第68話
二月五日、水曜日。
新年を迎えて一ヶ月が経つも、ショッピングモール向け新商品開発の進捗は今ひとつであった。開発一課ではアイデアが出ない他、京香としても複雑な気持ちが続いていた。
「京香部長、ちょっと売り場の視察に行きませんか?」
そんな折、三上凉からそのような提案があった。
やはり『パクれるネタ探し』が主な目的だと京香は察したが、行き詰まった気分転換になるとも思った。
今日は午後から予定が無いため、正午に自動車で工場を出た。途中、適当に昼食を済ませ、都心部へと走った。
「そういえば、もう二月じゃん? 今年も、京香のアレが売ってる時期だよねぇ」
ふと、助手席の凉が話を振る。
京香はなんとも雑だと思うと同時、それが狙いで連れ出したのかと勘ぐった。
「アレもいい加減、リニューアルしましょうか……。毎年同じだと、飽きますよね」
「要らないんじゃない? ハンバーガーだって、期間限定品は変にアレンジされるより定番の味が求められてるでしょ?」
「わかるような……わからないような……」
期間限定なのに定番とは、なんだか矛盾している。京香はそう思いながら、運転した。
やがて、都心部のコインパーキングに到着した。自動車を置き、近くのデパートに向かう。
時刻は午後一時半。地下一階の食品フロアは、いつも通り混雑していた。時間帯というより季節柄だと、京香は所々の掲示物から感じた。
妙泉製菓の店舗も、客が三人居た。
「お疲れさまでーす」
「いきなり訪ねて、すいません」
「これはこれは……三上課長と京香部長」
ふたり居る店員のひとり――まだ手の空いている方に、小声で挨拶をする。
京香は店内を見渡すと、スティックケーキが見えた。『新商品』の文字と共に、五種類のフレーバーの説明が書かれたポップも掲示されている。
「滑り出しは、良い感じですね」
凉がふたりに対して微笑んだ。
スティックケーキは先月発売されたばかりだ。売上が計画より順調の他、営業部に寄せられる顧客の声としても良い感触だった。この実績で、京香は先日の経営会議を乗り切った。
フレーバーの中でも、京香は『ハチミツりんご』に自然と目がいった。
自分が手掛けた商品がこのように売られているところを、瑠璃は見たのだろうか。もしもまだ自分の部下であったなら、連れてきて褒めていただろう。
京香はふと、そのように思うが――青いレアチーズケーキ『ラズワード』を開発した手前、瑠璃にはもう興味が無い可能性を考えた。かつての日々を忘れていても、不思議ではない。
「スティックケーキもまだ全然売れてますけど……時期が悪いですね」
店員が苦笑しながら、視線を送る。
現在の店内で最も目立つ位置に置かれている商品は、白いマカロンだった。七個入りでラッピングされている。
「そりゃ、ウチの数少ない期間限定品ですからね」
「私は、今年はスティックケーキだけに絞った方が良かったと思いますけど……」
凉が誇らしげな態度を見せ、京香はなお照れくさかった。
そう。現在から十一年前――妙泉製菓に入社した京香が、開発一課の課員として初めて手掛けた商品だった。
バレンタイン向けの期間限定アレンジ商品という『お題』に対し、京香はマカロンを選んだ。チョコレートマカロンでは平凡であるため、白いマカロンを考えた。ホワイトチョコレートガナッシュに酒麹を加え、甘酒のような味わいを再現した。また、バレンタインだけでなくホワイトデー向けでもあるため、コンペティションを勝ち取ることが出来た。
妙泉製菓では、毎年二月から三月まで販売されている。今年で十年目であった。
「京香部長……それ、謙遜じゃなくて皮肉ですよ? よっぽど自分の商品に自信がお有りで?」
「え? ち、違います!」
凉にからかわれ、京香は困惑した。
とはいえ、白いマカロンが販売されているところを見るのは、久々だった。遠い過去に開発したことから、なんだか懐かしかった。
地下一階のスイーツコーナーは、どの店もバレンタイン向けだった。『売り場の視察』として、目ぼしい『ネタ』は見つからなかった。
京香は凉と午後二時過ぎにデパートを離れ、休憩がてら近くのカフェに入った。有名なチェーン店であるそこは、とても混んでいた。窓際のカウンター席に、ふたり並んで座る。
「どう? 初心に帰れた?」
「もー。やっぱり、それ狙いだったんじゃないですか……」
