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四季萌子:第三話 幸せは続くものか?

 萌子さんが俺の家へとやってきて三日目となる。

「はい、あーん」

「あーん……」

 三日もあれば人間というのは変わってしまうのだろうか。既に二日目で落ちてた、いや、堕とされた気もする。

 萌子さんは俺に対して完全に彼氏に接する態度で、俺も萌子さんに対してそんな態度をとっていた。

「じゃ、そろそろ行くわ」

「気をつけていってらっしゃい」

「わかってる……じゃ、また連絡してよ」

 萌子さんと一緒に暮らしている生活が、とても楽しい物へ変わりつつあった。

 今日も家に帰れば萌子さんといちゃいちゃ出来る……そんな考えが表情に出てしまっているのか、知り合いから声をかけられても気付いていなかった。

「うわー、だらしない顔」

「……うへへへ」

「おーい、ちょっと、白取君? えいっ!」

 十人中九人が殴られたら痛がるような威力の拳が俺の腹部を襲う。

「ぐおっ……お、おい、何で俺は今いきなり殴られたんだ……死角からの攻撃か?」

 ステルスモードの敵でもいるのだろうか?

 辺りを見渡すと、目の前に赤井が立っていた。

「ステルス?」

「昨日の英単語のテストで出てただろ。」

「ああ、有名な王様のお話に出てくるあれだね」

 あれ?

「なんだそりゃ」

「この服を着るとステルスになれますってやつ」

 そういう話だったか?

