第69話
「ちょっと顔貸しなさい。場所変えるわよ」
京香がそう告げると、瑠璃は頷いた。
「いいですよ。デートですね」
にんまりとした笑みを向けられ――いざそのように言われると、京香は少し恥ずかしかった。
いや、意図としては間違っていない。あくまでも、下心がある。
京香は瑠璃と共にショッピングモールを出ると、ふたりで自動車に乗り込んだ。
「この車に乗るのも、久しぶりですねー」
黒いマスクを外し、瑠璃は助手席に座っている。言葉の割に、はしゃぐことなく落ち着いていた。
京香としても、瑠璃を乗せるのは久々だった。かつては弱みを握り、無理やり乗せた。瑠璃が気だるい様子を見せていたのが、今でも印象に残っている。
脅迫したのは、遠い過去だった。現在ではすっかり変わってしまったと、京香は思った。
「それで、どこに連れて行ってくれるんですか? まさかー、ホテルに連れ込むつもりですかぁ? こわーい」
「違うわ。バレンタインだもの……イルミでも見に行きましょう」
「へー。嬉しいですけど……アナタにしては珍しいですね。イルミなんて興味無さそうなのに」
確かに、かつての『ママ活』では、デートは互いの自宅がほとんどだった。出かけることは、あまり無かった。
京香の性格だけでなく、あの時は人目を気にしていたのだ。
今や――退社した瑠璃と一緒にいるところを、妙泉製菓の従業員に見られたとしても構わない。
「人間、変わるものよ。あんたみたいにね……」
京香は今でも人目のことを伏せ、適当に誤魔化した。
臭い台詞だと思われたのだろう。瑠璃にケラケラ笑われるも、動じることなくハンドルを握った。
ショッピングモールを出て、約一時間。コインパーキングに自動車を置き、ふたりで少し歩いた。
ようやく目的地に到着した。
スポーツイベントからコンサート、見本市まで行われている、有名な多目的アリーナがそびえていた。
アリーナ前の広場が混雑しているのは、きっとイベントの有無と関係無いと京香は思った。
「わぁ。凄いですねー」
瑠璃が感嘆の声を上げるように、京香としても素直に魅入った。
何かイルミネーションを見にいこうと調べ、京香はここを選んだ。事前に写真を見ていたとはいえ、実際に目にするとより綺麗に感じた。
アリーナ前の広場には、所々にけやきの木が植えられていた。それらに青い電飾が施され――寒い夜空の下、幻想的な青い世界が広がっていた。
「ちょっと歩きましょうか」
「いいですよ」
ふたりで歩き出すと、京香の手に瑠璃のが触れた。京香は一瞬強張るも、瑠璃から指を絡められ、仕方なく手を繋いだ。
瑠璃との間に於いて手を繋ぐなど、かつては自然な所作だった。だが今は、恥ずかしさと緊張で、京香は瑠璃の顔を見られない。
それでも、瑠璃の手が温かく、そして柔らかく感じた。互いに手袋を着けていないため、直に伝わった。
「念のため、確認するわね……。私があんたに勝ったら、また私の『所有物』になるのよね?」
ゆっくり歩きながら、京香はふと訊ねる。そのように、今夜の用件を切り出した。
ショッピングモールの工事現場へ京香ひとりで訪れた際、そして誕生日にも、確かに瑠璃から言われた。
「一瞬、何のことかわかりませんでしたけど……そういえば、そういうこと言ったような……」
口振りから――瑠璃にとっては、どうでもいい台詞だったようだ。
京香としては、言質を取ったつもりだった。今さら冗談では済まされない。
だが『必死さ』を見せたくないため、訴えなかった。平常を装い、素っ気ない態度を見せた。
「まあ、そういうことでいいですよ。アナタみたいなザコオバが、わたしに勝てるわけありませんから」
ケラケラとした笑い声が、隣から聞こえた。
貶しているつもりなのだろう。もうすっかり聞き慣れた口調を、京香は聞き逃さなかった。
「言ったわね? 私が勝てば……本当に、また私の『所有物』になりなさいよ?」
言質と捉える機会として、一応押さえておく。
瑠璃がふと立ち止まり、京香も連れられた。青いキラキラした世界を背後に――瑠璃が小さな笑みを浮かべながら、見上げていた。
「構いませんよ。まあ、それにしても……今日は随分食いつきますね。もしかして、勝算でもあるんですか?」
「そんなもの、無いに決まってるじゃない」
京香は笑いながら、正直に告げる。
