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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第22章『宣戦布告(前)』
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第66話

 京香は瑠璃に、ソファーへと押し倒された。

 瑠璃のツインテールが垂れ下がり――逆光の中、瑠璃が黒いマスクを外した。

 素顔を京香は見慣れているはずだった。だが、なんだか違和感を覚えた。その正体に、すぐ気づいた。


「ピアス……付けてないのね」


 露わになっている両耳、そして艶めかしい唇にそれぞれ、ピアスホールが見えた。

 かつて、京香はこの衣服を『瑠璃がピアスを付けている』前提で用意したのであった。もう、あの時とは――違っていた。


「お菓子作りの仕事に関わるなら外すよう言ったの、アナタじゃないですか」


 瑠璃が自嘲気味に笑って見せた。

 だから、京香には当てつけのように聞こえた。食品製造業者としては当然の内容だとしても、瑠璃にとって『呪いの言葉』になったように思った。

 今は、少しだけ不憫だった。


仕事外(オフ)なら、付ければいいじゃない」

「やですよ、面倒くさい。それに――」


 馬乗りになったまま、瑠璃が何かを言いかけて詰まらせる。

 代わりに、ニヤリと笑った。


「して欲しいですか?」


 何をと、京香は訊くまでもなく答えが決まっていた。


「ええ」

「ふふっ。やっぱり、変態さんですねぇ。どんだけ欲しいんですか。もうちょっとしたら、ピザ来るのに……」


 瑠璃を欲するのは本心だ。だから、どれだけ貶されても京香は構わなかった。

 それに、この状況には、少なからず興奮を覚えていた。

 物欲しそうに見上げる京香に、瑠璃が顔を近づける。


「お預けです――と言いたいところですけど、せっかくのお誕生日にコレだと、三十路のザコ●●●は寂しいですよね?」


 耳元で囁かれ、自身の背筋がゾクゾクと震えたのを、京香は感じた。

 その直後、エントランスのインターホンが鳴り響いた。


「さっ、ディナーにしましょう」


 瑠璃が笑顔で立ち上がると、ソファーからパタパタと立ち去り、ピザを受け取る対応にあたった。

 手慣れた様子だと京香は思う一方で――切ない気持ちに焦がれた。ソファーから身体を起こし、乱れた衣服を整えた。


「はーい。カロリーの塊がやって来ましたよー」


 やがて、ジャンクフード特有の匂いが部屋に立ち込めた。

 京香は帰宅後に食欲が無かったが、今は腹が疼いた。なんだか、久々の感覚だった。

 瑠璃がリビングのテーブルにピザの箱を置くと同時、京香は立ち上がった。


「あんたも飲むでしょ?」

「当たり前じゃないですか」


 京香はキッチンに向かい、二杯のハイボールを作った。

 その際、キッチンの隅で――畳まれた黒いウサギのエプロンが見えた。

 先ほど、瑠璃がキッチンを訪れたはずだ。見られなかっただろうかと、焦る。リビングの瑠璃を伺いながら、エプロンをそっと隠した。

 京香はハイボールのグラスをふたつ持ち、リビングに戻った。ソファーで、瑠璃の隣に座る。


「三十三歳の誕生日、おめでとうございまーす。わたしと十一も離れてるなんて、ヤバくないですか!?」

「はいはい。ありがとう」


 くだらない音頭で乾杯し、京香はハイボールを一口飲む。

 その後、温かいピザの――溶けたチーズにまみれた身体に悪い味が、とても美味しかった。

 京香は毎日の夕飯に、宅配(ウーバー)を利用することが多い。しかし、ひとり身である以上、量の都合からピザの選択肢は無かった。

 おそらく、昨年に瑠璃と食べて以来だ。

 そのように振り返っていると――ふと、瑠璃の音頭が引っかかった。


「ちょっと待って。あんた、誕生日過ぎたの?」


 十一歳差ということは、京香の知らないところで瑠璃もひとつ年を取ったことになる。

 瑠璃が退職してから現在までの『空白期間』か、或いは『ママ活』の最中だったのか。せめて前者であって欲しいと、京香は思う。


「何言ってるんですか……。人間誰しも、誕生日はあるでしょ?」

「だから、いつなのよ?」

「知ってますか? 瑠璃の誕生石は、九月です」


 つまり、昨年の九月――瑠璃が退職してすぐということになる。結果として前者だったにしろ、辛い思い出が蘇り、京香は複雑な気持ちだった。


「次の誕生日は……私がお祝いしてあげるわ」

「えー。京香さんなんかに誰かの誕生日のお祝い、出来るんですかぁ? なーんて……言ってくれたからには、期待してあげます」


 言葉の割に瑠璃がなんだか嬉しそうだと、京香は感じた。

