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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第25章『現状報告』
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第75話

「よかったら、わたしの自宅(へや)に来ます? ここから近いんで」


 京香は腹が鳴って恥ずかしかったが、一変――突然とも言える瑠璃の申し出に、静かに驚いた。願ってもいないことだった。

 そして、少しの間を置き、自宅がこの近辺なのだと理解した。確かに、ショッピングモールの建設現場はまだ近い。やはり、そこを拠点として生活しているようだ。


「え、ええ……。何か作ってくれない?」

「いいですよ」


 頷くと、京香は瑠璃から手を引かれて歩き出した。

 駐車場まで引き返す道も、夜桜が咲き誇っていた。だが、もはや京香に美しさを感じる余裕は無かった。なるべく表情に出さずに抑えているが、あまりの嬉しさに頭がどうにかなりそうだった。

 やがて駐車場で、自動車に乗り込む。京香は瑠璃の案内に従い、運転した。

 十分ほど走ると、いつの間にか住宅街に入り込んでいた。


「そうですね……。そこに駐めましょう。まだ安い方なんで」


 瑠璃がコインパーキングを指差す。看板には、二十四時間五百円と書いてある。この辺りの相場として安いのか、京香にはわからなかった。

 自動車を置き、瑠璃の後を付いて歩いた。


「ここです」


 五分ほどすると、アパートに到着した。

 二階建て六部屋の建物だ。京香は裏手に駐車場が見えたが、ゲスト用の枠は無いようだ。当然ながら、瑠璃が契約している枠も無いだろう。

 暗い中、京香は建物の外観がまだ近代的なデザインに見えた。おそらく築十年ほどだと思った。以前に瑠璃が暮らしていた古びたマンションとは、大きく違った。

 このアパートも、電車の駅から割と離れた閑静な所に位置した。家賃のために距離を犠牲にしたのではなく、電車を利用する必要が無いのだと、京香は察した。瑠璃のものかは不明だが、駐輪場にスポーツタイプの自転車が置かれているのが見えた。

 瑠璃が落ち着いた様子で、一階の一室を開けた。

 玄関には、黒いウサギを模したスリッパの他――客人用であろう一般的なスリッパも置かれていた。京香はそれを履き、部屋へと上がった。


「へぇ。いい所に住んでるじゃない」


 玄関から続く扉の向こうには、まず対面型のキッチンが見えた。その先にはリビング、そしてベッドが置かれている寝室までもあった。1LDKの間取りだと、京香は察する。

 広さのせいだろうか。以前のアパートに比べ、京香は家具が増えたような気がした。所々に可愛らしい小物が目に付くことからも、瑠璃らしい生活感があった。

 生活水準もまた、以前に比べ明らかに上がっていた。


「まあ、そうですけど……契約更新はスルーして、引っ越そうと思います」

「え? なんでよ?」


 どこか残念そうな瑠璃を、京香は理解できなかった。

 ここで一般的な生活を送れているはずだ。ショッピングモールは『圏内』だ。ふたつを覆す理由としては――家賃が不満なのだろうかと思った。いや、築浅とはいえ電車の駅から離れている分、家賃は相場から安いだろう。いったい何が不満なのか、想像できなかった。


