葉奈:第五話 雨後の放置
今年は梅雨に入るのが早かったとテレビで言っていた。
連日続くゲリラ豪雨が今日もやってきた。去年も例年より早い梅雨入りだっていっていたけどな。
「持ってて安心、安全、安産……携帯折り畳みビッグサイズパラソルを持ってて良かったぜ」
鞄に入らないのが玉にきずだけどさ。ラージサイズのバックパックじゃなければ入らないサイズなのだ。一人どころか下手するとおデブ二人でも十分カバーできるのである。
普通の傘よりでかいのにこんなのが入るのは本当に登山家が背負ってそうなバックパックくらいだと思う。
「ん?」
一人で入るにはいささか寂しいものがあるが、相合傘をするような相手がいるわけでもない。
隣は空いているのに、入る人はいない。それが現実だ。
家まで半ばというところで一人の女子生徒が佇んでいるのを見つけた。
「葉奈ちゃん?」
ずぶぬれな葉奈ちゃんは何かを抱いていた。
濡れないように傘を葉奈ちゃんの上へ向ける。
「え、兄さんっ」
覗きこむようにして手に持っている何かを確認する。
「犬?」
「あ、う、うんっ、犬っ」
「わんっ」
えーと、この犬種は……何だろう?
「もしかして、それは……アイリッシュソフトコーテッドウィートンテリア?」
「は?」
「あれ? 違った? じゃあ、ノヴァスコウシャダックトーリングリトリバー?」
「え?」
さて、何だったっけ、この犬……多分、ポピュラーな種類だと思うんだけど。
「パグだよ。子犬で、ずぶぬれになってた」
葉奈ちゃんの頭に傘を向けて、しかめっ面をする。
「その犬をどうするつもり?」
「……ん、飼いたい」
葉奈ちゃんは目をそらさず強い眼差しを向けている。それでも俺は言わなくちゃいけないことがある。
「あのね、今住んでいる場所はペット禁止なんだ」
そう言うと葉奈ちゃんの顔色が変わった。
「どうしても、だめな……」
「駄目。飼えないものは飼えないよ」
我ながら冷たい言い方になってしまったと思う。
「兄さんが……兄さんがそう言う事を言うなんて思わなかったっ。もう、しらねぇ、これはあたしが育てるっ」
「ああ、こらっ。濡れるってば」
傘から出ようとするので後ろから羽交い締めをする。
妹に対してなんて事をしているんだと思うけど、これはやらないといけないことなのだ。今なら子犬を抱えており、葉奈ちゃんは無理に暴れる事が出来ないのだ。
ちょろいね。
「はなせよっ」
「んがっ」
頭突きを顎に頂いてしまった。ちょっとばかり油断していた結果がこれだ。
「話は最後まで聞くようにっ。葉奈ちゃんの悪いところだよっ」
「だって」
「だってはいいわけ、俺達の自宅に戻ろうか。そこなら犬を飼えるでしょ?」
俺が決めごとなんて破るためにあるんだと言っても、どうしようもない餌代というものあり……今でもぎりぎりなのに、これ以上生物が増えたらもう無理だ。
「え……でも、兄さんはそれでいいの? まじうぜぇ糞親父いるけど?」
「わかってる」
「顔見ただけでいらつくかもよ?」
ぼろくそ言いすぎ。
「最初はさ、葉奈ちゃんが妹になって凄く、困惑したよ。いきなり妹だし、ヤンキーだし……何より、年頃の女の子だったからね」
「兄さん……」
いまだに羽交い締めにしたままだけど、葉奈ちゃんは抵抗していない。
「でもさ、少なくとも俺は……葉奈ちゃんとうまくやっていけてる。葉奈ちゃんには悪いけれど、俺はあの父親が好きじゃない。ただまぁ、犬のお世話をするなら葉奈ちゃんがするだろうし、俺も今更一人暮らしはさみしいかなーって……」
ちょっと恥ずかしい気もするけれど、他に聞いている人がいるわけでもない。
「だから俺と一緒に自宅に帰ろう? 兄妹だから」
「あ、あたしはっ…兄さんと兄妹に成るのは……嫌だっ」
「え」
じゃあなんで兄さんって呼んでるだよという話。
そこを突っ込んだら大変な事になるんじゃないかと思って、黙って続きを待つ。
「どういう、事かな?」
「に、兄さんの事が好きなのっ。や、ヤンキー嫌いって言うなら、兄さんがあたしのことを好きだと抱きしめてくれるんなら……ヤンキーだろうと何だろうと、すっぱりやめてやるっ」
なんて漢らしいんだ!
そこで、男子生徒があるいてきた。
当然、羽交い締めにしている俺と、子犬を抱えている葉奈ちゃんを見ている。
「なに見てんだよっ! ブッ飛ばすぞこら!」
「ひいっ」
真正面を歩いていた男子生徒が悲鳴をあげて逃げていった。
「今、凄くドキドキしてる。兄さんが近くに居るから。朝起きたら、兄さんがおはようって言ってくれる。お弁当だって作ってくれる。帰ってきたらおかえりって……一緒に居れば何か起こって、兄さんはあたしとずっと一緒だと思った。兄さんは確かに兄だけれど、まだ半年も一緒に居ないのに……何も行動してくれなかった!」
そりゃそうだ、だってヤンキーだもん。
超、強いもん。
俺がちょっかい出したらその時点で金的蹴られてぶったまげそうだもん。
「あたしが言いたいことは全部、言った。だから、返事を聞かせてほしい、兄さん」
考える必要なんてない。
俺は自分の心を吐露することにした。
「ごめんね、葉奈ちゃん。正直に言って、君が言った事が信じられないんだ」
「信じられない?」
羽交い締めにしたままなので葉奈ちゃんがどのような表情をしているのか見当もつかなかった。
「うん、葉奈ちゃんも言った通り、俺と葉奈ちゃんは出会ってまだそんなに経ってない。一度気持ちを整理したほうがいいよ。脈絡が無いし、実感がわかないんだ……俺の方にも整理する時間が欲しい。だからね、落ちついて考えて見れば……」
「兄さんに対しての気持ちは変わらないっ!」
元より濡れていた葉奈ちゃんを抑えているので、気付けば俺も身体も濡れそぼっている。
「俺はわからないよ」
「わからない?」
「そうだよ。だから、一度葉奈ちゃんは自宅に帰った方がいい。お互い、距離を間違えたのかもしれないね。思えば……凄く仲のいい兄妹だからさ」
血が繋がってなくても、妹だ。
妹だから、大切にしたい。
友人は最近、妹と話す機会を増やしてみたと話していた……たまに、喧嘩するそうだ。
俺はまだ、彼女と喧嘩したことが無かった。
まぁ、いずれ喧嘩するだろうと思っていたのに……このまま一緒に暮らしていてもそんな機会は来ないだろう。
好きだなんて言ってくれる女の子が一つ屋根の下にいたらどうするか……俺はちょっとだけ怖いのだ。
気持ちを決めていないのに、一緒に居たらどうなるのか……多分、葉奈ちゃんが望んでいる結果になる。
なし崩し的で嫌だった。どんな結論に至ろうと、俺は葉奈ちゃんに嘘は付きたくなかった。
「兄さんの……気持ちはわかった」
「いや、まだ整理中だってば」
「……ご、ごめん。そう言う意味じゃなくて、そのー……真面目に考えてくれているのは伝わった」
「そっか」
もう大丈夫だろうと俺は葉奈ちゃんから離れる。
「待ってるから」
「ああ、真面目に考えるよ」
「じゃ、また」
「うん」
そういって、葉奈ちゃんは駅の方へと走り去っていく。




