七色虹:第八話 最初の想い出
日本の経済が今、どのような状態なのかは良く知らない。強気で行けばどこかで見落としてこけるだけだ。あの人も変革には痛みがつきものだって言ってたしな。
日本の経済がどんな状態なのか知らなくても、自分の状況は良く知っているつもりだ。
夏休みのある昼下がり、俺は捕まっている。
「わかるのは大ピンチだと言う事だ!」
柱に縛り付けられ、四人の女子に囲まれていればピンチ以外の何物でもない。
中には、この状況をご褒美だと言う猛者もいるだろうが……俺は猛者じゃない。
「あのさ、何で自分が縛られているのか……わかってる?」
「わかってる」
「へぇ、それなら自体は意外と簡単に解決するのかも」
赤井がそういって俺の縄を外そうとした。
「……待って」
そして、それに待ったをかけたのは黒葛原さんだ。薄着ではあるものの、黒いローブを纏っている。
「え?」
「早計過ぎるわ、赤井さん」
群青先輩も赤井の両肩を掴んで俺から引き離す。美人が怒ると怖いと言うが……群青先輩の怒った顔も綺麗だなぁ。
「白取先輩、一体何を分かっているのか教えてください」
そして、鈴もまた、怒っている顔をしていた。
「ああ、わかってるさ。これでも俺は、鈍感じゃないつもりだ。あれだろ、みんな海水浴に行けなくて超、不機嫌なんだろ?」
「全然違いますっ」
「ぐはっ!」
腕を上げたな鈴……ロケットパンチか。
「それで、俺は一体何で……」
「七色さんよ」
「……」
心当たりがあるだけに、名前を出されただけで俺は黙りこむしかなかった。
海水浴に行って、三日経った。荷物は全部、俺の家にある。どうやらあれから七色は上にパーカーを羽織っただけでそのまま家に帰ったらしい。
メールをしても、電話をしても無視されている。
「まさかとは思いますけど白取先輩……まだ気付いていないんですか?」
「何の事だよ」
「これの事っ」
そう言うと赤井が携帯電話のディスプレイを押しつけてきた。
「……『やばい、どうしよー。僕、冬治君の事が好きになっちゃったみたい』……?」
送り主は……七色だった。
何と無く、そうなんじゃないかと思っていた。
だから、そこまで驚きはなかった。
「……知ってたの?」
「いや、はっきりとは……知らなかったよ。だって、俺と七色はそういう関係の仲の良さじゃないし……気軽に話せる友達、親友の一歩手前みたいな感覚だったんだ」
「向こうは、そう思ってなかったようね」
そのメールの文面を信じるのなら、そうなのだろう。
「それで、俺にどうさせるつもりなんですか。告白でもさせるつもりですかね?」
「そのつもりはないわ。これは、冬治君の問題だもの……ただ、はっきりさせなきゃいけない。断るのなら、ちゃんと断らないと駄目よ」
群青先輩の言う事も尤もである。
七色なら、たとえ振ったとしてもこれまで通りの関係を気付けるだろう。少し、時間はかかるかもしれないがね。
ただ、つきあったら……どうなるのだろうか。その場合、うまく行くのだろうか?
「七色さんは呼び出してあるよ」
「え?」
赤井はそういって俺を捕らえていたロープをほどいてくれた。
「学園の屋上にね。いってらっしゃい」
「……まだ答えは決まってないよ」
「今から考えればいいじゃん。それに、今度は真面目に考えてるみたいだしね」
俺にウィンクをすると背中を押してくれた。
「さ、行ってきなよ」
「ああ、そうだな。ちょうどいいや、海水浴からこっち、気分が悪かったんだ。この気持ち悪さを七色にぶつけてくるぜ」
俺は軽く右手を挙げ、四人に別れを告げたのだった。
四人には格好付けてみたものの、そんな急に勇気が出てくるわけもない。
「……勇気ね」
七色の奴も確か、勇気を出したって言ってたな。
友達を海水浴に誘う程度で勇気なんか……いいや、七色にとってはとても勇気がいる事だったんだろう。
どんな話をすればいいのか、どんな顔をしてあえばいいのかを考えながら俺は歩いているとあっという間に学園についてしまった。
夏休みという事もあって、グラウンドには運動部系の(野球部を除く)生徒達が汗を流している。
「がんばってるなぁ」
それを横目に俺はいつもよりゆっくりと屋上へと向かう。
いざ屋上へ続く扉を前にして俺は躊躇していた。
あの子は居ないんじゃないのか?