「そして、王様は誰からも認知されなくなるお話」

「……そういう終わり方だったか?」

「うん。あ、まだ朝の挨拶がまだだった。おはよう」

「……朝の、挨拶……うへへへ……」

「こんのーっ……おはようってば」

「あ、ああ、おはよう」

 赤井にもう一発殴られ、俺はようやく目が覚めた。

「全く、最近の若人は無視されたからと言ってすぐに暴力で解決しようとする」

「自分だって若いでしょ」

「まぁな。それで、俺に何か用かよ?」

 先ほどから赤井は俺にビデオカメラを向けていた。

「うん、今日の放課後家に遊びに行っていい?」

「却下だ」

 折角の萌子さんとのいちゃいちゃタイムを邪魔されたいとは思わない。

「いいじゃん。それにただ遊びに行くわけじゃないよ?」

「と、言うと?」

「萌子先生に見せたいものがあるんだ」

 萌子さんが目当てならしょうがないな。

 俺目当てなら絶対に来させるつもりはないが……しょうがない。

 ま、どうせ赤井が帰れば二人きりになれるんだ。いちゃいちゃする時間はたっぷりある。

「あのさ、冬治君」

「ん?」

「……今、幸せ?」

「え?」

 まるで咎めるような視線を向けられた。

「どっちかというと、幸せだけど……衣食住足りてるし」

「……そう、ま、いつも通りなのかな。うん、あたしの勘違いみたいだから気にしないでいいよ」

 赤井はそのままビデオカメラで通学路を撮り始める。

 俺も赤井の隣を歩きながら今晩のおかずは何を作ってくれるのか考えていた。

 その日一日、頭にあるのは萌子さんの事で……学園ではいよいよ萌子先生が行方不明になったと騒ぎ始めていた。

 こっちの騒動は俺がどうにかできるものではない。

 鎮める事が出来るのは群青先輩か、黒葛原さん辺りだろう。

「黒葛原さ……うわ、凄いクマ」

 黒葛原さんのクマがより酷い物になっているのにはちょっと驚いた。

 前を覆う黒髪から覗く視線はいつもよりきつい物だ。

「……冬治」

「ん?」

 黒葛原さんは凄みの利いた視線を俺へと向けたが……何も言わなかった。

「……ちゃんと観ていてね」

「え? あ、ああ……あの人の事か。大丈夫、ちゃんと見ているから」

 家に帰れば萌子さんは待っていてくれるからな。

 逃げるなんて、あり得ない。

 そして、放課後……俺は赤井が家にやってくる事を萌子さんに伝え、赤井に対しても萌子さんの事を詳しく話しておいた。

「あのさ、まだ住み始めて三日目ぐらいだよね?」

「ああ、そうだよ」

 今日は肉料理を作ってくれるらしい(とんかつだそうだ)ので三人分の肉を籠の中へと放り込む。

「何だか異様に詳しくない?」

「何の事をだよ。料理の事か? そりゃ、少しぐらいは……」

「萌子先生の事をだよ」

 何だか怒られているような気分になった。

 少しムッとしてしまうものの、自分でもらしくないなといつも通りに話しかける。

「……彼氏だから別にいいだろ。それに、一緒に暮らしているんだ。話す機会だって多い」

「ベッドの中とかで?」

「……」

 俺は黙ってキャベツを半玉、籠の中へ入れる。

「うっわ、ただれてるー」

「ただれてる言うなっての! べ、別に何も……」

「本当に?」

「……本当だよっ」

 俺はそのまま手に持ったものを籠の中へと入れる。

「白取君、そんなにキャベツ……要らないんじゃないの?」

「わ、わかってるよ」

 そんな感じで騒ぎながら俺と赤井はアパートへ戻ってきたのであった。

「ただいまー」

「あ、お帰りなさい」

 水色のエプロン姿で萌子さんが俺に抱きついてきてくれる。

「寂しかったですよ!」

「ごめんごめん。これでも急いで帰って来たんだ」

「私の為に?」

 ほぼゼロ距離で俺は萌子さんの瞳を見つめる。

「ああ、そうだよ」

「冬治さん……好きです」

「俺もだよ」

 赤井がいるのもお構いなしに俺たちは唇を重ねた。

「はい、そこまで。もうこっちはお腹いっぱい」

 二度目で赤井ストップが入る。

「……あ、えーと、この方が赤井陽さん?」

「うん、そうだよ」

「ども、先生。本当にあたしの事、覚えていないんですか?」

 そういって赤井は萌子さんの周りを周る。

「は、はい。覚えていないと言うよりは……未来の出来事なんですよね? 一応、私の受け持っている生徒さんなのでしょう?」

「そうです。今日ここにやってきたのは……これを見てもらいたいからです」

 赤井は自身が持っているビデオカメラを指差した。

「これをですか?」

「はい。えーと、白取君と付き合っているのはまぁ、あたし的にはどうでもいいんですけどね。ビデオの内容は……一人で見る事をお勧めします」

 一体何が入っているのか……俺はほんのちょっとだけ、気になってしまった。

 萌子さんは少し困惑しているようだ。

「ホラー系だったら嬉しいんですけど」

「そんな非日常じゃないですってば。内容も十五分程度……あ、白取君の部屋で見てきてください。このボタンを押せばすぐに再生できますよ」

 萌子さんを俺の部屋へと押しやった赤井は、俺の腕を掴んだ。

「見に行く気、ある?」

「まぁ、少しは」

「んじゃ、仕方ないね」

 赤井は言うが早いか……身体を震わせた。

「うぅぅ……おおーんっ」

「は? 何いきなり狼になってるんだよ」

 二メートル近くの狼人間になった赤井は俺の前に立ちはだかった。

「覗きに行かないよう、見張るつもり」

「萌子さんに見られてもいいのかよ?」

「浮気現場を?」

「ちげーよ。あり得ないだろ……その狼の姿だよ」

 赤井は首をすくめて言った。

「どうせ、いつもの萌子先生じゃないんだし」

 何だか今の萌子さんを否定された気がしてむかっと来る。

 言い返そうとして、うまい事思いつかない。

「あの映像……」

「ん?」

「……そんなに凄い内容なのか?」

「全然、白取君が見ても首をかしげるだけの物だよ。本当はね、いちゃいちゃを邪魔するつもりはないんだ」

 赤井は何故だか申し訳なさそうに俺に言うのだった。

「はぁ? 何の事だ」

「えっとさ、冗談だと思っていたけれど……さっきのあれを見て思ったよ。白取君は萌子先生の事が本当に好きなんだね」

「……まぁ、な」

 最初は一週間俺の家に留まらせるための口実だったかな。

 しかし、あっという間に落とされたなぁ。

「三十路に戻っても、ちゃんと仲良くやりなよ?」

「あ、ああ……そうだな」

 そうだ、萌子さんはいずれ……元に戻ってしまう。

 萌子さんから萌子先生に戻るのだ。

 その時、萌子先生はこの一週間の事を覚えているのだろうか。

 一緒に過ごした日々を思い出してくれるのか?

「白取君?」

「……大丈夫だよ。元からその為に一緒に生活しているんだ」

「そうだよね。よかったぁ……朝さ、白取君を見て思った事があるんだ」

「何だよ」

「もしかしたら、このまま若い萌子先生と同棲を続けるんじゃないかって事だよ」

「……ないよ。其処までは、しない。俺の事情で、好きな人に我儘は言いたくない」

「そうなの? それを聞いて安心したよ。やっぱりさ、三十路より若い方がいいでしょ? 色々と」

 やれやれ、お節介焼きめ……。

「確かに、白取君の彼女かもしれないよ。でもさ、先生は……みんなの先生だよ」

「だから、しないってば。そんなことは言われなくてもわかってるよ」

 ただ忘れていただけだ。

 俺は萌子さんの彼氏でも何でもないんだ。

 ただ、彼女を騙していちゃついているだけの人間なんだ。

「中には入らない。さっさと元に戻れよ。お茶、出すからよ」

「うん、ありがとね」

 俺はコーヒーの準備をするためにリビングへと向かうのだった。

「……あの、これお返ししますね」

 萌子さんが部屋に入って三十分が経ち、ようやくリビングへと姿を現した。

「ん、どうだった?」

「……色々と考えさせられました。あの、赤井さんに話したい事があります」

「え、何?」

「ここではその……話し辛い事です。あの、冬治さん……」

 はっきりと俺を見たので、俺は立ち上がって外へ出ることにした。

「わかった。ちょっと、出かけてくる。終わったら連絡くれよ」

「はい、気をつけて」

 俺も頭の中で整理したい事があった。

 勿論、萌子さんの事だ。

 アスファルトを歩きながら、俺はため息をつく。

「……好きなのは間違いねぇよなぁ」

 萌子先生に戻ったらこの気持ちが消えるだろうか?

