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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第29章『追いつけない』
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第86話

 十二月二十六日、金曜日。

 午後六時になり、京香は席を立った。開発一課のオフィスは京香の他、三上凉しか居ない。


「すいません。今日はお先に失礼します」

「お疲れさま、京香。あと一日、頑張ろう」


 妙泉製菓は、明日が年内最後の営業日だった。明後日から長期休暇へと入る。とはいえ、京香はこれまで通り、ショッピングモールの店舗を自主的に手伝うつもりだ。

 今月は三交代で工場を二十四時間稼働させた。販売に対し、スプーンマカロンの在庫はなんとか積み上がった。長期休暇分は大丈夫だろうと、京香は思う。半ば経営側の人間として、酷使した従業員には感謝している。


「明日ですけど……よろしくお願いします」


 月末かつ年内最終日である明日、京香は本社の経営会議に出席しないといけない。会議は午後からだが、遅くに起床して本社へ直に行くと、凉には事前に伝えている。

 つまり、明日の午前は半休扱いだ。他へは『午前は用事』と伝えているため、実態は凉しか知らない。普段の仕事量を見ている凉からは、咎められるどころか労られた。

 また、年内に工場を訪れるのは今日が最後になるため、日中に工場内各所へ挨拶を済ませておいた。


「うん。任せておいて」


 明るく頷く凉が、京香は逞しかった。


「年明けたら、春の人事について話しましょう」

「えー、怖いなぁ」

「良い話ですよ。私もそろそろ、潮時ですので……」


 言葉の割に凉は身構えることなく、穏やかな様子だった。

 どのような話なのか、およその見当はついているのだろうと、京香は思った。


「今だから言うけどね……面倒事は京香に押し付けてラクしてきたよ、私。そこそこの地位が欲しくて、でも平和に過ごしたくて……もうほんと、サイテーでしょ」


 凉が遠くを見るような瞳で、おかしそうに笑った。


「まあ……表で矢を受けるのが、私の仕事でしたから」


 京香は凉の仕事について、悪い意味で何も思わなかったわけではない。しかし、あくまで責任者(トップ)は自分なのだと割り切っていた。

 いや、自分にはそのぐらいの価値しかないと思っていた。


「けど、京香の頑張るところ見て、私もやる気出てきたよ。スプーンマカロンに負けない商品、絶対に出すね」


 凉の告白に、京香は少し驚いた。

 そのような意図は無いに等しかったが、結果的に部下を感化させたようだ。周りに良い影響を与えたことが恥ずかしい反面、嬉しくもあった。


「楽しみにしてます。会社を変えていくために――出来ていると思いますけど、若い子の意見を取り入れて、価値観をどんどんアップデートしてください。今風なお菓子を作ってください」


 京香が経営側に移ったとして、スプーンマカロンの勢いが続かなければ立場は苦しくなる。凉の協力が不可欠であり、そして任せることが出来た。


「うん。頑張るね」

「それじゃあ、とりあえず明日はよろしくお願いします。良いお年を」

「京香もね……。お正月、モールの様子見に行くから」


 凉と年末の挨拶を交わし、京香は工場を出た。

 陽が暮れた暗い寒空の下、自動車を走らせる。

 街に並ぶあらゆる店は、昨日までクリスマスの雰囲気だった。しかし、たった一日過ぎただけで、どこかへ消えていた。京香はクリスマスも仕事に明け暮れた身として、様変わりがなんだか寂しかった。


 大型ショッピングモールも街と同じだった。建物内は所々に『新年初売り出し』の広告が貼られていた。

 京香はそれらを横目に、チェーン店のカフェへと向かった。

 ガラス張りの壁――窓際のカウンター席に、小柴瑠璃が座っていた。京香が壁に近づくと、瑠璃が気づいて店から出てきた。


「お待たせ」

「お疲れさまです」


 ぺこりと頭を下げる仕草がどこか新鮮に見えたのは、服装のせいだと京香は思った。

 瑠璃は青色のニットに黒いプリーツスカート、さらにブラウンのコートを羽織っていた。どこにでも居るような一般女性の格好だが、スカートタイプの綺麗めな姿が、京香にはとても珍しかった。

