第79話
八月一日、金曜日。
京香はショッピングモールの建設現場で小柴瑠璃を拾い、午後七時過ぎに帰宅した。
ふたりで風呂に入った後、リビングのテーブルにスーパーマーケットで購入した惣菜を広げた。そして、ハイボールを飲みながら――Lazwardへのパートとアルバイトの応募書類を眺めていた。
建設中の大型ショッピングモールは、この地域で割と注目を集めている。京香は近頃そう、実生活で感じていた。そこへ新規出店するスイーツショップだからか、瑠璃が求人広告を出すなり、応募が殺到したようだ。現在は一度締め切っている。
当たり前だが、応募者は二十代がほとんどだった。瑠璃より年上が多い。さらに、接客業なので明るい人柄ばかりだ。
京香は書類の顔写真を眺めながら、どれを雇っても瑠璃が不安だった。一般的なスイーツショップとしては正しいのだろうが――もしも自分が店長だとしても、対極の人間達に囲まれると、居心地が悪いと思う。
「それにしても……最近、暑いですよねぇ」
京香の不安を余所に、瑠璃がふと気だるい声を上げた。
今この部屋は冷房が効いているとはいえ、暦はもう八月だ。汗をかく毎日が続き、京香としても嫌な時期だった。
「ていうか、もうちょっとでお盆じゃないですか。楽しみです」
瑠璃が書類の束をテーブルに置き、箸で唐揚げを取った。
話の流れから、現実逃避のようだと京香は感じた。確かに、酒を飲みながら眺めても、まともな判断が出来ないと思う。京香も仕方なく、書類を置いた。
「私はお盆休みだけど、あんたは毎日がお盆休みみたいなもんでしょ」
「ちょっと、人をニートみたいに言わないでくださいよ」
「あら? 違うの?」
京香はそう言うが、瑠璃が開店準備に忙しいことも『出資者』から賃金を貰っていることも、知っている。
瑠璃が計画を組んで進めているのは、偉いと思う。世間に合わせ、大型連休を確保しているのだろう。きっとそれも計画の内であるため、京香に瑠璃を咎める筋は無かった。
「今年こそ、お盆はどこか行きましょうよ」
「そうねぇ」
京香はローストビーフのサラダを食べ、昨年を振り返った。瑠璃とは、墓参りに行ったぐらいだ。
今年も京香は帰省するつもりだ。とはいえ――姉妹ふたりで説得してスプーンマカロンの稟議を通したものの、親族とは今も『壁』を感じている。会社を変えたいという京香の意気込みは、現在も変わらない。争う姿勢を保たなければならない。
京香はそのように考え、帰省は日帰りで済ませることにした。言い訳や正当化の予感がするも、見ないことにした。
そう。今年の長期休暇は、瑠璃との時間を優先しようと思った。『婚約者』は最悪無視しても構わない。
「で? どこ行きたいのよ?」
とはいえ、京香は提案できるような所が思い浮かばなかった。ハイボールを一口飲み、瑠璃に訊ねた。
「避暑地的な別荘に行ってみたいです!」
瑠璃が目を輝かせながら口にする一方で、京香は目が点になった。
「は? そんなの、あるわけないでしょ」
「いやいや、どうしてないんですか? 妙泉ですよね?」
「ドラマじゃないんだから……そういう偏見持つの、やめなさい」
瑠璃の言いたいことを京香はなんとなくわかるが、妙泉家が別荘の類を所持していないのは事実だ。
製菓業だからか、或いは一定の地位に達していないのか、京香にはわからない。本家の装いや自動車の車種然り、見栄を張ることはなかった。京香としても、さらなる上の暮らしに憧れなかった。
「えー。マジですか……」
瑠璃が割と深刻に落ち込んでいるように、京香は見えた。
なんだか申し訳ないが、もしも所有していたとしても、その時期は利用できないだろうと思った。『本家』ではなく、一族がそこに集まっているかもしれない。
「それじゃ、海かプール行きましょう」
「えらく切り替え早いわね……」
再び乗り気な様子を見せる瑠璃に、京香は呆れた。大型連休のことばかり考えていたのだろうかと、疑った。
少しの間を置き、瑠璃が挙げた内容を理解した。京香はさらに、げんなりした。
「夏だもんね……そういう所に行きたい気持ち、わからないでもないわ……」
言葉を濁す京香に、瑠璃は首を傾げた。
京香はハイボールを煽ると、真っ直ぐ瑠璃を見つめた。
