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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第28章『アナタはわたしの手の中』
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第83話

 十一月一日、土曜日。

 大型ショッピングモールの開店日が訪れた。

 京香は商品開発部の責任者として、スプーンマカロンの開発者として、売れ行きを直に確かめるため――この土日は販売員として店舗に立つことにした。

 午前十時の開店を目前に、妙泉製菓だけでなくショッピングモール内はどこも落ち着かない雰囲気だった。正面入口では、開店セレモニーが行われている。

 今年の一月から十ヶ月。建設現場を何度も訪れた身として、京香は今、緊張よりも感慨深い気持ちだった。


「いよいよだね」

「なんで、あんたも居るのよ」


 自身と同じく販売員の格好をしている妙泉円香に、京香は半眼を投げる。


「いやー、ほら……営業の人間だし」


 その理由を、京香はかろうじて納得した。

 だが、それ以上に――昨年の九月、まだ更地だったこの土地に、円香に連れられて来たことを思い出した。ここへの出店に円香がどれだけ関わっているのか、京香は未だに知らない。何にせよ、円香もまた感慨深いのだろう。

 いや、他にも理由があるはずだ――京香は横目で、隣の店を見る。『自分の店』の様子を確かめることが、円香の主な目的だと察した。


 髪を束ね、青いエプロンを纏った小柴瑠璃が、店の前に立っていた。黒いマスクは着けていない。

 周りには従業員達も居る。京香はどれも履歴書で顔写真を見ているため、既視感があった。

 瑠璃から緊張感が見受けられない。最も小柄だが、店の責任者として、ひどく落ち着いた佇まいだった。

 かつての派遣社員(ていへん)とは、とても思えない。現在の妙泉製菓を脅かす、まごうことなき敵対勢力(ライバル)だ。


「お隣さん、なんていうか……若いねー」


 同じく隣を眺めていた円香が、小声でぽつりと漏らす。

 京香も同じことを感じていたが、皆の手前黙っていた。


「若い? 青臭いクソガキの間違いでしょ? こっちには『貫禄』があるわ」

「でも、店の外観と比べたら『若作り』してる感なくない?」

「あんたねぇ……いい加減、黙ってなさい」


 円香としても従業員を気遣っているのか、小声だった。

 確かに、隣のLazwardに引けを取らないほど、ポップな雰囲気の店に仕上げた。だが、従業員の年齢層はLazwardより一回り上だ。アルバイトの人材でも、若手の駒を揃えておくべきだったと京香は思う。

 いや、同じポップでも、こちらは落ち着きと上品さがある。スプーンマカロンには合っていると言える。京香はそう自分に言い聞かせながら、改めてLazwardを眺めた。

 エプロンと同じく、パステルブルーを基調に――ロゴ以外にも、ウサギのイラストや小物が所々に見受けられた。良く言えば店長の趣味が全面的に出され、悪く言えば何の店かわからないと、京香は感じた。


 とはいえ、無名の新規参入としては勢いがあるだろう。良くも悪くも、印象に残るだろう。

 京香はそのように思っていると、ふと瑠璃と目が合った。

 瑠璃が笑顔で、握り拳を突き出す。京香も同じ真似をして、応えた。

 やがて、午前十時になり、開店のアナウンスが建物内に響き渡る。京香も瑠璃も――ショッピングモール内の店員が一斉に拍手をした。


「よし! まずは初日、最高のスタートダッシュ決めるわよ!」


 京香は店に戻り、従業員達を見渡した。特別参加だが、妙泉の人間であり次期社長でもある自分が、今はここの責任者だ。

 そう。瑠璃との勝敗だけでなく――会社を変えるために、新商品も店の雰囲気も近代的にした。まずはここで結果を出さなければ、示しがつかない。

 経緯から、柄にもなく熱い気持ちになっていると、京香は自覚している。それが伝わったのか、従業員は皆、力強く頷いた。

 同時に、隣から『おー!』と大きな掛け声が聞こえた。円陣でも組んでいるのだろうかと京香は少し驚くが、自然と気持ちが高まった。

 店の外では次第に、正面入口から大勢の人影が押し寄せてきた。



   *



 午後十時になり、ショッピングモールは閉店した。妙泉製菓も周りと同じく、後片付けに移った。

 あっという間の十二時間だったと、京香は感じた。休憩は最低限であり、ほとんどを店舗で過ごした。緊張感が解けた今、疲労と空腹感が一気に押し寄せる。

 だが、これで終わりではない。


「明日は在庫あるだけよこしなさい」


 京香は硬い表情で、円香に指示した。明日の準備――いや、これからについて状況を整理しなければならない。


「とっくに手配済み。ていうか、生産追いつかないんじゃない? 完全に見誤ったね」

「ええ。私がしくじったの。私の責任よ」

「嬉しい誤算じゃん」

「何言ってんの。痛すぎる機会損失(ロス)だわ」


 開店に合わせ、スプーンマカロンをこの店舗に二百個用意した。今日と明日の二日で撒く計画だった。しかし、今日の午後三時過ぎに完売した。

 事前に工場の従業員に休日出勤を募り、土曜日の今日はなんとか生産を続けた。無理を言って明日も工場を動かすべきだったと、京香は後悔した。

 このままではあと何日かで在庫を吐き切り、欠品を起こすことは明らかだ。計画に対し実績が大幅に上振れたとしても、見通しが甘いとして本社から責められる。

 他の店舗からここ一ヶ所にスプーンマカロンの在庫を全て集めることを、京香は考えた。だが、他の店舗の実績がまだわからないうえ、広い地域で顧客が購入できないとなれば、信頼を失うことになる。


