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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第30章『塞がったピアスホール』
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第88話

 二月二十四日、火曜日。

 年が明けて二ヶ月近くが経過した。ショッピングモールの開店からは、四ヶ月となる。

 スプーンマカロンとラズワードは、開店直後に比べ勢いは落ちたものの――どちらの商品も、未だ根強い人気を誇っていた。

 妙泉製菓としては売上に対する生産が追いついている状態なので、落ち着いたと言える。

 京香としても、心身ともに余裕が生まれた頃だった。商品開発部の業務には、最早ほとんど手をつけていなかった。部長の業務は、三上凉に一任していた。

 工場は従業員達で上手く回せるようになったため、京香が指揮を取る必要も無い。

 京香は少しの物寂しさを感じるものの、工場を訪れること自体が次第に減っていった。現在は、ショッピングモールを主に、各店舗の様子を見て回ることが多い。

 ゆっくりと――あとは、四月の人事異動を待つだけだった。


 午後二時過ぎ、京香はショッピングモールを訪れた。

 平日のこの時間帯は、どの店舗も空き気味だ。妙泉製菓もまた、落ち着いていたが――隣のLazwardでは、何やら騒がしい様子だった。

 エプロン姿の小柴瑠璃が店前まで出て、ひとりの女性と話していた。コートにパンツ、小綺麗な格好をした、京香と同年代ほどの女性だ。ただの立ち話というわけではなく、瑠璃は困った表情を浮かべていた。

 その様子を京香は心配そうに眺めながら、妙泉製菓の店舗へと近づく。

 それに気づいた瑠璃が、どこか不安な視線を京香へと送った。


「すいません。何事ですか?」


 京香は瑠璃を大切にしているが、Lazwardにはなるべく関わらないようにしていた。しかし、今回は仕方なく首を挟み、助け舟を出すことにした。


「申し遅れました。私、妙泉製菓(おとなり)の者です。Lazwardさんとは、仲良くして頂いてまして……」

「スプーンマカロンのですよね!? 後でお話を伺おうと思ってました!」


 女性は瑠璃から京香へとすぐに対象を変え、どこか興奮気味に食いついた。


「私、こういう者です。本日は、ラズワードとスプーンマカロンの取材に訪れました」


 女性は、首から下がった社員証を提示した。京香でも知っている有名な出版社の編集部に属する記者だった。瑠璃が戸惑っていることに、納得した。

 そして、京香は驚くよりも――冷静に、ふたつの印象を持った。

 ひとつは、彼女が好意的であること。ジャーナリストやマスコミの類を相手に京香は身構えるが、少なくとも陥れる意図が無いように感じた。純粋に、流行に対する取材だと察した。

 もうひとつは、身分が疑わしいこと。彼女に限らないが、社員証などいくらでも偽造可能だ。今この場で出版社に電話をして確かめれば、疑惑は晴れる。とはいえ、たとえ彼女の身分が偽りだったとしても、たかが取材で被害が出るわけではない――取材内容にもよるが。


「わかりました。とりあえず、場所変えませんか?」


 京香はひとまず、三人で近くのカフェへと移った。

 この時間帯でも、カフェは混んでいた。だが、空いている店内ではなんだか喋り難いため、ちょうどいいと京香は思った。

 四人がけのテーブルで、記者を正面に、京香は瑠璃と並んで座った。


「それでは、早速ですがLazwardさんから訊かせてください。貴方が店長さんですよね? 貴方がラズワードの産み親ですよね」

「はい、どっちもそうです。店長の小柴です」


 背もたれから離れた背筋を伸ばし、瑠璃が答えていく。


「だいぶお若いですけど、おいくつですか?」

「二十二です」

「わっか! やっぱり小さい頃から海外で、パティシエ修行なさってたのですか?」

「いえ……。海外には一回も行ったことありません。専門学校出た後、派遣社員で栄養管理士やってました」

「すいません。職歴は非公開(オフレコ)でお願いします」


 瑠璃から見上げられ、京香は苦笑しながら口を挟んだ。記者は驚きながらも頷いた。

 正直に話すのは良いことだが、京香としては世間に知られたくない情報もあった。特に、瑠璃がかつて妙泉製菓で働いていたことは、この場で絶対に話させないつもりだ。偶然にしろ、同行できて良かったと思う。

 その後も、瑠璃個人へのインタビューが続いた。両親がパティシエであり、ケーキ屋のひとり娘だったことは――京香は悩んだ末『公開可』へと選別した。そうでなければ、瑠璃の実力への説得力が欠ける。


