葉奈:第八話 息子の父親
久しぶりに実家に帰ってきた。
帰って来たくなかったのには理由があるわけで、やはり新しく出来た父親が原因だろう。これから先もあの人とはあまり話をせずに過ごしていけたらいいと思う反面、やはり仲良くできるのならそれに越したことはないと思っていたりする。
今回戻ってきたのにも久しぶりに葉奈ちゃんと兄妹として接したかったからだ。
「傍から見たら気持ち悪い理由だな」
こればっかりは本当にそう思う。
いつからシスコンになってしまったのだ。でも、今では葉奈ちゃんは素晴らし妹だと思えるんだ。
「それに、答えを伝えないといけないしなぁ……」
アホらしい考えが脳内をめぐって行ったところで人の気配を感じ、つい身構えてしまう。実家とはいえ久しぶりにやってきた家は居心地が少しだけ悪い。
「おかえりなさい、兄さん」
出迎えてくれたのは葉奈ちゃんだった。
「……一体どうしたの、葉奈ちゃん」
そして、目の前には想像していた姿とはちょっと違った姿の葉奈ちゃんがいたのだった。
髪質が荒れていたであろう茶髪は今では真っ黒なストレート、派手な私服しかもっていなかったはずなのに、胸に真っ赤なリボンのついた黒のワンピースを付けていた。
「どうしたのって一体何が?」
「え、えーと、何だか雰囲気が変わっているみたいだ。それに、服も普段着ている物と違うし……」
そう言うと軽く笑われてしまった。
「だって、これ兄さんが似合うって言ってくれたじゃない」
「そうだっけ? 俺は見たことない気が……」
「夢の中で、言ってくれたじゃん」
「え?」
ゆ、夢の中で?
俺は軽く混乱した。
「それに、雰囲気が変わっていると思うのは見た目の問題じゃないの?」
「えと、そう、なんだろう……か」
そう言われると自信が無かった。
確かに、見た目は百八十度違っている。葉奈ちゃんの言う通り、見た目が変わったことで雰囲気が変わったように見えているのかもしれない。
しかし、ほんの少し前までは身体から陽のオーラとでもいうのだろうか? そんなものがバンバン放出されていたと思う。
試しに、ケータイで撮った写真を見直しても元気を漲らせるものがあった。
今の葉奈ちゃんは言うなれば魔物のオーラを匂わせている。
「コーヒー入れてお話、しよう?」
「う、うん。そうだな。そうしようか」
まるで亡霊のような足取りで、ああ、亡霊は足が無いな。
中に案内され、俺はこんなにこの部屋暗かっただろうかと首をかしげていた。
「さ、座ってて。準備するから」
「悪いね」
「……気にしないでいいよ」
そして数十秒後、葉奈ちゃんは俺の前にコーヒーを置いた。
「いただきまー……ぐあ、にがっ」
「兄さんのすっごいブラックにしたから。大好きでしょ、ブラックコーヒー」
ふふふと笑う葉奈ちゃんに苦笑いをして一気に飲み干してやった。彼女なりのジョークに違いない。
これが本当のブラックジョーク……みたいな?
胃に悪そうな黒い液体を何とか飲み干し、心の中で悶えているとカップの中身をかき混ぜながら葉奈ちゃんは笑っていた。
「兄さんって、やっぱりモテるね」
「そうかな」
「うん、びっくりしてる」
カップに口をつけて黒い液体を啜っている。
「変な虫が寄り付かないかあたし不安で、不安でっ……仕方が無いの」
恨みがこもったようにカップを少し乱暴に置いた
「変な虫?」
「うん」
どんな虫だよと素で答えそうになった。
それからはテレビのニュースだけが静かな居間に響き渡る。
思えば、この家よりもあちらの部屋のほうが葉奈ちゃんとの思い出は多い。決して長いものではない思い出だけど、楽しかったのは覚えている。
「兄さんお願いがあるの」
目の前に居る相手を忘れて楽しい過去に気持ちを寄せていたのは俺が悪いのだろう。
「何」
ついに、俺の心を聞くつもりなのか……俺は呼吸を整える。
「冬治さんって呼んでいいよね」
お願いじゃなくて確認のようだった。
拍子抜けしたものの、どこかほっとしていた。
別に断る理由もないので軽く頷く。
「うん、別にいいけど」
「そっか、いいんだ。名前で呼ばせて、くれるんだ? 妹なのに?」
「え」
聞きとれなかったその言葉のかわりに凄く昏くて、その割にははしゃいだ笑顔を見せてくれたのだった。
「何か言ったよね」
「ううん、気にしないでいいよ。ありがとう」
多少なりともその後は兄妹としての会話が出来たと思う。
