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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第25章『現状報告』
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第74話

 三月二十八日、金曜日。

 午後六時半になり、京香は一週間の仕事を終えた。

 ショッピングモールの開店向け新商品は、京香の発案した『スプーンで食べるミニマカロン』に決定した。

 生産技術部としては『味がわかるほどのクリームを挟むなら直径八ミリが限界』だった。クリームを挟まないならさらなる小型化が可能のようだが京香は拒み、直径八ミリとして進めた。

 さらに、フレーバーは三種類とした。無数に詰められていることを考えると、せめて三色あればきらびやかになる。

 決定したのは、ここまでだった。商品の軸とも言うべき『売り込む方向性』は未だ決まっていない。

 京香は恥を偲び、営業一課――妹の円香に相談した。


「へー、良いアイデアじゃん。でも、肝心の部分は姉さんが決めてよ。私らは、それに従うからさ」


 しかし、円香から笑顔であしらわれた。

 それを考えるのが、あんたの仕事でしょ――京香はそう思うものの、苛立ちをなんとか抑えた。やはり妹は『敵側』なのだと、改めて確かめた。

 開発一課の部下達にも相談できなかった。否、誰にも振ることができなかった。全社案件に持ち込むためには、発案者が『方向性』を示さねばならない。

 京香はそう理解しているが、まだカタチがあやふやのまま現在に至る。


 スプーンで無数のマカロンを一度に食べることは、確かに斬新だ。とはいえ、食べて貰えなければ意味が無い。そのための『手段』だけが決まらないことに、京香はもどかしさを感じていた。

 だが、週末と共に月末も迎え、もどかしさは焦りへと変化した。新商品開発において企画案の期限まで、残り一ヶ月ほどだ。通常であればまだ若干の余裕があったが、これまでの経緯――そして小柴瑠璃に何としても勝たなければいけない義務から、とても短く感じていた。


「はぁ」


 京香は溜息をついて、工場を出た。駐車場へと歩く。

 この時間帯の空は暗いが、寒さはいつの間にか和らいでいた。もうコートは着ていない。

 春が訪れようとしている。新しい季節を迎えるが、決して気分は浮かばなかった。

 一年前の今頃もそうだったと、ふと思い出す。小さく笑いながら――頭に瑠璃の気だるい表情が浮かんだ。

 京香は自動車に乗り込み、帰路を走った。しかし、途中スーパーマーケットの駐車場に入り、停車したうえで携帯電話を取り出した。

 通話発信音がしばらく続いた後、ようやく繋がった。


『もしもし。どうしたんですか?』


 微かな工事の音に混じり――瑠璃の声が聞こえた。京香は安心した。

 衝動的な電話だった。瑠璃に対し、用件は特に無い。強いて言えば、瑠璃の声を聞きたかっただけだ。

 だが、それが通用しないことを理解している。ここでようやく、どう誤魔化せばいいのか慌てふためいた。


「ねぇ……。今からお花見行かない?」


 そして、咄嗟に出たのがそれだった。


『は?』

「今が見頃でしょ? 夜桜眺めるのも、乙よね」


 昼間のオフィスで課員達が花見の話をしていたのを、思い出したのであった。京香はどうでもいいと聞き流していたが、言い訳に使用した。


『まあ、いいですけど……。迎えに来てくれませんか? わたしがどこに居るのか、わかります?』


 素っ気ない瑠璃の声が、京香の耳に届く。

 突然の誘いに断られれると思っていたので、内心でとても驚いた。咄嗟の提案が運良く受け入れられたのだ。


「ええ、わかるわ。待ってなさい」

『はーい』


 通話を終え、京香は自動車を走らせた。

 根詰めたところで、良い考えは浮かばない。何気なくグラノーラを食べようとした時に考えが浮かんだことから、そのように思う。詰まった時こそ気分転換が必要なのだと、自分を正当化した。

 そして、花見に誘ったとはいえ――どこに行けばいいのかわからないことに、今になって気づいた。

 近場にある花見の有名所を、京香は知らないわけではない。だが、いずれも日中にしか行ったことがない。ライトアップされているのか、夜桜としてどうなのか、そのあたりの経験や知識は無かった。