「どうしてラズワードを? 何か、誕生秘話みたいなのありますか?」


 その質問に、京香は隣に座る瑠璃と、無意識に一度目を合わせた。

 瑠璃が店を持つ羽目になったのも、青いレアチーズケーキを開発したのも、不甲斐ない京香のためだ。あの時、何もかもから逃げようとした京香を目覚めさせるために『敵役』を買って出た。

 真実としてはそれだが、他者にはとても話せない。現在のふたりの仲はおろか『開店前』から関係を持っていたことも、京香は知られたくなかった。


「そうですね……。青いケーキを作ってみようと思いました。先にお店の名前が決まったんで、看板商品をと……」


 当たり障り無いが、京香の初めて知る内容だった。

 瑠璃は京香を一度見上げた後、言葉を続けた。


「わたしの大切な人を、驚かせたいというか、励ましたいというか……そういう気持ちで作りました」

「よくわかりませんけど、その人に気持ちは届いたんですか?」

「はい、なんとか」


 瑠璃が力強く頷く。

 抽象的な内容だが、記者が深追いしなかったため、京香は口を挟まなかった。

 その後もインタビューが続いた。言葉を選ぶ様子はあったが、答えられる範囲で瑠璃は答えていった。


「最後に……SNSでもバズってるラズワードですが、欲しいけど店が遠いため手に入らないといった声も挙がっています。今後の展望といいますか、二店舗目や通販を考えていますか?」


 京香もSNSを眺めていると、確かにそのような意見を目にしたことがあった。

 それについて、瑠璃と話したことがない。いや、それを考えるのは瑠璃の背後に居る『経営者』の役目だ。とはいえ、瑠璃自身が店長としてどのように考えているのか、京香も気になった。


「そのような声は、とっても嬉しいです。なるべく応えたいところですが……今のところは、何とも言えない状態です。ただ、前向きに考えてはいきます」


 本心なのか建前なのか、京香はわからなかった。しかし、満点とも言うべき無難な回答だと思った。

 瑠璃のインタビューが終わると、京香へと移った。京香は妙泉家の長女であること、商品開発部の部長であることを明かし、卒なく答えていった。

 さらに、会社の経営方針を変えていきたいという自論までを語った。インタビューに応えることが出来たのは偶然だが、結果的に良い広報になったと、京香は手応えを感じた。この件は、後で営業部の円香に伝えておくつもりだ。

 ふたりのインタビューを終え、記者は満足げに帰っていった。


「ふー。めっちゃ疲れました。助けてくれて、ありがとうございました」


 席にふたりきりになるや、瑠璃がテーブルに突っ伏す仕草を取った。


「お疲れさま。頑張ったわね」

「京香さんは、流石でしたね。カッコよかったです」

「あんたもそのうち、慣れていくわよ。取材がこれっきりで終わりなわけ、ないでしょ」

「うへー」


 京香は過去より何度も取材を受けている。確かに慣れない内は戸惑うが、情報公開の選別にしろ、瑠璃もいずれ掴めると思った。

 マグカップのカフェラテは、どちらも空になっている。店舗に戻る流れだが、京香はふと訊ねた。


「あんたはさ……二店舗目出したいって思ってるの?」

「正直大変だと思いますけど、可能なら出したいですね」


 瑠璃の前向きな本心を聞くことが出来て、京香はなんだか安心した。

 近頃は妙泉製菓の各店舗を見回っている身として、多方面での販売実績を直に感じると、嬉しい。だが、それに至るまで――京香はショッピングモールの新店舗が初めてだが、生産体制の樹立から流通経路の確保まで、確かに大変だ。


「ええ。私も、そうした方がいいと思うわ」


 瑠璃のさらなる活躍のために、二店舗目の件は避けて通れないだろう。

 いや、現在の反響としても既に、一店舗だけで抑えきれないと京香は感じている。

 無名のケーキ屋が、たった数ヶ月でそれだけ大きくなった。一刻も早く取り組むべきだ。


「そのへん『雇い主』としっかり話しなさい」


 京香の助言に、瑠璃は頷く。

 今のところ、京香はそう言わざるを得なかった。だが、Lazwardの体制を知っている身として――現実的には難しいと感じていた。

 そう。現在の『彼女ひとり(オーナー)』では、手に余る段階にきている。店のさらなる発展には、根本を変えるしかない。

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