「正直に言うわね。ウェーイみたいなノリ、無理でしょ――私も、あんたも」
どちらかというと人柄は暗い方だと自負しているため、真逆の人間が集まるであろう場所に抵抗があった。瑠璃に親近感を求めた。
「え? そういうの気にしてるんですか?」
しかし、瑠璃が呆れた反応を見せた。
「わたし達はわたし達で遊べばいいじゃないですか」
瑠璃の言葉に、京香は説得力を感じた。
彼女は人見知りするが、周りの目を気にしない人間なのだ。でなければ、平然とした表情で浮いた格好をしない。
その意味では、瑠璃がどこであろうとマイペースに立ち振る舞うのが、京香は想像できた。だが、百歩譲って瑠璃に合わせたとしても――海やプールを拒む理由は、もうひとつある。
「ていうか、人前で水着姿になれる歳じゃないのよ……」
どちらかというと、京香はこちらの問題が深刻だった。
恥ずかしいながらも口にするが、瑠璃はぽかんとした様子だった。
「すいません……よくわかんないです」
「でしょうね。あんたもあと十年すれば、私の気持ちわかるわ」
京香としても、せめて十年若く、瑠璃と同年代ならば素直に頷いていたと思う。
年齢に加え、近頃は仕事を真剣に取り組んでいるため、不健康な生活を送っている。瑠璃から料理で健康に気遣われているにしろ――京香は肉付きの他、肌の質も気になっていた。とても曝け出せる状態ではない。
「いや、そうじゃなくて……京香さん、お肌綺麗じゃないですか」
瑠璃がふと、京香の手の甲に触れた。
「そりゃ、人目に振れるところは念入りにケアしてるわよ」
京香は風呂上がりの今、キャミソールとショートパンツの格好だが――昼間は長袖のブラウスを着ることが多い。今日もそうだった。
ノースリーブのカットソーを着こなしている三上凉が、羨ましかった。自分より年上にも関わらず、二の腕が細く、綺麗だった。
あれを知っているからこそ、瑠璃の世辞を素直に受け止められなかった。
「わたしにしか見せないココも、綺麗ですよ」
瑠璃の指先が首筋に触れる。そして、鎖骨――さらに、キャミソールのカップ内へと、小さな手が滑り落ちていった。
「ちょ、ちょっと」
京香は慌てて瑠璃を制した。
今は一応、食事中だ。アルコールが入っているとはいえ、雰囲気も無いのに『される』のが嫌だった。
瑠璃は恍惚の表情を見せていたが、引き離されて、なんだか煮え切らない様子だった。
「それじゃ、ナイトプールにしましょう。わたし、一回行ってみたいです。暗かったら、まだマシですよね?」
「マシというか……『三十代の入場禁止』の張り紙どこかに貼ってない?」
瑠璃の言う通り陽の下でないため、水着姿がはっきりと見えない。それに、客層としても女性が圧倒的に多く、落ち着いた雰囲気だ。
京香は過去に一度、付き合いで行った経験があった。
割と居心地が良かったことが印象的だが――客層が若かったのを思い出した。現在の自分が混じれば、浮くかもしれない。
「もうっ。そんなこと言ってたら、どこにも行けないじゃないですか」
「悪いとは思うけど……しょうがないじゃない」
京香は珍しく、瑠璃との年齢差を感じた。
テーブルに置いた応募書類が目に付く。他者を評価する仕事をしているが、瑠璃はまだ二十二歳なのだ。一般的な新規卒業者と変わらない。
「まあ、京香さんのことを踏まえて……どこ行くかは考えておくんで、予定だけは空けておいてください」
これだけうるさく伝えたのだから、流石に瑠璃が汲んでくれるだろうと、京香は頷いた。
「わかったわ。あんたに任せるわね」
「でも、とりあえず……また今年も、お墓参りに着いてきてくれませんか?」
瑠璃が京香を見上げる。淀みない純真無垢な瞳だと、京香は感じた。
同行した昨年、墓石の前で瑠璃から紹介された時は嬉しかった。だが現在は、自分の責任で瑠璃が正社員でなくなった。彼女の両親に申し訳なく、合わせる顔が無いと思う。
それでも、瑠璃から『連れて行って』ではなく『着いてきて』と言われたことから、せめてもの信頼を感じた。それに応えるのが罪滅ぼしだと思った。
「ええ。車、出してあげるわよ」
「ありがとうございます……」
瑠璃が嬉しそうに微笑んだ。