 一度コンビニの駐車場にでも入って調べようかと思うものの、瑠璃を待たせたくなかった。信号以外で止まることなく、自動車を運転した。


 やがて、ショッピングモールの建設現場へ到着する。京香は改めて瑠璃に電話をかけると、すぐに姿を現した。

 瑠璃が助手席に乗り込み、自動車を適当に走らせた。


「あんたね……ここまでいったい、どうやって来てるのよ?」


 瑠璃が現在どこで暮らしているのか――知りたい情報を、京香はさり気なく聞き出したつもりだった。


「まあ、チャリとか歩きとか……ダルい時はタクシー使ってます」

「へ、へぇ」


 しかし、こちらの意図を察しているのか、瑠璃に肝心の部分を躱された。

 あの瑠璃がタクシーを使うようになるとは――京香は後になり、なんだかしみじみと感じた。誕生日に自宅を訪れた際も、タクシーを使ったのだろうと思った。


「ていうか、これどこに向かってるんですか?」

「適当よ、適当。桜の木なんて、そこらにあるでしょ」


 瑠璃に訊ねられ、京香は嘘偽り無く答えた。

 言葉通り適当な素振りを見せるも、瑠璃の前で格好悪い姿を見せていることから、内心では泣きたい気分だった。

 助手席に座っている瑠璃が、大きく溜息を漏らした。


「いやいや……そこ適当じゃダメじゃないですか。桜の名所が近くにあるんで、行ってみましょう」


 呆れながらも瑠璃がカーナビゲーションで目的地を設定する。

 助けられたと、京香は思った。どうして知っているのか、この時は疑う余裕すら無かった。

 カーナビゲーションの指示に従って運転すること、十五分。目的地に到着した。京香も名前だけは知っている公園だ。

 京香は瑠璃と自動車を降り、ふたりで歩いた。


「わぁ。ちょうどいいタイミングで来られたわね」


 歩道の両脇に並んでいる桜の木は、京香の見たところ八分咲だった。満開では無いにしろ、ライトアップされたそれらは、とても綺麗だった。

 花見の時期かつ有名所であるため、大勢の人が歩いていた。いくら桜が綺麗でも、京香は窮屈に感じていた。

 それは瑠璃が著しいのか――京香はふと、隣を歩く瑠璃から手を握られた。緊張や不安といった感情が伝わる。


「あんたね、そんなんでお店やってけんの?」


 雰囲気に流されて手を繋げたなら、よかったのに。京香は残念がりながら、冗談のつもりで笑った。


「う、うるさいです! それとこれとは別です!」

「なーにが別なのよ。具体的に説明なさい」

「そ、それは……」


 これまで散々煽られてきた身として、京香は口ごもる瑠璃がなんだか小気味よかった。たまには言い返さなければいけないと思った。


「そういう京香さんこそ、花見なんてキャラじゃなかったくせに……。どういう風の吹き回しなんでしょうねぇ」


 京香は隣を見下ろすと、瑠璃が口先を尖らせていた。

 図星であるため、今度は京香が口ごもった。

 だが、しばらくすると吹っ切れたように笑った。瑠璃もそれに連れられた。


「私達、似た者同士……どうしてこんな所歩いてるのかしら」

「まあ、たまにはいいじゃないですか」


 瑠璃の手から緊張感が少し和らいだのを、京香は感じた。

 人混みに混じって、桜の木に囲まれた道をふたりで歩いた。

 夜桜を楽しんでいると、京香は違和感を覚えた。桜が咲き誇り多くの人で賑わっているが、それほど騒がしくない。人混みの割に、なんだか落ち着いた雰囲気だった。

 このような場所にも関わらず露店が無く、宴会も行われていない。京香は後から知るが、公園側がどちらも禁じているのであった。

 夜空を静かに舞う桜の花びらが、緩やかな光に照らされている。だから、京香はまだ雰囲気に浸れた。ふと、肩を瑠璃に寄せた。


「どうしたんですか?」

「なんでもない……」


 京香は上機嫌で誤魔化した。

 やがて、この公園の中央に位置する沼が開いた場所に出た。


「うわぁ」


 その美しさに、瑠璃がつい声を漏らした様子だった。

 沼の水面が、まるで鏡だった。ライトアップされた桜の木が、水面を境に上下対称に映し出されていた。静かな雰囲気だが圧巻の景色だと、京香は思った。

 そして、それに見惚れる瑠璃もまた――京香は綺麗だと感じた。

 紫のインナーカラーが入った長い黒髪を、瑠璃が耳にかき上げている。桜の花びらが舞い、髪が揺れる。その姿と夜桜が、とても似合っていた。瑠璃から、落ち着いた美しさを感じた。


 成り行きだが、今日こうしてデートに誘って良かったと思った。

 そのように満足していると、京香の腹が鳴った。突然の出来事に京香自身が驚き、慌てふためいた。今日最も恥ずかしかった。

 時刻は午後七時半。空腹を感じる時間帯だった。

 京香の様子に、瑠璃がおかしそうに小さく笑う。


「出店も無いですし、お腹空きますよね……。よかったら、わたしの自宅(へや)に来ます? ここから近いんで」

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