ショッピングモールの建設現場で再会した時から、そうだった。瑠璃の実力を、よくわかっている。最も敵に回したくない人物と敵対し、京香は反射的に諦めていた。
そう――敵対したと、実感が湧かないほどに。瑠璃のふざけた様子からも、冗談のように感じていた。ふとした拍子に、再び自分の手元に戻ってくるとさえ思っていた。
だが、あまりに楽観的だった。
誕生日の贈物として持ってきた青いレアチーズケーキを食べ、本当に手元を去ったのだと実感した。そして、勝利は万が一にも無いと悟った。
「それでも、やるしかないの。あんたに勝つしかないのよ」
家業を背負っての勝利など、京香としてはどうでもいい。目的のための手段でしかない。
「私は、あんたのことが好きだから」
白い息が、霞んで消える。
ずっと伝えられなかった気持ちを、京香はようやく告げた。恥じらいもなく、瑠璃の瞳を見つめた。
瑠璃のことを、諦めきれなかった。離れた辛さを知っているからこそ、せっかく再会した現在――もう二度と手放したくない。
思えば、京香に欲しいモノなど何ひとつも無かった。敷かれたレールの人生を甘んじて受け入れ、退屈な日々を怠惰に過ごしていた。
それが現在、欲しいモノを掴み取ろうと必死に手を伸ばしている。このような気持ちはいつ以来だろうと、京香は思う。
何にせよ、きっと社会人に成りたてだった頃を思い出したからであった。偶然だったとしても、自分の実力を信じるしかない。どれだけ家業を嫌っても、もう一度フレッシュな気持ちで向き合うしかない。
「ありがとうございます」
京香の告白に、瑠璃は感謝した。子供のような無邪気な笑みを浮かべている。
きっとからかわれると思っていたため、京香としては意外だった。ここでようやく、恥ずかしくなった。つい、瑠璃から視線を反らしてしまう。
「よく言えましたね……。そういうことなら、約束しましょう。もしも、アナタがわたしに勝てたなら……もう一度『所有物』になります」
瑠璃から顔を覗き込まれるも、京香はその言葉が嬉しかった。こちらの意図を汲んで貰えたと理解すると同時、決意がより強くなった。
京香は鞄から、妙泉製菓の自社製品をひとつ取り出す。
「これ、私があんたの歳ぐらいの時に開発したやつよ。バレンタインなんだから、受け取りなさい」
白いマカロンを、流通されているラッピングのまま渡す。
これが京香の、今夜の目的だった。
所詮は市販の既製品であるため、バレンタインの贈物としては実に味気ない。だが、自らが手掛けた製品でなくてはならないため、京香としてはこれ以外に考えられなかった。
そう。誕生日にされたことを返し、そして気持ちを伝える――いわば、京香なりの『宣戦布告』であった。現在の瑠璃と向き合うことへの、覚悟の提示だ。
「へー。なかなか良いじゃないですか……」
瑠璃は余裕のあるにやけ顔で、マカロンを受け取る。この場でひとつ取り出し、口へ運んだ。
「ザコオバのクセに、やりますねぇ。勝てる可能性がゼロパーセントから一パーセントぐらいには上がったんじゃないですか?」
「減らず口を叩いてられるのも、今のうちよ」
京香としては、白いマカロン以上の商品を用意できる自信が無い。だが、瑠璃に悟らせないため、虚勢を張るしかなかった。
「まあ、アナタが珍しく本気を出そうとしてるのは、よーくわかりました。だからこそ――叩き潰してあげます」
瑠璃が相変わらず舐めた態度を取るが、京香にはなんだか嬉しそうに見えた。
このようなかたちだが、京香はバレンタインとして満足した。
「いいわね? これは店というより……私とあんたの真剣勝負よ?」
「わかりました。でも、その前に……夕飯にしませんか?」
瑠璃が腹をさすりながら、広場の外周を指さした。飲食店が並んでいる。
京香は調子が狂うも、瑠璃と笑いながら歩き出した。
「あんたね……なに先に、お菓子食べてんのよ?」
「お腹空いてる時に渡してきたの、そっちじゃないですか? ていうか、奢ってくださーい」
「は? あんた、金持ってんでしょ?」
「全然持ってませんよ。さーて、何食べようかなぁ」
「ほんっとムカつくガキね……。まあいいわ。その代わり、今の携帯電話番号教えなさいよ」
「いいですけど……寂しいんですかぁ?」
「う、うるさいわね……」
第23章『宣戦布告(後)』 完
次回 第24章『いたわり』
京香は新商品の案を考える。




