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葉奈:第十話 原点

 二学期の中間テストがそろそろ始まる……そんな時期に、葉奈ちゃんは誰よりも俺の近くにいた。

 自他共に認める存在になりつつあった。

 休み時間は当然やってくるし、お昼御飯は俺と共に食べている。帰るのも一緒で、廊下に出ると待ってくれていた。

「おいおい、シスコンかよ」

「そ、そんなわけねーだろっ」

 そういったやり取りをちょっとだけしたかった俺の希望はもろくも崩れ去った。

 周りが実に寛容で『葉奈ちゃんがヤンキーだと聞いていて嘘だと分かった。酷い兄貴だと思った』『ここまで兄想いの妹さんも珍しい』『お嫁に下さい』等々……。

 こんな感じの俺の株は下げられ、葉奈ちゃんの株は上がりつつあるこの状況、今後どうなるのだろうか。

 まぁ、中間テストになればさすがに勉強の話も混じってくるわけで、学園でも勉強して学校でも勉強なんて勉強漬けの生活に明け暮れる必要があるのだ。

「羽津学園に馬鹿は要らないんだよ」

 学園長か校長がボタンを押せば足元が抜けて暗黒空間へ、そんな事があってもいいぐらい酷い点数をとったものは次のテストで挽回するのが通例だ。

 ちなみに、挽回できなかった者はどうなるか知らない。

「世間の荒波にもまれ、藻屑となった人をわたしは沢山知っている。ならば、この学園で疑似的に荒波にもまれて藻屑になればその時のショックも少ないのだ。受け身を知っておけばある程度ダメージは防げるからな」

