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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第23章『宣戦布告(後)』
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第68話

 二月五日、水曜日。

 新年を迎えて一ヶ月が経つも、ショッピングモール向け新商品開発の進捗は今ひとつであった。開発一課ではアイデアが出ない他、京香としても複雑な気持ちが続いていた。


「京香部長、ちょっと売り場の視察に行きませんか?」


 そんな折、三上凉からそのような提案があった。

 やはり『パクれるネタ探し』が主な目的だと京香は察したが、行き詰まった気分転換になるとも思った。

 今日は午後から予定が無いため、正午に自動車で工場を出た。途中、適当に昼食を済ませ、都心部へと走った。


「そういえば、もう二月じゃん? 今年も、京香のアレが売ってる時期だよねぇ」


 ふと、助手席の凉が話を振る。

 京香はなんとも雑だと思うと同時、それが狙いで連れ出したのかと勘ぐった。


「アレもいい加減、リニューアルしましょうか……。毎年同じだと、飽きますよね」

「要らないんじゃない? ハンバーガーだって、期間限定品(シーズナル)は変にアレンジされるより定番の味が求められてるでしょ?」

「わかるような……わからないような……」


 期間限定なのに定番とは、なんだか矛盾している。京香はそう思いながら、運転した。

 やがて、都心部のコインパーキングに到着した。自動車を置き、近くのデパートに向かう。

 時刻は午後一時半。地下一階の食品フロアは、いつも通り混雑していた。時間帯というより季節柄だと、京香は所々の掲示物から感じた。

 妙泉製菓の店舗も、客が三人居た。


「お疲れさまでーす」

「いきなり訪ねて、すいません」

「これはこれは……三上課長と京香部長」


 ふたり居る店員のひとり――まだ手の空いている方に、小声で挨拶をする。

 京香は店内を見渡すと、スティックケーキが見えた。『新商品』の文字と共に、五種類のフレーバーの説明が書かれたポップも掲示されている。


「滑り出しは、良い感じですね」


 凉がふたりに対して微笑んだ。

 スティックケーキは先月発売されたばかりだ。売上が計画より順調の他、営業部に寄せられる顧客の声としても良い感触だった。この実績で、京香は先日の経営会議を乗り切った。

 フレーバーの中でも、京香は『ハチミツりんご』に自然と目がいった。

 自分が手掛けた商品がこのように売られているところを、瑠璃は見たのだろうか。もしもまだ自分の部下であったなら、連れてきて褒めていただろう。

 京香はふと、そのように思うが――青いレアチーズケーキ『ラズワード』を開発した手前、瑠璃にはもう興味が無い可能性を考えた。かつての日々を忘れていても、不思議ではない。


「スティックケーキもまだ全然売れてますけど……時期が悪いですね」


 店員が苦笑しながら、視線を送る。

 現在の店内で最も目立つ位置に置かれている商品は、白いマカロンだった。七個入りでラッピングされている。


「そりゃ、ウチの数少ない期間限定品ですからね」

「私は、今年はスティックケーキだけに絞った方が良かったと思いますけど……」


 凉が誇らしげな態度を見せ、京香はなお照れくさかった。

 そう。現在から十一年前――妙泉製菓に入社した京香が、開発一課の課員として初めて手掛けた商品だった。

 バレンタイン向けの期間限定アレンジ商品という『お題』に対し、京香はマカロンを選んだ。チョコレートマカロンでは平凡であるため、白いマカロンを考えた。ホワイトチョコレートガナッシュに酒麹を加え、甘酒のような味わいを再現した。また、バレンタインだけでなくホワイトデー向けでもあるため、コンペティションを勝ち取ることが出来た。