居ても絶対に怒ってるんだろ?
行っても、無駄だろ?
不安を払しょくさせるにはドアノブを捻るしかない。
「えーい、ままよっ」
まとわりつく不安を振りほどくように俺はドアノブを勢い良く開いてみせる。
その時、俺の背中を押すようにして強風が吹いた。
「うわわっ」
久しぶりに聞いた気がする友達の……間の抜けた声が屋上に響いた。
「よぉ、七色。そんなに短いスカート履いているんだからちょっと風が吹けば一発だろ。ばっちりパンチラ見させてもらったぜ」
「冬治君……」
俺の冗談に七色は笑う事もない。
ただ、俺を呆けた感じで見た後は嵌められた事に気づいたらしい。
「おかしいなぁ、ここには四人が来てくれるはずだったのに」
「お前さんは騙されたんだよ」
「そっか……騙されたのか。まぁ、そうかもね。今、一番見たくない顔を見たんだもん」
そっぽを向いた七色の言葉に地味にダメージを受けながらその隣に立つ。
彼女はグラウンドの隅を見つめていた。
「七色」
「ん?」
「海水浴の時、お前さんは誰にも連絡しなかったんだろ。違うか?」
「……その通りだよ」
サッカーボールを追いかける奇抜な髪形の連中を眺めながら話を続ける。
「そうか」
「うん。僕は冬治君と二人で行きたかったんだ」
「……あのさ、七色は、俺の事を……」
「好きだよ。友達としてじゃない。男の子として、好きだよ」
淡く色づく七色の顔をつい見てしまう。
「いつからだよ」
「いつからだろう……やっぱり、あの一夜が原因かもね」
頭の中で黒葛原さん特製のホムンクルスに追いかけられた夜を思い出した。
しかし、早速詰むとは思わなかったな、あれは。
「そんなロマンス要素はなかったろ。どう見てもホラー要素だわ」
「冬治君にとってはそうかもね。だけど、僕には……僕の心はそう感じてなかったみたいだよ」
また、風が吹いた。
先ほどと違って七色は捲れあがるスカートを押さえようともしなかった。
「おい、めくれてるぞ」
「いいよ。どうせみている人なんていないし」
「……そうかよ」
風がスカートめくりを辞めて、再び七色は喋り出す。
「僕は自分が思っていた以上に、嫉妬深いのかもしれない。冬治君が僕の前でこれ見よがしに他の女の子の名前を出すだけで、何だかとても悔しくて、胸が苦しくなるんだ。ただ、名前を聞くだけでだよ? でもね、王様ゲームの時に、冬治君が僕の下着姿を見たいと言ってくれて嬉しかったよ」
七色はそう言って太陽を見ていた。
顔は真っ赤になっている。
しばしの沈黙が屋上を包み、真面目な表情になった七色は俺の事をしっかりと見据えた。
「……さ、僕の事は全部話したよ。もう、これで僕は逃げられない」
「自分を追い込むのはやめろよ」
「ううん、いいんだ。今思えば僕が好きになっている人は鈍感だからね。はっきり気持ちを伝えなくちゃ、いつまで経っても気付けないよ」
酷い言われようである。
「ま、事実だわ……」
俺は七色と向き合うことにした。
「僕と、付き合って下さい!」
七色は挑むような視線を俺に遠慮なくぶつけてくる。
「七色」
「ん……」
彼女にとっては、待つだけで苦しいのだろう。
名前を読んだだけで怖くなったのか、目を瞑ってしまった。
思えば、あの夜の時もこうやって目を瞑って逃げようとしていたなぁ。
俺は七色に気づかれないように距離を詰めた。
「ごめん、七色」
「え、っと……そ、そっか……」
目を閉じ、一瞬にして涙を浮かべた。
ああ、七色はこんな表情もできるんだな。
「い、いいんだ。うん、何と無く想像……出来たから」
「そうか、じゃ、遠慮なく頂くぞ。お前の唇」
「へ?」
暑い夏の空の下、俺はそれを許可してくれた恋人を抱擁し、唇をもらうのだった。
これが、彼女との初めての想い出だ。




