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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第27章『開放感』
81/90

第81話

 午後七時、京香は瑠璃に起こされた。眠気は残るものの、疲労は取れているように感じた。

 陽が落ち、外は暗くなっていた。窓から、ライトアップされた青いプールが見える。

 京香は瑠璃とドームテントを出ると、隣のベルテントへ向かった。


「うわぁ。凄いわね」


 テーブルに置かれた食材を見て、京香は興奮した。

 光沢から、脂の載った新鮮な牛肉だとわかる。ステーキ用だろう――分厚い肉に、目がいった。他にも鶏肉や焼き野菜等が用意されていた。


「さあ、焼きますよ」


 テーブルの隅に設置されたグリルから、熱が伝わる。薪を熱源に鉄板が置かれたシンプルな造りだが、強い火力を出せる代物だ。

 瑠璃が肉を置き、勢い良く焼ける音が鳴り響いた。屋外に香ばしい匂いが広がり、京香は腹が疼いた。

 冷蔵庫から瓶ビールを取り出し、ふたつのグラスに注ぐ。ひとつを瑠璃に渡した。

 京香は椅子に座り、冷えたビールを飲みながら肉が焼けるのを眺めていると――瑠璃が何やら液体を肉にかけ、肉が一瞬炎に包まれた。


「わっ」


 驚いたのは京香だけでなく、瑠璃本人もだった。声と共に身体がビクッと震えたのを、京香は見逃さなかった。


「なに? 初めてなの?」


 酒を肉にかけることにより香りを付け、そして余計な油分をアルコールと共に飛ばす――フランベと呼ばれる調理法だ。一般的な家庭では、あまり行われない。


「そうですけど……。一回やってみたかっただけです」


 恥ずかしそうに瑠璃が答える。

 確かに、興奮しているであろう状況、かつ屋外でそれほど危険でないため、試してみたくなったのだろう。予想外に炎が上がったようだが――驚いたことも含め、京香は瑠璃が可愛かった。


「ふふっ」


 京香は微笑みながら、ビールを煽る。

 こうして屋外で肉を焼いていることから、瑠璃の歓迎会を思い出した。だが今は、バーベキューというより『屋外の鉄板焼』のように感じた。瑠璃はまるで、小さなシェフだ。


「たぶん良い感じに焼けたと思うんで、食べましょう」


 瑠璃が適当な焼き野菜を付け合せに、肉を皿に盛った。

 テーブルではキャンドルの火が、優しく揺れていた。瑠璃と向かい合って座り、京香はナイフで肉に触れた。焼き加減が丁度いいのか、すんなりナイフが通った。

 フォークで口へ運ぶと、思った通り柔らかい食感だった。それでいて、肉の香ばしい旨味が汁となり、内から溢れ出る。赤ワインととても合った。


「うーん! 超美味しいわね! あんた、やるじゃない!」


 京香は鉄板焼屋でステーキを食べたことが何度もあるが、これが最も美味しいと感じた。

 屋外で食べていること、そして瑠璃が料理したこと――それらが加わっているからかもしれない。だが、それらを含め、この時間を大切にしたかった。


「わたしじゃなくて……素材が良いからですよ」

「そんなことないわよ、私のシェフさん」

「あ、ありがとうございます……」


 謙遜する瑠璃を煽てながら、京香は満足げに食事をした。

 きっと、ひとり一泊五万円だと、予想金額は上がった。だが、瑠璃を尊重するため、気にかけることも触れることもなかった。


 やがて、午後八時半に夕食を終えた。

 京香は満腹だった。美味しい料理のため、つい食べすぎた。

 用意された食材を、ふたりで平らげた。瑠璃もまた、苦しそうだった。

 その後、ふたり並んでリクライニングチェアーで横になった。冷えたシャンパンのグラスが、傍に置かれている。

 森の中だからか、プールが近くにあるからか――涼しいわけではないが、蒸し暑さが幾分和らいでた。まだ快適に過ごすことが出来た。

 他二組の宿泊客も、それほど騒がしくなく、気にならない程度だった。


「こんなところ……誰にも見せられないわね」


 寛ぐにしても、間違いなく行儀が悪い。だが、今この空間には自分達以外に誰も居ないため、醜態とも言えるほど足を伸ばしている。


「わたし、めっちゃ見てますけど……」

「あんたならいいのよ」


 思えば、泣き顔を含め恥ずかしいところを瑠璃に大体見られていると、京香は思った。

 いや、そのような間柄なのだ。何も着飾らくて構わない。瑠璃には、あるがままの姿で接することが出来る。

 そもそも、気楽にふたりきりで旅行する相手など、京香にとって瑠璃しか居なかった。


「それじゃあ、そろそろプールに入りましょうか」


 瑠璃がリクライニングチェアーから起き上がり、プールへ向かって歩く。

 プールはこの宿泊施設の『目玉』だ。訪れたからには、利用しなくてはいけない。

 しかし、ここでようやく京香は気づいた。訪れて五時間になるが、結果的にプールを避けていたのは、温泉へ行った後に寝ていたから――それだけではない。そもそも、プールを利用したくとも出来なかったのだ。


