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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第26章『弱音』
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第77話

 四月二十五日、金曜日。

 大型連休を直前に控えた週末、午後六時に京香は開発一課のオフィスに居た。

 スプーンマカロンの『パッケージまでを含めた試作品』を、念入りに確認していた。

 あの会議から、約一ヶ月――あっという間に時間が過ぎたと、京香は感じていた。工場一丸となり、なんとか試作品(カタチ)にまで漕ぎ着けた。自分以上に、周りの人間を大いに評価したいと思った。


「よし……問題無いわ。持っていきなさい」


 京香は紙袋に詰め、円香に渡した。

 事実上の『締め切り』である今日に完成すると、京香は円香に伝えていた。本社への『配達役』として、円香が待機していたのであった。


「了解。良い出来栄えすぎて、途中で私が食べちゃうかも」

「……冗談でもやめなさいね、マジで」


 にこやかな円香に、京香は半眼を投げかける。


「ふー。何はともあれ、一段落ついて良かったですよ」


 オフィスには京香と円香の他に、三上凉も残っていた。身体を大きく伸ばしている。

 この数ヶ月、部長業務をほとんど凉が代行した御陰で、京香はスプーンマカロンに専念することが出来た。今回の件で、凉には感謝しきれないほどの恩がある。

 そして、部長の席を凉に明け渡しても構わないと、京香は思った。代理ではなく、充分に務めることが出来ることを確かめた。

 この仕事で京香がここまでやる気を出したのは初めてだが、一段落ついた今、自身の進退についても考えた。


「お疲れさまです、三上さん。ゴールデンウィークはゆっくり休んでください」

「ありがとう……て言いたいところですけど、本当に大丈夫ですか? 私も加勢しましょうか?」


 凉が紙袋に視線を送る。本社に試作品と共に稟議を提出するも、承認されないことを案じている。

 責任者である自分は来週頭にでも呼び出されるだろうと、京香は思っていた。


「大丈夫ですよ。私とこの子で、何としてでも通してみせますから」


 京香は円香に横目を送った。

 会社を変えると、皆に宣言した。それを信じて、ここまで付いて来てくれた。だから、何としてでも応えなければならない。

 かつては、部長職から逃げるように経営側に就こうと考えていた。しかし、確かな目標がある現在――真剣に向き合っていた。

 スプーンマカロンの結果を見届けるのが、商品開発部の部長としての、最後の仕事となる予感があった。


「それじゃあ、お言葉に甘えて……お先に失礼します。お疲れさまでした」


 オフィスを去る凉に、姉妹揃って頭を下げた。

 ふたりきりになると、円香も立ち去る準備に取り掛かった。


「姉さんも、今日は早く帰りなよ」


 荷物をまとめながら、ふと円香が漏らす。

 京香は言葉の意味がよくわからなかった。


「ほら……何か良いことがあるかもしれないよ?」


 円香が続けた言葉を、京香は察した。

 自身も慌てて退社準備を行い、円香と共にオフィスを出た。


 焦る気持ちが込み上げるも、京香は安全運転を心がけ、走り慣れた道を進んだ。

 やがて、自宅であるタワーマンションに到着する。地下駐車場に下りると――自身の駐車スペースに、小柄な人影が居た。

 そう。円香の言った通り、小柴瑠璃が京香の帰宅を待っていた。


「あんたね……近くのコンビニあたりで待ってたら?」


 京香が瑠璃と会うのは、花見で瑠璃の自宅に招かれて以来だった。

 桜はとうに散り、すっかり暖かくなっていた。以前ここで瑠璃が待っていた際、寒そうにしていたのが京香は印象的だった。

 この一ヶ月、瑠璃を気にかけなかったわけではない。会いたい欲を抑え、スプーンマカロンの開発に集中していた。


「えー。それじゃあ、連絡しなきゃじゃないですか」

「連絡ぐらい、しなさいよ。そこケチるところ? ていうか――」


 あんたになら、スペアキー渡してもいいけど――瑠璃に会えた嬉しさから、京香はつい口走りかけた。

 瑠璃をそれほど信用しているが、まだ時期ではない。瑠璃に勝利し、再び彼女を『所有物』として手中に収めてからだと思った。


「で? 今日は何しに来たのよ?」


 京香は瑠璃とエレベーターに乗り込み、彼女を見下ろした。

