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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第26章『弱音』
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第76話

 三月三十一日、月曜日。

 週始めだが月末でもある今日、京香は午後から本社に行かなければならないため、出社するなり緊急会議を開いた。午前十時に、第一会議室に関係者を集めた。

 今月の生産計画に対する実績など、京香はどうでもよかった。本社でどれだけ責められようとも、今は工場側で詰めておかなければならない案件(はなし)が有る。


「皆、いきなり集まって貰って悪いわね」


 京香は上座から会議の参加者を見渡す。開発一課の課員だけでなく生産技術部や品質管理課、そして――昨晩連絡しておいた営業一課の円香までもが居た。


「新商品のミニマカロン……コンセプトがやっと決まったから、伝えるわね」


 随分と長く悩んだように、京香は思う。

 この場ではとても言えないが、先週土曜日の朝、小柴瑠璃の自宅で打開したのであった。

 瑠璃が大切に飾っていた、京香にとってはどうでもいいモノ――緩いトロールの『屋敷』を模したキャニスター缶を見て、それを購入した経緯を振り返った。

 そう。瑠璃がどのような理由でそれを選んだのかを、思い出した。


「若年層をターゲットにして『映える』商品を目指します」


 京香の言葉に、会議室がざわつく。

 ただひとり――円香だけが、腕を組んで満足気に微笑んでいた。


「えっと……本当に、それでいいんですか?」


 三上凉が手を挙げ、きょとんとした様子で確かめる。

 無理もないと、京香は思った。

 世間に流通しているスイーツの一部に『映える』文化が有ることを、妙泉製菓は把握していた。だが、老舗としてはまさに『邪道』であり、受け入れないどころか見えない振りをしていた。

 京香個人としても、妙泉の人間として育ってきたからか、認められなかった――これまでは。


「構いません。全責任は、私が負います」


 京香は一切の迷い無く、凉だけでなく会議室を見渡して告げた。

 これまで認められなかった理由として『映える』商品は写真を撮って捨てられるという印象を持っていた。ごく一部の消費者だろうが、食品を口にしないことが『悪』なのだ。

 だが、一概に消費者だけが悪いのだろうかと、京香は思った。生産者が『映える』ことにこだわり、味を疎かにしている可能性も有り得る。


「消費者の口に突っ込むことさえ出来たなら、絶対に美味しいと言わせます」


 京香には、その自信があった。必ず斬新な食感と味を与えられる。

 問題は、どのように消費者から手に取って貰うかだった。だから、その手段として『映える』ことを選んだのであった。幸い、直径八ミリのマカロンが三色で敷き詰められると、きらびやかだ。そちらの方向へ、まだ進めやすい。


「この会社は変わります。私が変えてみせます」


 妙泉製菓の、老舗としての指針を真っ向から否定することになる。

 京香自身、戸惑った。だが、品質(あじ)だけを追い求めて胡座をかく時代ではないと――瑠璃の青いレアチーズケーキを見て、思った。消費者の重視要素(ニーズ)に応えなければいけない時代なのだ。


「だから……私を信じて、付いてきてください。お願いします」


 自分の会社(いえ)を、京香は嫌っていた。過去から金銭も地位も与えられ、従うだけの生き方だった。欲しいものなど、何も無かった。

 しかし現在、欲しいものに手を伸ばしている。

 自分ひとりの力では、決して届かない。たとえ経営陣(かぞく)に逆らうことになろうとも、多くの手を借りなければならない。そのために、まずは従業員達の理解を得ることが必要だった。