「ウサたんを飼いたいからです。もっふもふの」


 瑠璃が幼い子供のように目を輝かせている。

 ここはペット不可物件のようだ。そんな理由なのかと、京香は笑いそうになるのを堪えた。自分のタワーマンションなら飼えるが、黙っておいた。


「あんた、どうしてそんなにウサギ好きなの?」


 この際だと思い、京香は一年近く持っていた疑問をぶつけた。

 パーカーやリュックサックもそうだった。瑠璃の周りには、ウサギに関する何かがいつもあった。今思えば、ウサギを飼っていなかったことが不自然にすら感じる。


「可愛いからに決まってるでしょ。むしろ、それ以外に理由ありますか?」


 けろりとした様子で、瑠璃が答えた。

 当然でしょ? さも、そのように言われているように京香は感じた。しかし、今ひとつ釈然としなかった。


「えっと……。猫や犬じゃダメなの?」

「わたしには、ウサたんなんです! ていうか、どう考えてもウサギさんの方が、犬猫畜生より五億倍は可愛いじゃないですか」


 瑠璃が力説するが、ただの個人的な嗜好が京香には理解不能だった。


「まあ、座っておいてください。わたしも、お腹空きました」


 脱いだ上着を寝室に運ぶと、瑠璃が髪を束ね、エプロンを纏った。

 瑠璃からそのように言われるも、京香はキッチンカウンター越しに、料理する様子を眺めた。


「キッチン、広いのね」


 ふと、そのように感じた。

 京香の自宅ほどではない。以前のアパートに比べてだ。とはいえ、これで家賃相応の『一般的』な広さなのかもしれない。


「ここで仕事するつもりはありませんけど……まあ、広い方がいろいろ便利です」


 京香としては、広々と料理が出来るといった意味合いのつもりだった。

 だが、瑠璃はそのように捉えたようだ。

 少しの温度差を感じ――京香は玉ねぎを切る瑠璃を尻目に、リビングへ向かった。ソファーに座って待った。

 やがて、油で何かを揚げる音と共に、良い匂いが漂ってきた。

 さらに待つと、大皿を持った瑠璃がキッチンから現れた。


「さあ、揚げたて食べましょう」


 キッチンペーパーが敷かれた大皿には、天ぷらが載っていた。たけのこに、新玉ねぎと桜えびのかき揚げ――旬の食材を使用したものだ。


「わぁ。美味しそうね」

「お酒もありますよ。ビールですけど」


 瑠璃が缶ビールとグラスをふたつ持ってきた。

 京香としては、今夜は自動車で帰るつもりだった。だが、いざこのようにもてなされると、素直に好意を受け取った。扉の開いた、薄暗い寝室に一度視線を送る。


「ありがとう。いただきます」


 瑠璃とグラスのビールで乾杯すると、京香は天ぷらに箸を伸ばした。

 塩と天ぷらのつゆ、ふたつの小皿で楽しんだ。揚げたてであることから、とても美味しかった。

 また、春らしいメニューだと感じた。先ほど観た夜桜が、頭の中に蘇る。屋内での飲食だが、まるで『花見』のようだった。


「うん。最高よ」

「よかったです……」


 瑠璃がちびちびとビールを飲む。

 言葉の割にあまり嬉しくなさそうだと、京香には見えた。


「この部屋、アナタに見せたかったんです」


 ビールの入ったグラスを両手で抱えながら、ふと瑠璃が漏らす。


「ちゃんと人並みの生活、送れてるんで……」


 続く瑠璃の言葉に、京香は彼女の『成長』を感じた。

 以前のアパートでも『最低限(ひとなみ)』だと思っていた。京香は基準がわからないが、瑠璃にとってはこの部屋がそうであるらしい。

 そして、瑠璃がこの部屋へ招いた意図を理解した。つまり、彼女なりの現状報告だ。雰囲気の延長ではなかったことは残念だが、それでも求められたことは嬉しかった。


「えらいじゃない」

「わたし、不安なんですよ……この生活を、いつまで送れるのか……」


 瑠璃がどこか浮かない理由を、京香は察した。

 まだショッピングモールが開店していない中で、瑠璃が現在どのように収入を得ているのかわからない。だが、何にしろ『妙泉製菓の正社員』でもなければ『派遣社員の栄養管理士』でもない。安定した収入を望めないのだろう。Lazwardの売上が、生活に直結することになる。


「何言ってんの。あんたならやれるから、しっかりしなさい」


 京香はグラスを一度置き、瑠璃の頭を撫でた。

 気休めの言葉ではない。瑠璃の会社員としての実績、そして社会人としての成長を知っているからだ。現にこの部屋には、経営に関する書籍やデザインの資料があった。現在もなお、無知なりに努力を惜しまないようだ。


「店長なんでしょ? 凄いじゃない」


 社会的地位を着実に上げている。もはや、京香の知る『派遣社員(ていへん)』の面影は無い。かつて金稼ぎのために『裏垢』で裸体を見せていたなど、考えられなかった。


「ありがとうございます……。それにしても、商売敵からそう言われるなんて……なんか変ですね」


 瑠璃が微笑み、グラスのビールを飲んだ。

 敵対する存在に助けを求め、また手助けを行い――確かにおかしな関係だと、京香は思う。何としてでも勝たなければいけない相手なのだから、なおさらだ。


「いいじゃない。あんたなら成功するって、私は信じているから……」


 それでも、これもまた京香の本心であった。

 京香は、隣に座る瑠璃をそっと抱きしめた。


「はい。アナタの期待に応えてみせます」


 心地よさそうな声が、京香の耳に届いた。

 抱きしめられた瑠璃は、まるで母親に甘える幼い子供のようだった。

 しかし京香は、彼女の言葉から強い決意を感じた。



   *



 三月二十九日、土曜日。

 午前八時過ぎに、京香は狭いベッドで目を覚ました。すぐ隣から、瑠璃の小さな寝息が聞こえる。

 京香は今なお心地良かった。満足のいく週末を過ごすことが出来た。

 眠気は無い。昨日までの焦燥はなく、むしろスッキリとした気分だった。京香の精神面は、リセットされた状態だった。自覚は無いが、物事を考えるには最適だった。


 だから、何気ないモノでも素直に吸収した。

 ふと、棚に飾られていたキャニスター缶が目についた。

 昨年のゴールデンウィークにテーマパークで購入した『屋敷』をキャニスター缶に模したものだ。


「これは――」


 京香はベッドから起き上がり、キャニスター缶を手に取る。

 軽いそれは中に何の菓子が入っていたのか、思い出せなかった。

 いや、思い出せなくても構わない。重要なのは――瑠璃がどのような理由でこれを選んだのか、当時のやり取りが京香の中でフラッシュバックした。

 そして結果的には、それこそがミニマカロンに欠けていたものだったと察した。

 まるで、パズルの最後のピースが上手く嵌ったように――考えてみれば実に簡単だったと、京香は思った。いや、むしろどうしてこれが浮かばなかったのだろうとすら思う。

 何にしても、京香は口元に笑みを浮かべた。

第25章『現状報告』 完


次回 第26章『弱音』

京香は瑠璃とゴールデンウィークを過ごす。

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