「ちょっと、あんた水着は?」


 旅先にプールがあるなど瑠璃から聞いていなかったため、京香は水着の準備をしていなかった。今、手荷物には無い。

 まさか、瑠璃は持参しているのだろうか。そうならば、京香はなんだか騙されたように感じる。


「水着なんか、持ってきてるわけありませんよ」


 瑠璃はぽつりと漏らすと、衣服に次いで下着も脱いだ。さらに、まとめていた髪も解く。

 振り返り、長い黒髪が揺れた。

 暗闇の中――周りの灯りがプールだけでなく、瑠璃の白い裸体も照らした。


「ていうか、要ります? 今ここに、わたしとアナタしか居ませんよね?」


 素っ気ない様子で首を傾げた後、瑠璃は背中からプールに倒れ込んだ。僅かに水しぶきが上がる。

 少しの間を置き、水面から瑠璃が顔を出した。前髪をかき上げ露わになった表情は、とても心地良さそうに京香は見えた。


「京香さんも早く来てくださいよ。気持ちいいですよ」


 瑠璃から誘われるが、京香は戸惑った。

 確かに、ここはふたりだけのプライベート空間だ。誰かの目に触れることは、常識的には有り得ない。

 だが、いくら区画整理されているとはいえ、屋外であることに違いない。不可侵であるとはいえ、絶対の保証は無い。誰かがウッドフェンスをよじ登ることも、昨今では夜空がドローンが飛んでいることも、考えられる。


「そうは言っても、私は――」


 京香も起き上がり、ひとまず脱ぎ捨てられた瑠璃の衣類を慌てて拾い上げた。

 瑠璃に続きたいと思う。しかし、京香にはその度胸がなかった。


「ざぁこ」


 戸惑う様子に痺れを切らしたのだろう。瑠璃がプールサイドにしがみつきながら、口に片手を添え、囁くように煽った。悪戯じみた笑みを浮かべている。


「ヘタレ、ぼっち、三十路……。だーれもオバサンなんかの裸に興味ありませんよ」


 このように煽られるのはいつ以来だろうと、京香は思う。

 かつてはLazwardに劣等感があったからこそ、それほど堪えなかった。だが今、割と苛立っていた。


「ほーら。アナタが欲しがってるわたしは、ここに居ますよ?」


 瑠璃はプールサイドから手を離し、プールの中央部へと仰向きで下がった。迎えるように、両腕を広げる。

 水面に、瑠璃の長い黒髪が広がっている。そして、白い肌と――ふたつの膨らみが見えた。

 煽られた苛立ちだけではない。京香の中に、性欲も込み上げた。悪い可能性を模索していた思考が、途切れた。

 京香も衣類を脱ぎ全裸になると、プールに荒く飛び込んだ。

 瑠璃の言う通り、冷たくて気持ちよかった。しかし、頭は冷えない。

 水の中で動くのは、身体が重く感じた。それでも京香は前へ進み、瑠璃を抱きしめた。


「前から思ってたけど……そのキャラ、無理しすぎ」

「わたしは楽しいんですけどね」


 京香は瑠璃と笑いあった。

 女性ふたり、全裸でプールに入った。何ともはしたない行為だ。

 貸し切りの露天風呂とはまた違うだろうと、京香は思った。今得ている快感は、開放感を主に――背徳感が合わさったものだ。本来は水着を着用しなければいけない義務に反し、そして誰かの目につくかもしれないスリルを味わっている。

 リスクを負っているにも関わらず、京香は今どうでもよかった。ただ、水中で瑠璃とじゃれ合った。邪魔する者は誰も居ない。幻想的なふたりだけの世界に、身を委ねた。

 きっと、全ては瑠璃の思惑通りなのだろう。ナイトプールに行きたがっていた身として、この状況を狙い意図的に水着を知らせなかったと、京香は思った。

 とはいえ、それで構わなかった。結果的に、この小旅行にとても満足していた。


「京香さん、やっぱり綺麗じゃないですか。誰かに見られても、困らないでしょ?」


 瑠璃が京香の肩から二の腕にかけてを、指先でなぞった。

 世辞だとしても、京香は嬉しかった。


「……やっぱり、わたし以外の誰にも見せたくないです。見せないでください」


 妬いた瑠璃が、京香は愛おしかった。より強く抱きしめた。冷たい水中で、確かな温もりと柔らかさが伝わる。


「当たり前じゃない。あんた以外に見せないわよ」


 京香は瑠璃の唇に、自分のものを重ねた。

 自然な流れでのキスだった。だが、京香はこの『非日常』で奇しくも『日常』を思い出してしまった。

 だから、京香の中で様々な気持ちが交錯する。それらを落ち着かせて整理すると、京香は言葉を続けた。


「あんたこそ、こういうところを誰にも見せないこと。だって――」

第27章『開放感』 完


次回 第28章『アナタはわたしの手の中』

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