 そんなことはないだろう。

 何せ、DNA的には本人なのだ。

 あの顔、嬉しそうな表情、困った時の表情、はにかんだ時の表情は絶対に萌子先生だってする。

「はー、やれやれ。ま、一週間経つまで時間はあるんだ。なぁに、焦らなくたって別れの言葉ぐらい思いつくさ……うおっ」

「……冬治、完成した」

 曲がり角から姿を現した、黒葛原さんを見て……俺は相当がっかりした表情をした事だろう。

「まだ三日目だよね?」

「……急いで完成させた」

 眠たそうに瞼をこすりながら、俺に薬を渡してきたのだった。

「……これを口に入れさえすれば先生に、戻る」

 あの時と同じ茶瓶であった。

「そっか……」

 思ったよりも、別れの時期が早まってしまった。

 俺の表情から読み取ったのか、それとも直接俺の心を読んだのかは知らない……黒葛原さんは投げやり気味に言うのであった。

「……これを使うのは、冬治の自由」

「え? それはまずいだろ」

「……使わなければ萌子は若いまま、冬治と生活できる。せめて、別れの挨拶ぐらい、出来る」

 別れのあいさつか……そうだよな、一週間ぐらいかかると萌子さんも聞いているのだ。

 一緒に居られる期間は夏休み数日含むのだ。二人で海に行きたいなー、そんな話もしようと思ってたんだけど、無理のようだな。

「……冬治」

「ん?」

「……人間は、自己中が尤もいい性格」

 ジャイアニズムを推奨する一言だった。

「え、んなわけないだろ」

「……人は群れを必要とする生き物。ルールは、個体を助けるのに、生存させるために必要な物」

「まぁ、そうかもしれんがね。それが今の俺と何か関係でも?」

「……萌子が欲しいのなら、この薬の事は黙っておけばいい。何か問題が起こっても、助けてあげる」

 伊達や酔狂で口にた言葉ではない。黒葛原さんの目を見ればわかった。

 彼女が何故、ここまで俺にしてくれる理由はわからない。

 本当に助けを求めれば、有言実行してくれる事だろう。

「必要になったら泣いて助けを求めるよ。黒葛原さん、ありがとう」

「……元をただせば、こちらの薬の責任。その薬は、貴方の物」

 そういって黒葛原さんは曲がり角に消えてしまった。

「そうだな、人間は我がままに生きたくてもしがらみとか、良心とかで生きられないんだよな。全く、自由気ままに生きられる人間が羨ましいぜ」

 この薬が手に入ったのを知っているのは黒葛原さんを除けば俺だけだ。

 そして、これから先……この薬の事を知っているのも俺だけとなるだろうよ。

 俺がからかい気分で使った薬だ。その解毒剤をどうしようと俺の勝手である。



 その日の晩御飯は実に味気ないものだった。

 萌子さんの分のお茶と、自分の分のお茶を注ぎ、俺は軽くそれを飲んだ。

「あの、冬治さん」

「ん?」

「箸、全然進んでいませんけど……美味しくありませんか?」

 不安そうに俺を見る萌子さんに俺は苦笑する。

「美味しいよ。ま、ちょっと味が濃いかな」

「あ、すみません。ちょっと考え事してたら失敗してしまって……」

「ううん、いいよいいよ」

「三日後ぐらいにまた挑戦しますね」

 俺は再び苦笑する。

「あのさ、今日赤井と話していた事……一体何?」

「え、えーと、ちょっと言えませんね」

 顔を真っ赤にして、彼女は笑っていた。

「そこを何とか!」

「……しょうがないですねぇ」

 萌子さんは立ち上がり、雑誌を一冊持ってきた。

「一週間が経ってしまう前に……記念に、一度でいいから外へデートに行きたかったんです」

 記念に、か……。

「そっか」

「はい。あの、赤井さんには黙っておくよう言われたのですが……あのビデオカメラの中身、未来の私がお仕事をしている様子でした」

 お仕事をしている様子か……授業風景を撮った映像なんてどこから持って来たんだか。

「どうだった?」

「良かったです! とても素晴らしいものでした……未来の私が、私の責任で居なくなっているんですから……元の世界に戻らないと駄目ですよね。冬治さんと離れるのはとても辛いですが……時期に薬も出来上がる、そう黒葛原さんの連絡を受けましたよ」

 黒葛原さんはフォローもできる人なのか。

「あの、離れたくないです」

「俺もだよ」

 俺も萌子さんと同じ気持ちだ。

「ま、お茶でも飲みながら話そうか。薬はまだ出来あがってないって連絡があったんだろ?」

「そうですね。ちょっと興奮して話しちゃったんで喉からからです」

 萌子さんは自身の湯呑みに手を伸ばし、口に含んだ。

「ふー……うっ」

 胸を抑えるようにして、そのまま倒れ伏す。

「……さよなら、萌子さん」

 萌子さんの姿は霧のように消えてしまい、床にはこぼれたお茶だけが転がったのだった。


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