 円香がああ言っていた割に、労いの一言も無い。瑠璃がスプーンマカロンの完成を知っているのか、京香は疑わしかった。わざわざ確かめないが。


「えへへー。良いもの見せてあげます」


 瑠璃が見上げ、嬉しそうな笑みを見せる。

 黒いキャップを被り、黒いマスクを着け――黒いフード付きパーカーに、ショートパンツと黒いタイツといった格好だった。

 京香にとっては懐かしいが、瑠璃からはかつてのような気だるさが感じられなかった。無邪気な表情のせいか、むしろ活き活きした雰囲気だった。

 瑠璃が小綺麗な格好を意識したこともあった。だが今は、周りの目を気にすることなく『自我』を持っているように、京香には見えた。

 食材が入っているであろうエコバッグを、瑠璃が持っている。京香は、それとは別に――彼女の背中にある、黒いウサギを模したリュックサックに目がいった。

 やがて二十四階に到着し、京香は瑠璃を自宅に上げた。


「じゃじゃーん!」


 リビングに入るや否や、瑠璃がリュックサックからパステルブルーの布を取り出した。

 待てずに我慢できないといった仕草から、幼い子供のようだと京香は感じた。なんだか微笑ましかった。


「見てください、これ! ヤバくないですか!?」


 瑠璃が着用し――パステルブルーのそれが単なる布ではなく、エプロンだと京香は理解した。

 可愛らしいウサギのイラストと共に店名である『Lazward』と記されている。ふたつ合わせて、店のロゴのようだ。


「へぇ。良いじゃない」


 京香はかつて、この部屋で青いレアチーズケーキを食べた。あの商品自体の完成度は高かったが、ロゴが決定したことで、店もかたち作られたように感じた。ケーキを梱包していた無地の箱にも、同じロゴが記されるのだろう。

 円香がこれを見せたかったのだと、察した。


「でも……あんたに青色って、なんか変な感じね」


 瑠璃に対して失礼だと自覚しているが、京香は包み隠さず、素直に伝えた。

 現在でこそ明るくなり、瑠璃には名前通り青色が確かに似合うと思う。だが、今の服装のせいか、暗い色の印象を持っていた。髪にしろ、紫のインナーカラーが見えた。

 京香はこの違和感こそ、瑠璃が成長した証なのだと感じた。そして、かつての瑠璃を知っているからこその違和感なのだと思った。現在の瑠璃と初対面の者はきっと、青色が自然な色だと捉えるはずだ。


「いいじゃないですか、好きな色なんですから」


 瑠璃は拗ねることなく、微笑んだ。

 くるりと回ってエプロン姿を見せると、料理に取り掛かった。


 しばらくして完成したのが、春キャベツのペペロンチーノと鶏もも肉の香味焼きだった。

 キッチンテーブルに向き合って座り、ふたりで食べた。

 瑠璃は完成したエプロンが嬉しいのか、脱ぐことはなかった。

 こちらがようやくスプーンマカロンを完成させた一方で、瑠璃が店の準備に取り掛かっている。互いに、着実に開店へ進んでいるのだと感じながら、京香はウイスキーを飲んだ。


「後は……まだもうちょっと先ですけど、バイトの面接が控えてます」


 ふと、瑠璃が漏らす。

 あんたが面接ねぇ――京香はつい笑いそうになるが、瑠璃がどこか緊張した面持ちのため、堪えた。


「面接なんて、直感でいいのよ。あんたが一緒に働きたいって人を選びなさい」


 京香はそのように助言をした。

 これまで妙泉製菓で入社面接を何度か行ってきた。だが、深く考えたことはなかった――というより割と適当だったため、助言できる立場ではないと自覚がある。


「そうですか……。なんか難しそうですけど、頑張ってみます」


 店の人事に関しては『出資者』より店長の管轄になるのだろうと、京香は思う。瑠璃にとって避けては通れない道になりそうだ。


「お店のこと、いろいろ決めるのは楽しいですけど……大変ですね」


 瑠璃が苦笑してみせる。

 弱音だと、京香は察した。花見の後、瑠璃の自宅に招かれた時も、どこか自信が無かった。

 商売敵がこのような様子だと、本来ならば喜ぶべきなのだろう。青いレアチーズケーキを脅威と感じているのだから、なおさらだ。

 しかし、スプーンマカロンが完成した今――京香は、万全な状態の瑠璃と真正面から争いたかった。こちらが勝利したとしても、瑠璃に言い訳されたくない。

 つまり、何もかもが初めての瑠璃に、自信をつけさせなければならない。初めてではないと、教えなければならない。

 京香はすぐ、ひとつの案が浮かんだ。


「もうすぐゴールデンウィークだから、デートしましょうか。今度は私が、良いもの見せてあげるわ」

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