他の兄妹がどういった会話をしているのかはともかくとして、普通のやり取りは出来たんだろう。
そして、そのままその日は久しぶりに実家でご飯を食べることになった。
「久しぶりね、冬治ちゃん」
「冬治君戻ってきたのか」
母親と、あまり顔を合わせたくない父親も食事を始める。その時既に俺と葉奈ちゃんは食べ終わっており、葉奈ちゃんはお風呂に入っている時間だ。
「彼女を見たかい」
「彼女って、葉奈ちゃんのことですか」
敬語が抜けきれないのは未だ他人として捕らえているからだろうか。
葉奈ちゃんと一緒で一緒に生活していればもしかしたらこの人と家族になれると思いたい。
「そうだ」
「ええ、見ましたよ。雰囲気が変わってましたけど」
俺の言葉に首を振った。
「ちょっとぼくといっしょに来てほしい」
指差す先は外だ。車のキーを握っているところを見ると何処かに行きたいらしいな。
母さんの方は何も言わず、俺達を見送っていた。
軽乗用車に乗り込もうとした時、父が呟いた。
「ぼくは普通乗用車が嫌いでね」
「はぁ」
まるで誰かにいいわけを言っているのか知らないが、とりあえず俺しか此処に居ない。その声音はどこか堅い。
助手席に座って車が走り出す。向かう場所なんて聞いちゃいない。
「葉奈ちゃんは……以前にもああ言った事があったんだよ」
「今の状態ですか」
「そうだよ」
わき見運転をするわけにもいかないのだろう。真剣な表情で前を見ている。
夏だからちょっと遅い時間帯でも学生達があるいていたりするから運転に注意しているようだ。
「乱暴そうに見えて見えてあの子は依存性が高いんだ。僕らの前からあの子の母親が居なくなるまで……べったりだった」
あの子の母親という言い方にちょっと引っかかりながら、続きを待つ。
「居なくなって一週間ずっと探していたみたいだけどね」
「あの、一体何が原因で別れたんですか?」
「悪いけどぼくから言うような話じゃあない」
じゃあ聞かせんなボケと心の中で叫んでおいた。
「あんな状態が一カ月続くのならどうかしないといけないと思ってはいた。その頃、仕事が忙しくてね」
苦笑する隣の男性のような人間には成りたくないと心に誓っておいた。
つまり、家族よりも仕事を選んだと言っていい。おそらく、この人の以前の妻はそこに飽き飽きしたんだろうよ。
「ある日、吹っ切れたのか、葉奈ちゃんは茶髪になって帰って来たんだ」
「母親に会ったんですかね?」
「それは、どうだろう。ただ、あれから彼女は思春期の女の子に戻ったのかな……それまでの暗い感じは一切受けなくなったよ」
眉をひそめてため息をついた。
「何があったのか……僕は聞かなかったよ。聞く資格は当然ながら、聞く時間がなかった」
「仕事でも忙しかったんでしょう?」
皮肉のつもりでそう言ったら頷かれた。
「そうだよ」
「仕事の方が大事なんですか」
「君の父親のような事を言うんだね」
このおっさんは、俺の血のつながったほうの父親と知り合いだった事を初めて知った。
「……今の父親はあんたでしょう」
「それもそうだ」
苦笑した後、父は自販機の前に車を止めた。
「何か飲むかい?」
「……缶のお汁粉があるなら」
俺がそう言うとぎょっとして俺を見ていた。
「そんなにおかしいですかね?」
「い、いや……珍しいものを飲むんだね」
ないだろうと予測していたのに、あったかいお汁粉缶を渡される。
所望していて悪いが……飲みたくはないな。
「あの子の兄である君にお願いしたい事があるんだ」
缶コーヒーを飲み終えた父親は俺を見据えた。
「何でしょう」
「葉奈を見ていてやってくれないか。一人の女の子としてでも構わない」
「……考えておきます」
「そうか、ありがとう」
元より、俺は葉奈ちゃんから告白されている状態だ。
いつまで、今の状態を引っ張る事が出来るのだろう……再び発車した車内で色々と考えることはあった。
「……答えてほしい事があります」
「何かな?」
「俺は葉奈ちゃんの兄に見えますか」
逡巡した後、赤信号で止まった。
「そうだね、少なくとも僕はそう思うよ」
「ありがとうございます」
「ところで、僕も聞きたい事が一つできたんだ。聞いてもいいかな?」
俺はしばらく悩んだ末……首を振った。
「いいです。想像付くんで」
「そうか……まぁ、それが君の答えなのかな」
鼻歌交じりのおっさんの隣に座りたくはないな。
俺は家に早く着かないかと少し憂鬱な気分になった。




