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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第28章『アナタはわたしの手の中』
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第82話

 九月十六日、火曜日。

 午後四時過ぎ、妙泉円香が開発一課のオフィスに顔を出した。にこやかな様子で、大きな段ボール箱を抱えている。

 周りには、いつも通りの彼女に見えているかもしれない。だが京香は、妹が普段より嬉しそうだとわかった。


「お待たせー。ようやく完成したよ」


 円香が適当な机に置き、課員が群がる。

 段ボール箱の中には『スプーンマカロン』が敷き詰められていた。店頭に並ぶ状態の製品として、梱包されていた。各店舗には、この段ボール箱が届けられることになる。


「わぁ。超かわいいです」

「ぱっと見、マカロンじゃないですね」

妙泉製菓(ウチ)でも、こんなオシャレなの作れるなんて!」


 課員達が集まり、それぞれ手に取った。オフィス内は盛り上がった。

 中には、興奮して携帯電話で写真を取っている課員も居た。


「わかってるとは思うけど、まだ社外秘だから流出だけは絶対にナシね」


 京香は念を押した。本来であれば、管理者として写真を削除させなければいけないが、そこまで厳しく扱わなかった。京香もまた『実物』を前に、興奮気味だったのだ。

 そう。これは実際の製造工程を通して、小ロットで試作量産されたばかりのものだ。量産でも問題無いかを確かめるための、試作品に過ぎない。念のため、品質管理課が評価を行う。

 ショッピングモールの開店に合わせる分の量産は――賞味期限の都合で、まだ先となる。それでも、これは実際に販売される商品と遜色ない。

 京香は、まだ温かいひとつを取った。パッケージも含め、本社に提出した試作品と同じであることを確かめる。そして、満足げに頷いた。


「ええ、問題無いわ。品管に回しておいて」


 手に取ったひとつを段ボール箱に戻さず、適当な課員に指示する。確かな重みのあるそれを、京香は自身の机に置いた。


「やりましたね、京香部長」


 課長の三上凉が、こうしてカタチになったスプーンマカロンを称える。

 この段階まで漕ぎ着けた現在、店頭に並ぶことがほとんど決まっている。京香としても、喜びと共に安心していた。


「ありがとうございます」


 京香は開発案を考えている段階から相談に乗って貰い、部長としての仕事を凉に任せた。彼女の支えがなければ、間違いなくここまでたどり着けなかった。とても感謝している。

 ショッピングモールが開店し、小柴瑠璃との件が片付くまで、あと一ヶ月半ほどだ。どちらに転ぼうとも、京香は部長の座を凉に明け渡すつもりだった。それが京香の、凉への気持ちだった。


「お店の方もぼちぼち出来てきてるんで、時間あれば見に来てください」


 円香がそう言い残し、オフィスを去ろうとする。再び製造現場に戻るのか、それとも本社に帰るのか、京香にはわからない。どちらにせよ、試作品を一箱は本社に持ち帰るはずだ。

 商品開発部として、試作量産に立ち会う義務は無い。それでも大体は立ち会うが、今回は円香が訪れたため、京香は外した。製造現場で妹と喜びを共有することが、恥ずかしかったのだ。


「そうね。楽しみにしてるわ」


 京香はショッピングモールの新しい店舗を確認するだけでなく、他の目的でも建設現場を訪れるつもりだった。

 机に置いた、作られたばかりのスプーンマカロンに目をやった。



   *



 九月十九日、金曜日。

 仕事帰りの午後七時前、京香はショッピングモールの建設現場を訪れた。

 円香に連れられて初めて訪れたのが、今年の初め――寒い頃だった。昼間はまだ暑い日が続いているが、近頃は朝晩が幾分涼しい。季節が移り変わり、巡ろうとしている。

 時間の経過と共に、ショッピングモールの屋内も様変わりしていた。どの店舗もほとんどが仕上がっている。京香は、客達の買い物する姿が鮮明に想像できた。


 一階のスイーツフロアにある妙泉製菓の店舗も、工事をほとんど終えていた。

 全国に在る他の店舗と、雰囲気が大きく違った。ポップで近代的なデザインは、老舗であることを感じさせずカジュアルだ。

 目玉商品であるスプーンマカロンを販売するにあたり、京香は円香とこのように店舗を合わせた。これまでの会社に、ふたりで大きく抗った。

 だからこそ、結果を出さねばならない――京香は重圧を感じていたが、今この時はどうでもよかった。

 妙泉製菓に隣接するLazwardもまた、工事を終えた様子だった。にも関わらず、店舗の前には小柴瑠璃が佇んでいた。


「まだここに来る意味、ある?」


 京香は瑠璃に近寄りながら、ふと訊ねた。


「もうちょっとしたら、研修始めるんで……。イメージ作りですよ」

「なるほどね」


 瑠璃はとても落ち着いた様子だった。自信の無さに怯えていた女性は、もう居ない。

 一応は理由があるのだと、京香は納得する。

 そして、瑠璃が店長として準備を進めていることからも、開店の日が近いのだと改めて実感した。


「アナタの方こそ、来る意味あるんですか?」


 訊ねられ、京香は手に持っていたビニール袋を差し出した。主にこれを渡すために、訪れたのであった。


「ようやく完成したわ」


 瑠璃は受け取り、中に入っていたものを取り出した。

 試作量産から京香がくすねた、製品版のスプーンマカロンだった。

 コルク瓶の中に、小粒のマカロンが詰められていた。三色のそれは梱包形態と相まり、とてもきらびやかであった。リビングやキッチンに小物として置いていても違和感が無いと、京香は思う。


