表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第29章『追いつけない』
85/90

第85話

 十一月二十八日、金曜日。

 ふと、京香は目を覚ました。意識が覚醒していく中、ここを馴染みのある空間――自宅の寝室だと、理解する。

 今が何時かわからない。京香はただ、いつものように工場へ仕事に行かなければいけないと思った。しかし、同じベッドで寝息を立てている瑠璃の存在に気づき、今日は特別休日だと思い出した。


 京香はぼんやりと、昨晩のことを振り返る。

 瑠璃と気持ちを確かめた後、購入してきたジャンクフードを食べられるだけ食べ――疲弊した身体が糖分を急激に摂取したことで、意識が飛んだのだった。リビングのソファーでふたり仲良く眠るも、尿意で一度目を覚ました京香は、瑠璃を寝室まで運んだ。


 京香は上半身を起こし、リビングの扉を眺める。扉からベッドにかけ、ブラウス、タイトスカート、ストッキングが床に脱ぎ捨てられていた。

 昨晩は久々にウイスキーを飲んだ。だが、体調と暴食から、悪酔いしたようだ。頭痛が気持ち悪かった。

 だらしない様子と気分から、京香の目覚めは最悪だった。それでも、すぐ傍で無邪気な寝顔を見せている瑠璃が、微笑ましかった。


「ふふっ」


 瑠璃の頬を指先で突くが、起きる気配が無い。眠りが深いことから、よほど疲れていたのだろうと、京香は察した。

 京香はひとり、ベッドから起き上がった。肌寒さに、床に落ちていたブラウスを羽織る。

 リビングはまだ、ジャンクフードの匂いが立ち込めていた。テーブルには、食べかけのそれらがまだ広げられていた。


 ソファーから、携帯電話を拾い上げる。充電は残り十七パーセントしかないため、低電力モードが働いていた。

 時刻は午前九時過ぎだった。始業時間はとっくに過ぎている。その割に、工場からの着信は一件もなかった。急に休日を取ることも含め、円香が根回したのだろうと察した。

 京香は、工場のことが心配でないと言えば嘘になる。今すぐにでも電話で状況を確認し、指示を出したい。

 だが、円香が気遣った手前、それはあまりにも野暮だと思った。従業員達を信じること、そして身体を休めることが今の『役目』だ。

 そのように割り切り、京香はひとまず風呂のスイッチを押した。空腹では頭痛薬が飲めないため、風呂が沸くまでの間、冷めた不味いフライドポテトをつまんだ。


 京香は風呂で身体を温め、さっぱりした気分で出た。時刻は午前十時になろうとしていた。

 スウェット姿で、リビングのソファーで寛いでいると――寝室から瑠璃がトボトボと現れた。


「おはようございます……」


 眠たげに瞼を擦る姿は、まるで夜更かしをした幼い子供のようだと、京香は思った。とても、大盛況しているケーキ屋の店長には見えない。


「おはよう。お風呂入ってきなさいよ、湧いてるから」

「はい……」


 瑠璃は素直に従い、洗面所兼脱衣所へと向かった。

 シャワーの音が聞こえた頃、京香は着替えの準備をした。


「ふぅ。やっぱり、広いお風呂は良いですね」


 しばらくして、ぼんやりと紅潮した瑠璃が姿を現した。


「それにしても……もうちょっと可愛いルームウェアないんですか? モコモコしたやつとか」


 瑠璃はオーバーサイズのスウェットを着ていた。手の出ない袖を見ながら、不満げに漏らした。

 彼女の言う衣類を、京香は想像できる。しかし残念ながら、手持ちの部屋着はスウェットしかなかった。


「あるわけないでしょ。三十路なめないで」

「別に、部屋で寛ぐ服なんて、好きなの着ればいいじゃないですか。誰かに見せるわけじゃないんだし、歳も関係無いですよね?」

「何言ってんのよ。あんたが見るじゃない……」


 京香は恥ずかしそうに答えると、瑠璃もまたわかりやすく動揺した。どうやら、言われるまで気づかなかったようだ。

 少しの間、ふたりの間に沈黙の空気が流れる。


「わ、わたしは京香さんが着たところ……見てみたいです。絶対可愛いですよ」

「本当に?」

「ていうか、何ならお揃いでもいいです……。わたし達以外に見せない前提で……」


 瑠璃がぽつりと漏らした提案を、京香は想像した。悪くないと思った。


「か、考えておくわ……」


 京香は、素っ気なさを装って頷いた。

 しかし、瑠璃が帰った後にひとりになれば、最優先で通信販売サイトを漁るつもりだった。


「それにしても……昨日あれだけ食べたのに、お腹空きますね」


 もう京香が片付けたが、瑠璃はテーブルを眺めながら腹を擦る。

