのか? 無機物との間に子どもを成そうだなんて……やはり研究者というのは常人と感覚が違うんだな。

「あの、今後変なお願いをするかもしれません」

「変なお願い?」

「はい。俺の精子についてです」

「君の生死について? 何かおかしいと感じるのかい?」

「いや、そういうわけでもありません。ただ、いつか先生に説明してもらいたい人が出てくるかもしれません」

 紗枝先生に子どもが出来たと言われた時、この保健室の先生に助けを求めよう。

 さっきの話をすれば闇雲先生も納得してくれるだろう。

 そして、この先生の口から『彼は男性不妊症だ』と言ってもらえれば……本当は嘘だが、無実は証明されたも同然である。

 まぁ、それならこっちで調べるから出せー! と言われるかもしれんがね。最悪時間稼ぎにはなるだろう。

「君の生死についてか……そういえば君の名前を聞いていなかったな」

「あ、俺の名前は矢光冬治です」

 俺の名前を聞いた時、保健室の先生はぎょっとなった。

「そうか、いい名前だね」

 そう思ったのも気のせいだろう。

 すぐに微笑んで褒めてくれた。

「おっと、そろそろ休み時間になるな。ところで君は授業に出なくていいのかい?」

「あ、そうでした。実は気分が悪くなって先生の所に来たのですが……先生と精子の話が出来て良かったです!」

「うん、いい表情だ。多かれ少なかれ、誰しも生死について考える事がある。とりわけ生は重要な事だからね。なにをしていても頭の片隅に置いてあるもんだ」

 誰しも精子について考える事がる。とりわけ性は重要な事だからね。なにをしていても頭の片隅に置いてあるもんだ……か。

 保健の先生が真面目くさって言うとまったくいやらしさが無いぜ。すごく学術的な意味が込められている気がするよ。

「失礼しました」

「気が向いたらまた来るといい。あとは怪我をした時だな。ベッドは君を待っているよ」

 それも嫌な話である。



―――――



 静かになった保健室で、その部屋の主が口を開いた。

「驚いたね。立派に育つものだ」

「そうね」

「おや、あまりジョセフィーヌは興味が無いのかい?」

「ええ……あら、誰か来たわよ」

「今日は来客がおおいものだね、やれやれだよ」

「小種先生。矢光冬治、という生徒が来ませ……校内は携帯電話禁止ですよ。誰も取り上げませんから隠さなくて結構です」

「悪い悪い。ジョセフィーヌと話をしていたんだ」

「はぁ、また独り言かと思っていましたが……ま、居ないのならいいんです。失礼しました」

 そういって教師は去っていった。


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