呆れながら、京香は期間限定の温かいカフェモカを飲んだ。期間限定という言葉に釣られたが、あまりに甘いため、なんだか気持ち悪かった。
「てかさ……今さらだけど、どうしてマカロンにしたの? バレンタイン向けアレンジなら、他にもネタあったよね?」
凉の言葉に、京香は十年前を思い出した。
新入社員だった頃、凉の指導で白いマカロンの企画書を作成したのであった。
あの頃はまだ自分にも少なからずフレッシュな気持ちがあったと、懐かしかった。
「あれ? 言いませんでしたっけ? マカロンは単に、アレンジがし易いからですよ」
生地も挟むものも、組み合わせは様々だ。食感はともかく、焼き菓子の中で最も味の自由が効くのはマカロンだと、京香は現在も思う。
「あー。大昔に、そんなこと言ってたね……。確かに、京香の言うことは正しいよ? だからこそ、初心に帰って考えてみようよ」
同じカフェモカを凉も飲んでいるが、美味しそうな様子だった。
どのような味覚を持っているのだろうと、京香は少し白けた。
「ずばりさ……マカロンの新しいフレーバー作れって言われたら、京香ならどうする?」
凉から案を引き出されようとしていることに、京香は悪い気がしなかった。形式上は京香が部長だが、凉を敬っているからであった。
しかし――
「すいません。すぐには出てきません」
仮定だとしても、大雑把すぎる。京香としてはもう少し何か、指針が欲しい。
とはいえ、開発一課の現状はまさにそれであった。『ショッピングモールの開店に合わせた新商品』以外に指定は無い。実質無制限だからこそ、逆に皆の頭を悩ませている。
「すぐじゃなくても……時間かけたら何か出てきそう?」
凉の言葉に、京香は気づいた。
途方も無いから出来ない、ではない。かつてマカロンの組み合わせを考えた身として――無制限なら一体どのようなマカロンを開発できるのだろうと、少しだけ好奇心が反応した。
そして、凉が今日連れ出した意図を察した。
「わかりました。私も何か、考えてみます」
部下から案を募って評価するのが、管理職の仕事だ。だが今は『課長』から、ひとりの課員として案を出すよう言われている。
京香に部長としての誇りは無く、むしろこれこそが本来あるべき仕事なのだと思った。
「頼むよ。現在の一課でエースを挙げるなら、私は京香だと思うなぁ」
小柴瑠璃も両川昭子も居ない現在、経験値で考えれば確かにそうだろうと、京香は納得する。凉は管理職として優れている。
いや、凉の根拠は経験値だけではない。ここまで連れ出した意図としては――
「白いマカロンは、ただのマグレですよ」
京香には一応、ヒット商品を生み出した実績があるのだ。
だが、十年でその一度きりだった。京香は、これが『凡人』としての限界だと思っていた。今からどれだけ頭を捻っても、かつての栄光を再度掴む光景が浮かばない。
「マグレでも奇跡でも……今は藁でも掴みたいよ」
凉が苦笑する。
確かに、贅沢を言っていられる状況では無いと、京香もまたわかっていた。
「まあ、私は京香なら何かやってくれるんじゃないかって……信じてるよ」
そのように言われるが、京香は不思議と重圧に感じなかった。
管理職としての仕事を凉に任せ、案を出す側に回る。
つまり、瑠璃と同じ立場になる。真っ向から競い合うことが出来る。
「何とかなれば、いいですね」
京香は小さく笑うと、不味いカフェモカを飲んだ。
外は寒いが、大型プロジェクトの先行きは不安だが――凉と共に、穏やかな昼下がりを過ごした。
*
二月十四日、金曜日。
京香はこの日、珍しく定時に仕事を切り上げた。『婚約者』とのことだと茶化されながら、工場を後にした。
確かに、京香は適当に購入した市販のチョコレートを彼に渡すつもりだった。だが、後日であり今日ではない。
午後六時前、自動車でショッピングモールの工事現場に到着した。空はすっかり暗いが、この時間でも灯りを点けて工事が行われていた。
京香は、一階のスイーツフロアまで早足で歩くと――妙泉製菓の隣に、ひとりの小柄な女性が立っていた。やはり居たと、安堵した。
小柴瑠璃が京香の存在に気づくと、黒いマスク越しに、にんまりと笑う。
京香はとても落ち着いていた。余裕を見せるべく、小さく笑って見せた。そして、親指を自身の背後に向けた。
「ちょっと顔貸しなさい。場所変えるわよ」