 妙泉製菓では、毎年二月から三月まで販売されている。今年で十年目であった。


「京香部長……それ、謙遜じゃなくて皮肉ですよ? よっぽど自分の商品に自信がお有りで?」

「え? ち、違います!」


 凉にからかわれ、京香は困惑した。

 とはいえ、白いマカロンが販売されているところを見るのは、久々だった。遠い過去に開発したことから、なんだか懐かしかった。


 地下一階のスイーツコーナーは、どの店もバレンタイン向けだった。『売り場の視察』として、目ぼしい『ネタ』は見つからなかった。

 京香は凉と午後二時過ぎにデパートを離れ、休憩がてら近くのカフェに入った。有名なチェーン店であるそこは、とても混んでいた。窓際のカウンター席に、ふたり並んで座る。


「どう? 初心に帰れた?」

「もー。やっぱり、それ狙いだったんじゃないですか……」


 呆れながら、京香は期間限定の温かいカフェモカを飲んだ。期間限定という言葉に釣られたが、あまりに甘いため、なんだか気持ち悪かった。


「てかさ……今さらだけど、どうしてマカロンにしたの? バレンタイン向けアレンジなら、他にもネタあったよね?」


 凉の言葉に、京香は十年前を思い出した。

 新入社員だった頃、凉の指導で白いマカロンの企画書を作成したのであった。

 あの頃はまだ自分にも少なからずフレッシュな気持ちがあったと、懐かしかった。


「あれ? 言いませんでしたっけ? マカロンは単に、アレンジがし易いからですよ」


 生地も挟むものも、組み合わせは様々だ。食感はともかく、焼き菓子の中で最も味の自由が効くのはマカロンだと、京香は現在も思う。


「あー。大昔に、そんなこと言ってたね……。確かに、京香の言うことは正しいよ? だからこそ、初心に帰って考えてみようよ」


 同じカフェモカを凉も飲んでいるが、美味しそうな様子だった。

 どのような味覚を持っているのだろうと、京香は少し白けた。


「ずばりさ……マカロンの新しいフレーバー作れって言われたら、京香ならどうする?」


 凉から案を引き出されようとしていることに、京香は悪い気がしなかった。形式上は京香が部長だが、凉を敬っているからであった。

 しかし――


「すいません。すぐには出てきません」


 仮定だとしても、大雑把すぎる。京香としてはもう少し何か、指針(ヒント)が欲しい。

 とはいえ、開発一課の現状はまさにそれであった。『ショッピングモールの開店に合わせた新商品』以外に指定は無い。実質無制限だからこそ、逆に皆の頭を悩ませている。


「すぐじゃなくても……時間かけたら何か出てきそう?」


 凉の言葉に、京香は気づいた。

 途方も無いから出来ない、ではない。かつてマカロンの組み合わせを考えた身として――無制限なら一体どのようなマカロンを開発できるのだろうと、少しだけ好奇心が反応した。

 そして、凉が今日連れ出した意図を察した。


「わかりました。私も何か、考えてみます」


 部下から案を募って評価するのが、管理職の仕事だ。だが今は『課長』から、ひとりの課員として案を出すよう言われている。

 京香に部長としての誇りは無く、むしろこれこそが本来あるべき仕事(すがた)なのだと思った。


「頼むよ。現在の一課でエースを挙げるなら、私は京香だと思うなぁ」


 小柴瑠璃も両川昭子も居ない現在、経験値で考えれば確かにそうだろうと、京香は納得する。凉は管理職として優れている。

 いや、凉の根拠は経験値だけではない。ここまで連れ出した意図としては――


「白いマカロンは、ただのマグレですよ」


 京香には一応、ヒット商品を生み出した実績があるのだ。

 だが、十年でその一度きりだった。京香は、これが『凡人』としての限界だと思っていた。今からどれだけ頭を捻っても、かつての栄光を再度掴む光景が浮かばない。


「マグレでも奇跡でも……今は藁でも掴みたいよ」


 凉が苦笑する。

 確かに、贅沢を言っていられる状況では無いと、京香もまたわかっていた。


「まあ、私は京香なら何かやってくれるんじゃないかって……信じてるよ」


 そのように言われるが、京香は不思議と重圧に感じなかった。

 管理職としての仕事を凉に任せ、案を出す側に回る。

 つまり、瑠璃と同じ立場になる。真っ向から競い合うことが出来る。


「何とかなれば、いいですね」


 京香は小さく笑うと、不味いカフェモカを飲んだ。

 外は寒いが、大型プロジェクトの先行きは不安だが――凉と共に、穏やかな昼下がりを過ごした。



   *



 二月十四日、金曜日。

 京香はこの日、珍しく定時に仕事を切り上げた。『婚約者』とのことだと茶化されながら、工場を後にした。

 確かに、京香は適当に購入した市販のチョコレートを彼に渡すつもりだった。だが、後日であり今日ではない。

 午後六時前、自動車でショッピングモールの工事現場に到着した。空はすっかり暗いが、この時間でも灯りを点けて工事が行われていた。

 京香は、一階のスイーツフロアまで早足で歩くと――妙泉製菓の隣に、ひとりの小柄な女性が立っていた。やはり居たと、安堵した。

 小柴瑠璃が京香の存在に気づくと、黒いマスク越しに、にんまりと笑う。

 京香はとても落ち着いていた。余裕を見せるべく、小さく笑って見せた。そして、親指を自身の背後に向けた。


「ちょっと顔貸しなさい。場所変えるわよ」

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