 この言葉が学園長の思いつきで無いと信じたい。

 どうせ家じゃ勉強しないからと考える人は他にもいるようで、俺ら以外にも図書館に人がいる。

 畳のスペースもあり、四人がけの台にもレバーをあげれば仕切りが登場する仕組みだ。

 単純に見えなくするだけ……こうすることにより他人だからと嫌煙する必要性も薄れる……何故か体育委員長がこの前発表していた。

「冬治さんこっちに来て」

「ああ、いいよ」

 友人と七色は後からやってくる予定だ。しかし、これだけ混雑していれば一緒の席に着く事は困難だろう。

 事実、俺と葉奈ちゃんが座ればもう席はなかった。

 畳の上で胡坐をかき、勉強道具を引っ張り出す。

「二年生は何から始まるの?」

 葉奈ちゃんは俺の腕を掴みながら会話を切りだした。

「確か数学かなぁ。一年生は?」

「社会から」

 元気いっぱいだった頃の葉奈ちゃんが懐かしい。それでも、今の葉奈ちゃんもこれはこれで彼女の一面なのだろう。

 むしろ、図書館が良く似合っていた。

 じっと見ていたからか葉奈ちゃんがこちらを向いた。

「盗み見てた?」

「えーっと、まぁ、そうなるかな」

 妹をじっと見ていたなんて恥ずかしすぎて素直になれないものだ。

「冬治さんがあたしのことを好きだって、答えをくれるのなら……いつまでも見ていていいよ」

 逃げ続けている言葉を久しぶりに言われたのであわてて教科書に視線をそらす。

 最近、忘れがちになるけど葉奈ちゃんから告白されていたのだ。

 それが原因で俺と葉奈ちゃんは別れて生活をしたのだ。答えを出していない最低野郎の俺を葉奈ちゃんは未だに慕ってくれているんだ。

「さぁ、勉強勉強!」

 その後は出来るだけ葉奈ちゃんの方を見ないようにしつつ、かといって極度に背けるような感じにならないような塩梅を目指して頑張った。

「ふー、疲れたね」

「そうかな。あたしは別に疲れなかったけど」

 疲れたのは葉奈ちゃんを見ないように努力した俺の自業自得だ。

 夏に比べれば幾分早く沈み始める夕陽を眺める。

 そんな俺の隣には葉奈ちゃんがいて当然だとばかりに歩いている。

 友人と七色は共に委員会に行ってしまったのでこの場にはいなかった。

 これといって会話があるわけでもないので、二人して黙って歩いている。

 部屋まであともう少し、そんなところで葉奈ちゃんが立ち止まった。

「どうしたの?」

「冬治さん、ちょっとこっち来て」

「ん?」

 葉奈ちゃんに手を引かれて歩きはじめる。

「どこに行くのさ」

「ついてきて」

 すぐにつくもんばかり思って黙って居た結果、三十分かかった。

「ここは?」

「河川敷」

 割り込むようにそう言って葉奈ちゃんはより強く手を握った。

「ここで、あたしは冬治さんを見かけた」

「え」

 梅雨の時のことを思い出したけど、それは違うように思えた。

 あれから半年も経っていないのに葉奈ちゃんの見た目も変わったんだな。

 俺の言いたい事でも悟ったのか、唇を歪めて笑う。

「今じゃ、ストーカーじみた事をするほど……冬治さんのことを好きになった。本当、きっかけなんて見かけただけなのにね。ここで冬治さんは猫を助けた事があるでしょ?」

「猫、ねぇ。ん……?」

 鼻血が出るような錯覚を覚えて鼻っ面を抑える。それが原因だったのか、脳が一気に覚醒する。

「ああ、思い出した。木の箱に子猫がのってた。うん、思い出したけど、あれを見てたんだね?」

 首を振られる。

 じゃあ、誰かのまた聞きなのだろうか。



「あれを流したの、あたしなんだ」



「え?」

 信じられない顔で葉奈ちゃんの顔を見る。不良っぽい顔とも、暗い感じでもない無機質な物だ。

「……まずは、理由を聞こうかね。何でそんな事をしたんだい」

 理由なくそんな酷い事をする娘でもない。事情があってそうしたのだろう。

「離婚が決まってからだった。あたしにとって、父より母の方を親だと思っていたんだよ。でも、母は……あたしの事、要らなかったみたい。気付けば居なくなっていた。あの糞親父は何も知らなかった。判を押しただけ、母は何も要求せず、身一つで出て行った」

 余程夫の事が嫌いだったんだろうな。

 しかし、娘になにも言わず、去るものだろうか?

「たったそれだけのことなんだけどね、捨てられたんだと思いつめたあたしは……多分、おかしくなった」

 ふっ、と息を出して彼女は続ける。

「猫を流して、気を晴らすつもりじゃなかった。あの時間帯は人が多かったもの。誰かしら助けてくれると思った」

「理由になってないよ」

 だらだら話しても結論には至らない気がするのだ。

「……結局、あたしはこの猫がどうなるのか知りたかっただけ。多分、すぐに助けられると思ってね。でも、予想に反してまったく誰も助けにいかなかった」

 人は通っても多分、気付かないだろう。俺だって確か、偶然が重なって見つけたものだった気がする。

 隣町のゲーセンに向かった帰りだったかな。

「その人にお礼を言うつもりだったんだ」

「何故?」

「猫を助けてくれたお礼を、ね」

「そっか、でも俺は葉奈ちゃんに会ってないけど?」

 猫がお礼を言ってくれた記憶はない。

 彼……もしくは彼女は、とっとと俺の前から姿を消した。

「お礼を言えなかったのは……その……」

 彼女は照れて下を向いた。

「一目ぼれしちゃってさ」

「あ、ああ……そうなの」

 どう答えれば正解なのかさっぱり分からなかった。

「それからたまにね、冬治さんは気付いてないだろうけどあたしは探っていたりしてたんだよ。本当、アホらしいと思ってる。今だって冬治さんが知らないだけで……色々とちょっかいだしてんだ」

 最近の暗い表情は消えて明るい感じになっているのは間違いない。

「妹だからって理由じゃなくて、いい加減嫌なら嫌だと断ってほしいんだ。だけど、断る前にもう一度だけ、あたしに告白させて欲しいんだ。あたしは冬治さんが、あんたが欲しいんだよ」

 今度は俺が下を向く番だった。

 でも、逃げるわけにはいかないのだろう。

 ここまで引っ張っておいて、女の子が二度目の告白の覚悟までして……逃げられるわけもない。


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