「……凄いですね。正直、ここまで仕上げてくるなんて思ってませんでした」


 言葉の割に、瑠璃が満足げに微笑んだ。

 間違いなく瑠璃にとっては初見だと、京香は確信した。瑠璃の『背後』に居る者は、妙泉製菓側の情報を流していないようだ。


「私ひとりじゃない――妙泉製菓(わたしたち)の本気よ」


 映えるというコンセプトで瓶詰めパッケージを考案したのは、開発一課の課員だった。写真を袋に印刷するのではなく、実物を見せなければ意味が無い。だから、これが最もスプーンマカロンを見栄え良く売り出せると判断し、京香が決定した。

 パッケージに記されているのは全て横文字だった。妙泉製菓のロゴもそれに合わせ、近代的なデザインに作成した。

 包装だけでなくマカロンの小型化も、妙泉製菓の持つ技術だ。全社案件として京香が皆を信頼したからこそ、スプーンマカロンは完成した。京香はとても、自分ひとりの手柄とは言えない。


「あんたがしてくれたみたいに……私もあんたに、初めて見せたかった」


 誕生日の夜、瑠璃が青いレアチーズケーキを持って訪れたことを、京香は今もはっきり覚えている。軽々しく手の内を見せるという、舐めた態度を取られた。だから、それに対して京香なりにケジメをつけておきたかった。

 京香は、開発一課の課員には社外秘だと注意しておきながら、未公開の新商品を部外者に渡した。いくら責任者といえ、瑠璃を信用しているとはいえ、許されない行為だ。このリスクで『対等(おあいこ)』と割り切ることにした。


「ありがとうございます。しかと、受け取りました」


 瑠璃は大切そうに瓶を抱えた。

 その様子に京香は緊張感が解かれ、微笑んだ。やはり、瑠璃とは奇妙な関係だと感じた。

 用件が済み、ふたりでこの場を離れた。関係者用の出入り口へと、歩いていく。このまま、ふたりで夕飯を食べに行く流れになるだろう。


「なんかもう、正直どっちが勝つのかわかりません」


 京香もまた、内心では瑠璃と同じ意見を持っていた。当事者として手応えはあるが、圧倒的ではない。きっと接戦になると、思っていた。


「あら? 自信なくなっちゃった?」

「そんなことないですけど……」


 だが京香は伏せ、悪戯じみた笑みを見せた。煽られてきた仕返しであり、本心を悟られたくないからでもある。

 何はともあれ、京香なりに満足した手応えを得たところで――もうひとつの用件に移った。


「そういえばさ……あんたの誕生日、九月のいつなの?」


 焦っていることから、まどろっこしい真似をせず、直接訊ねた。


「え? わたしの誕生日、九月じゃないですけど……」


 瑠璃からの思いもしなかった回答に、京香は唖然とする。


「は? あんた、瑠璃の誕生石は九月て言ったじゃない」


 京香はそう口にしたところで、確かに『誕生日』とは言っていないと気づく。

 とはいえ、意味合いとして『誕生日』と捉えるのが自然だと思った。決して間違っていないはずだ。


「いや……瑠璃の誕生石は九月と十二月ですよ」


 けろりと返され、京香は半眼を向けた。


「えっと……九月じゃないなら、誕生日は十二月なわけ?」

「はい。十二月の二十六日です」

「ていうか、私あんたに騙された?」

「わたしに騙すつもりは一ミリも無かったんで、そういう言いがかりはやめてください」


 瑠璃からは九月としか聞いていなかったはずだ。

 実際、瑠璃にどのような意図があったのか、わからない。しかし、言った、言っていないと互いに主張したところで、水掛け論にしかならない。京香は釈然としないが、年上として引き下がることにした。

 そして、ようやく――今月でなかった安心感が芽生えた。


「もし九月だとしても……もう半ばじゃないですか。ひょっとして、忘れてたんですかぁ?」


 瑠璃もその点に気づいたようで、ニヤニヤした笑みを浮かべながら、京香の顔を覗き込んだ。

 図星であるため、京香は恥ずかしそうに視線を反らした。


「そ、そんなことないでしょ!」

「思い出して慌てて訊いてくる京香さん、可愛いですねー」

「だから、忘れてないって!」

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