 そう。結果的にこの時、京香に初めて妙泉家の長女としての自覚――会社を束ねる者としての役目が芽生えたのであった。

 京香は皆に頭を下げるが、会議室はどこか落ち着かない雰囲気だった。突然の指針変更に戸惑うのも無理がないと思った。


「わかりました。今風な感じにしていきましょう」


 そんな中、凉が力強く頷いた。

 京香の目から、先ほどまでの躊躇は無い。やはり、この会社で最も信頼できる人物だと、京香は思った。


「くれぐれも、味メインで……。でも、消費者の目を引くために、どうすれば映えるのか……まずは、それを考えてください」


 開発一課の面々を見渡す。凉と同じく、躊躇は無い。

 むしろ、なんとも逞しく見える彼女達であれば必ず良い案が出てくると、京香は信じた。


「最後になりますが……この商品の名前は『スプーンマカロン』になります。以上です」


 実に安直だと、京香は自覚していた。

 とはいえ、スプーンで食べる前提であること、そしてそれぐらい小さいことから、相応しいと思う。また、スプーンで食べる様子が映えればいいという願いも込められていた。


 早々と会議が終わり、皆が会議室を後にした。

 ただひとり、円香だけが席を立たずに座っていた。ふたりきりになったことを確かめると、京香は上座から円香に向いた。


「ちょうどいいわ。もうちょっとしたら、本社まで乗せていって」

「自分で車出しなよ。帰り、どうするのさ?」

「あんたが帰りも送ればいいじゃない」

「えー」


 言葉と裏腹に、円香はにこやかな様子だった。

 京香としても、冗談半分だった。円香に移動手段(あし)を頼むつもりは無い。


「スプーンマカロン、良い感じだね。今の時点ではベストだと思うよ」


 改まって、円香が話を切り出す。

 円香の言い草が、京香はどこか引っかかった。称賛ではなく『これで勝てないなら仕方ない』とでも言われているように感じた。つまり、妹から勝利を信用されていない。小柴瑠璃を有する者として、おかしくない評価だ。

 事実、京香としても――考え得る中で最善を尽くしたつもりだが、瑠璃に対して勝利の確信は無かった。まだ開発途中の現在、これでようやく五分の状況にまで運んだつもりだ。敗北の確信が無いとも言える。

 ここまでの苦労や努力を、京香は誰かに認めて貰いたいわけではない。結果を出せなければ、当然ながら経営側から責められる。

 しかし、既に満身創痍気味の現在――もしも瑠璃に敗北したとしても、京香はきっと悔いが無いだろう。


「良い商品を用意してあげる。だから、死ぬ気で売りなさい。それがあんたの仕事でしょ?」


 かといって、京香は敗北を甘んじて受け入れるつもりは無い。決する瞬間まで、足掻いてみせる。

 勝利のためならば、使える駒を全て使う。円香もまた、京香にとってはただの駒に過ぎなかった。

 京香が真っ直ぐ円香を見つめると、円香は驚いた様子だった。


「いやー、まさか姉さんから、そんな言葉が出てくるとはねぇ。任せてよ。私も全力で売るから」


 円香が微笑む。京香には心做しか、嬉しそうな表情に見えた。

 確かに、あまり自分らしくない――いや、少し以前の自分ならば考えられない発言だったと、京香は思う。妹から触れられると恥ずかしいが、気にしている場合ではないと割り切った。


「でも、その前に……パッケージまで決まったとしても、稟議通すの難しいんじゃないかな」


 通常であれば、試作品が完成した時点で本社へ稟議を提出する。だが、スプーンマカロンは『映える』というコンセプトである以上、パッケージまで完成してから提出するつもりだ。

 もしも通らない場合、進行が深い分、被害も大きくなる。最悪、計画が凍結となった場合は、元も子もない。現在、京香が最も危惧していることだ。

 京香は、本社から難色を示されることを覚悟していた。少なくとも、これまでのようにすんなりとは通らないはずだ。

 だから、たとえひとりだろうとも、経営陣と『やり合う』つもりだ。


「説得は、私も手伝うよ。これは何としてでも、世の中に出さないといけないからね」


 円香が席を立ち、京香へと近づく。そして、手を差し出した。


「私は、姉さんを支持するよ。今の風習よりは姉さんの方が正しいって、私は思うよ。私達ふたりで、変えていこう」


 差し出された手を眺め、京香は戸惑った。

 円香のことをずっと『本社側の人間』だと思っていたのだ。だから、こうして身内の味方が現れたことに驚き――そして、頼もしかった。駒以上の信頼を感じた。

 必ず稟議を通せると、確信した。


「ええ。ありがとう」


 京香は円香の手を取り、立ち上がった。

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