「月曜朝一に夜勤の申請するから、売上見込み出しておいて」


 想像しただけで、頭が痛い。しかし、工場を二十四時間稼働で生産し続けなければ販売に追いつけない。急な計画変更(はなし)であるため、多くの従業員から反感を買うだろうが――京香は経営目線で、顧客を優先しなければならない。

 良い意味とはいえ、会社を掻き乱している自覚が京香にあった。店舗も製造現場も、なるべく早く混乱を落ち着かせないといけない。そのように考えると、素直に喜べなかった。


「了解。ちなみにだけど、姉さんはどう見てるのさ?」

「どうって?」

「バカ売れしたのは、スプーンマカロンの魅力なのか……それとも、モールがオープンした勢いなのか」


 後者の可能性があることに、京香は言われて気づいた。

 そうであるならば勢いはすぐに落ち、増産計画も無駄に終わる。確かに、要因を見極めなければならない。本来であれば販売員の手応えがフィードバックされるが、実際に携わった身として、京香はしっかり捉えていた。


「スプーンマカロンのお陰に決まってるじゃない」


 京香は自信満々で、誇らしげに答える。

 大体の感触だけでなく――完売したのはスプーンマカロンだけという事実が、根拠でもあった。


「だよね」


 円香が笑顔で頷いた。

 妹もまた、同じ手応えを得たはずだ。確かめる意味でつまらない質問をしたのだと、京香は察した。


「ていうか、正解だよ。ほら……」


 京香は円香から、携帯電話の画面を見せられた。

 SNSのアプリで『スプーンマカロン』が検索されている。


『最強にかわいいお菓子』

『こんなちっさいマカロン初めて見た』

『食感が真新しくて味も飽きなくて無限に食べられちゃう』


 そのような投稿が流れた。さらに、ほとんどが写真を添えていた。

 狙い通りの反響だった。これがさらに、他者の購買意欲を刺激するだろう。京香はようやく、頬が緩んだ。


「忙しくなるけど、頑張ろう」

「ええ。あんたにも、付き合って貰うわよ」

「当たり前じゃん」


 京香は片手で、円香とハイタッチをした。

 そして、店の販売員達に深々と頭を下げた。今日の感謝と、これから忙しくなることの謝罪だ。

 だが、京香は彼女達からの温かい拍手に包まれた。人情が涙腺にまで届くも、溢れさせることなく噛み締めた。給与(かね)で皆の努力に応えたいと、強く思った。


 明日の準備が片付き、京香が店舗を離れたのは、午後十一時半だった。

 偶然か――小柴瑠璃と同じタイミングだった。それぞれの従業員が散り散りに去っていく中、京香は瑠璃と並んで従業員出入り口へと歩いた。


「お疲れさまです。そっち、大盛況でしたね」

「あんたの方こそ……。お疲れさま」


 Lazwardの詳しい状況を、京香は知らない。ただ、客の入りは妙泉製菓と同等かそれ以上であり、スプーンマカロンより早くラズワードが完売した。

 京香の手応えとしては、僅かに負けていた。


「お互い、これから忙しくなりそうですね。なかなか会えなくなるかもしれません」

「ええ、そうね……」


 京香は頷きながら――瑠璃が勝利を確信してそのように言ったのではないと、察した。

 一方で、敗北すれば瑠璃を自分の『所有物(モノ)』に出来ないことを、京香は改めて感じた。瑠璃がこの手から離れる可能性が、現実味を帯びる。

 しかし、危機感は一瞬だった。かつての死活問題も、今はもはやどうでもよかった。


「でも……忙しいのも、悪くないわ」


 生産計画について難題を抱えているが、京香は自然と笑みが漏れた。

 かつての自分であれば、きっとげんなりしていただろう。製菓業でここまで充実感に満たされたことは、初めてだった。そう――心地良いぐらいに。


「わたしもです。しんどいですけど、やり甲斐あるというか……楽しいです」


 瑠璃が幼い子供のように、無邪気に微笑んだ。

 自分と同じなのだと、京香は思った。こうして瑠璃と共感を得られることが、とても嬉しかった。


「一緒に頑張りましょう」


 京香は握り拳を、隣の瑠璃に向けた。

 コツンと、今度は直に触れたことを確かめながら、従業員出入り口の扉を開けた。

 秋の深夜、外はすっかり冷え込んでいた。

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