 だから、何気ない服装だとしても――瑠璃なりの『おめかし』だと感じた。


「似合ってるじゃない」

「そうですか? 変じゃないですか?」

「ええ。バッチリ着こなせてるわ」


 京香には少なくとも『着せられている』ようには見えなかった。とても自然な格好だ。瑠璃がそれだけ、社会的な経験値を積んだのだろうと思った。


「ありがとうございます」

「それじゃあ、行きましょう」


 はにかむ瑠璃を連れて、京香は駐車場へと戻った。

 自動車に乗り、ショッピングモールを離れる。三十分ほど運転すると、とある繁華街へとたどり着いた。

 そこにそびえ立つ、落ち着いた雰囲気の大きく高い建物――地下駐車場に、自動車を駐めた。


「わぁ。ここに来るのも、久しぶりです」


 瑠璃が浮かれ気味で自動車から降りる。

 ここはホテルだった。京香は午後七時半に、レストランを予約していた。

 そう。まだ瑠璃と出会って間もない頃――彼女をおかしな格好に着飾って訪れた。瑠璃にとって嫌な思い出の場所かもしれないと危惧していたが、純粋に喜んでいるようだった。


「私もよ」


 様々な付き合いがあるため、京香は年に何度か利用している。過去から、馴染みの店だった。しかし、今夜は瑠璃に合わせた。

 エレベーターで十九階へと上がる。レストランの受付で、京香は予約していた旨を伝えた。店内へと通された。

 客の入りは、席数に対し三割ほどだった。きっと昨日と一昨日(クリスマス)は満席だったのだろうと、京香は思った。空いている店内は物寂しいと感じるどころか、居心地が良かった。


 ふと、かつて瑠璃と訪れたことが、京香の記憶に蘇った。

 あの時、瑠璃がソワソワと落ち着かない様子だったのは、服装の問題だけでなかった。彼女にとって、分不相応な店であるため、どこか怯えていたのだ。

 今も瑠璃はソワソワと――しかしあの時と違い、食事を楽しみにしている様子だった。

 京香は以前ここで、瑠璃との関係を周りから姉妹のように見られていると思った。

 だが今、彼女は自分の恋人であり、身分としても対等だ。こうして一緒に店内を歩くことが、なんだか誇らしかった。


 やがて、窓際の席に向かい合って座った。

 京香は事前に、最も高額なコース料理を予約しておいた。さらにこの場で、メニューを見ることなくシャンパンを注文した。

 すぐにシャンパンのボトルと、グラスがふたつ運ばれた。店員は注ぐと、ボトルを置いて立ち去った。


「お誕生日、おめでとう」

「ありがとうございます」


 乾杯し、京香は一口飲んだ。きめ細かい炭酸と爽やかな味わいが、とても美味しかった。瑠璃もまた、無邪気な笑顔を見せた。

 体裁として、クリスマスと誕生日を兼ねた食事だった。だがクリスマスはもう過ぎ、今日は瑠璃の誕生日当日であるため、どちらかというと後者が主だ。


「今日はお昼控えめにしたんで、準備万端ですよ」

「ふふっ。最高のフルコースよ」


 窓の外、冬の澄んだ夜空が近い。街の明かりだけでなく、夜空の星々も――夜景が綺麗だった。

 店内は薄暗く、落ち着いた雰囲気だった。そして、すぐ正面には大切な人が居る。京香はとても居心地が良かった。


「もうすぐオードブルがくると思うけど……先にプレゼント渡しておくわね。あんたの喜ぶ顔が、早く見たいから」


 京香は鞄から、ライトブラウンの小さなショップバッグを取り出した。世界的に有名な高級ブランド名が書かれている。


「え――ちょ、これって」


 恐る恐る受け取った瑠璃は、中から小箱を取り出した。テーブルの上で、箱を開けた。


「わぁ、超可愛いです。ていうか、こういうのあるんですね。最高じゃないですか!」


 瑠璃は目を輝かせ、幼い子供のように大喜びした。

 京香が用意した誕生日プレゼントは、ダークブラウンの長財布――モノグラム柄のそれは、ブランドを象徴する代物だった。

 ただし、エナメル素材のピンク色をしたウサギの顔が付いている。京香は通信販売サイトで初めて見た際『偽物』かと思ったが、調べたところ紛れもなく公式商品だった。とあるアーティストとコラボレーションした、限定商品だ。

 転売され割高だったが、京香は瑠璃のために購入した。パティシエである以上、アクセサリーは厳禁だ。だから、普段使いし易いブランド物の財布を選んだ。そして――


「あんたはもう、それが似合う女よ。これからも、自信持って頑張りなさい」


 そのような想いも込めた。

 瑠璃がブランド物で身を固めるのは想像できない。それでも、自分の価値を誇示するものとして、ひとつぐらいは所持して欲しかった。

 そう。瑠璃は京香にとって、もう追いつけない位置に居るのだから。


「ありがとうございます! わたし、一生の宝物にします!」


 少しの間を置き、瑠璃が力強く頷いた。京香にはなんだか、彼女の瞳が潤んでいるような気がした。

 京香は狙い通り、瑠璃の喜ぶ姿を見ることが出来た。彼女の誕生日を祝う名目だが、ただの自己満足かもしれないと、ふと思った。

 少しの罪悪感を覚えながらも――京香は心地よく、冷えたシャンパンを飲んだ。

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