 時刻は午前十一時になろうとしていた。一般的な昼食時に近いだけでなく、昨晩の食事から十二時間ほど経っている。腹が減っていても不思議ではないと、京香は思った。


「あんた頑張ってるから、それだけお腹空くのよ、たぶん」


 だが、褒め称えるように言った。

 瑠璃が嬉しそうに微笑む。


「ありがとうございます。とりあえず、何か作りますね」

「ええ、お願い」


 キッチンへ向かう瑠璃を、京香は見送った。

 料理させるために、おだてたわけではない。だが、何気ないやり取りが、なんだか嬉しかった。


 瑠璃が昼食を作ろうとしたものの、やはり冷蔵庫に材料はほとんど無かった。

 そんな中、出汁と卵で卵雑炊が作られた。質素ながら温かく優しい料理が、身体に染み渡るのを京香は感じた。ふたりで平らげた。

 食後、カフェインレスのコーヒーを飲んだ。時刻は午前十一時四十五分だった。


「はー。今日は何もする気にならないわ」


 京香は本心を漏らした。

 急な休日のため、元々予定は無かった。時間が出来れば買い物に行こうと考えていたこともあったが、今すぐどうしても必要なものは無い。化粧すらも面倒であり、自宅から一歩も出たくない気分だった。


「そうですね。今日はダラダラと、ゆっくり過ごしましょう」


 隣に座る瑠璃が、マグカップでコーヒーを飲む。テレビのワイドショーを、ぼんやりと眺めていた。

 京香はまともに観ていないが、瑠璃がどうなのかわからなかった。

 追っていた海外ドラマは、多忙で一度開くとどうでもよくなった。京香としては観たいものが無いため、テレビとチャンネルを瑠璃に譲った。


 のどかな昼時だった。自宅でこのように過ごしている一方で、それでも世間はいつも通り動いているのだと京香は思う。罪悪感すら覚える。

 工場やショッピングモールは大丈夫だろうか。やはり、気分はどこか落ち着かない。

 それでも『現在』のことは従業員達を信じるしかない。だから、代わりに『未来』のことを考えた。


「あんたさ……来月、休めるの?」


 京香は瑠璃の横顔をちらりと見て、訊ねた。

 十一月はじきに終わり、十二月が迫ろうとしている。


「まあ、まともに休めないと思いますけど……。京香さんもですよね?」

「ええ。この感じだと、お正月があるのかもわからないわ」


 おかしそうに笑いながら、京香は答える。

 少なくとも京香個人は、辛くなかった。瑠璃とLazwardに敗北したとはいえ、現在の勢いが続く限り、仕事に身を捧げるつもりだ。

 月度が変わるど同時に経営会議が開かれ、生産計画もきちんと組まなければならない。従業員に無理を言うことを考えると、今から少し憂鬱だった。

 とはいえ、京香はある行事で――仕事以外で、どうしても予定を空けなければならなかった。


「クリスマスとあんたの誕生日……ふたつまとめてで悪いんだけど、二十六日にお祝いしない?」


 そう。来月二十四日は一般的なクリスマスであり、二十六日は瑠璃の誕生日であった。

 京香としては、それぞれ別で祝うつもりだった。しかし、現在の様子では忙しい月末に二日も空けるのは、互いに無理だと思う。だから、心苦しいが妥協案にせざるを得なかった。


「ありがとうございます……。わかりました……二十六日の夜は絶対に空けておきます」


 瑠璃はどこか、驚いた様子だった。


「あんた今、自分の誕生日忘れてたでしょ?」

「はい。正直、クリスマスのことも普通に忘れてました。そっか……もう十二月なんですねぇ」


 ふたりで笑い合う。

 京香もまた仕事に没頭している分、最近は曜日感覚や時間感覚が薄れていた。それでも、大切な人の大切な日だけは念頭に置いていた。


 ふと、昨晩のことを思い出す。京香としては結果的に、互いの気持ちを確かめあったつもりだった。

 自分ひとりの勘違いではないだろうかと、少し不安だった。

 今年のバレンタインに、京香は瑠璃に気持ちを伝えた。だが――それから瑠璃と商売敵ながら恋人のような関係だったが、瑠璃からは未だに気持ちを『言い表されて』いない。


「とりあえず二十六日をモチベに、明日から頑張ります」

「私もよ……。まあ、そこそこ期待しておきなさい」

「へぇ。自分からハードル上げるんですか」


 実に些細な悩みであるため、京香は今この場で訊ねられなかった。いや、とてもそのような雰囲気ではなかった。

 頭の隅に留まるが、時間が経てば勝手に流れると、この時は思っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