 ハイボールを飲みながら、ピザを食べる。誕生日の夕飯にしては質素だが、ここ最近では最も充実した食事だった。

 京香としては、瑠璃の存在が嬉しいから――だけではない。このメニューと瑠璃の衣服が、とても懐かしくもあったのだ。

 やがて、ピザの箱が空になる。


「さてと……」


 瑠璃がソファーを立ち上がり、キッチンへ向かう。

 何やら準備をしているようだが、コーヒーの良い匂いが京香の鼻に届いた。キッチンの扱いはお手の物だと、京香は思った。

 しばらくして、キッチンから瑠璃がトレイを持って現れる。キッチンナイフ、ふたつのマグカップ、そしてふたつの小皿とフォークが載っていた。

 トレイをリビングのテーブルに置き、瑠璃はキッチンに引き換えした。


「お待たせしました。これが……わたしからの、誕生日プレゼントです」


 再び現れた瑠璃は、ニヤニヤと笑いながら――両手でパステルブルーの箱を抱えていた。

 京香の隣に座り、箱を横から開ける。


「何が入ってるでしょーか? じゃじゃーん」


 箱から出てきたものに、京香は驚いた。否、衝撃的だった。

 青いホールケーキだった。

 俯瞰からでは、青いゼリーだった。側面から、白いケーキの上に青いゼリーが載り、二層構造になっていることがわかった。


「なによ、これ……」


 一般的に、青色は飲食物に向かない。着色料が露骨に添加物を連想させ、不健康な印象を与えるからである。

 だが、このケーキは白色も含まれているからか――青と白のコントラストが、京香は素直に綺麗だと感じた。そして、白いケーキはおそらくレアチーズケーキだろうと思った。


「ラズワード――お店と同じ名前の、主力商品です。ぶっちゃけ、これオンリーの専門店でも全然やっていけますよ」


 瑠璃がキッチンナイフでケーキを切り分ける。五号ほどの大きさであるため、六等分にされた。

 一ピースを小皿に盛り、京香に渡した。


 箱から、きっと何かケーキを持ってきたと京香は思っていた。だが、まさかこのようなケーキが出てくるとは思いもしなかった。

 初めて見るケーキだった。

 どのような味か、まだわからずとも――近い未来でショッピングモールの開店後、瑠璃の店が大いに賑わう様子が、嫌でも想像できた。

 畑違いの生菓子だが、それだけの将来性を秘めている。商品開発業務の経験と勘から、京香はそう察した。


「パッケージ、まだなんですよねぇ。お店のかわいいロゴと、黒いウサギを描こうと思います」


 瑠璃が無地の空箱を取り、側面を撫でた。

 商品開発として、最終段階のようだ。まだ未完成ながらも、あまりの完成度の高さに、京香は打ちのめされていた。三ヶ月の短時間で、瑠璃がここまで仕上げてくると思わなかった。


「あれー、どうしたんですかー? ひとりで食べられないんですかー? もー、しょうがないですねぇ」


 京香は小皿を受け取ったまま食べずにいると、にんまりと笑った瑠璃がフォークで一口分を切り分けた。


「今日だけ、特別ですからね? ハッピーバースデー」


 フォークを向けられ、京香は恥ずかしいながらも口を開けた。

 想像通り、青いゼリーからは柑橘系の爽やかな酸味がした。それがレアチーズケーキのなめらかな味わいを邪魔するどころか、むしろ引き立てている。

 見た目だけではない。味も、とても優れている。


「美味しいわね……」


 京香は、忌憚ない感想を漏らした。

 それがとても嬉しいのか、瑠璃が笑った。京香が久々に見た、幼い子供のように無邪気な笑みだった。


「これを『部外者』に食べさせたのは、京香さんが初めてです。お客さん第一号になれたこと、光栄に思ってください」

「ええ。ありがとう……」


 もしも、瑠璃がまだ自分の部下であったなら――かつてないほどの誇りだったと、京香は思う。

 複雑な気持ちだった。実際の商品と瑠璃の口振りから、対峙していることが現実味を帯びてきた。

 否、どこか楽観視していたと、ようやく気づいた。


「わかりましたか? これがわたしの本気です」


 瑠璃に一切の慈悲は無い。容赦なく妙泉製菓を叩きのめそうとしていると、京香は痛感した。

 そもそも、今夜にしても誕生日を祝う気は一切無いのだ。これを振る舞うためのきっかけに過ぎなかった。


「わたしが欲しいなら――いい加減、アナタも本気出さないと、ガチのマジでヤバいですよ?」


 このうえないほど下卑た笑みを、瑠璃が浮かべる。

 このうえないほどわかりやすい宣戦布告を、京香は受け取った。そして、ただ戦慄した。

第22章『宣戦布告(前)』 完


次回 第23章『宣戦布告(後)』

バレンタインに京香は瑠璃に会う。

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