第64話
小柴瑠璃の舐めた態度に京香は腹を立てたが、再び会えたことがやはり嬉しかった。
突然の出来事に困惑こそしたものの、時間を置けば冷静に整理することが出来た。
瑠璃が退職後、どこか遠くに去ったと京香は思っていた。しかし、あのショッピングモールに店を持つというならば、生活拠点は近いはずだ。つまり、かつての古びたアパートから、それほど遠くに引っ越していないだろう。
とはいえ、瑠璃が店を持つという事実が、京香は解せなかった。
瑠璃の具体的な財力はわからない。だが、妙泉製菓の給与と『ママ活』の『小遣い』では、資金が圧倒的に不足するはずだ。銀行に融資を求めるにしても、彼女の社会的信用では間違いなく断られる。
だから京香は、瑠璃に出資している者が居ると考えた。
そして『再会』が仕向けられたものだと捉えた。振り返ってみれば、実に出来すぎた話なのだ。背後に誰が居るのか、およその見当がつく。
ふたりで何を企んでいるのか、わからないが――京香としては、どうでもよかった。
一月十三日、月曜日。
祝日である今日、京香は午前十一時にひとりでショッピングモールの建設現場へと向かった。やはり、僅かだが今日も工事が行われていた。
関係者として黄色いヘルメットを被り、一階のスイーツフロアへと向かう。
Lazwordと呼ばれる店は隣の妙泉製菓と同じく、今日は建設作業員が居なかった。だが、小柄な女性――小柴瑠璃が、何やら店内を確認していた。
京香が店の前まで近づくと、瑠璃は顔を上げた。
「……何してるんですか?」
先日のような嘲笑う態度ではないにしろ――マスクを着用しているが、白けた様子だった。まるで、目の前に居る人物に対し、無関心であるかのように。
遠くで工事の音が聞こえる。この一角には、今はふたりしか居ない。
「あんたに会いに来たのよ」
京香は誤魔化すことなく、理由を告げた。会えた嬉しさから、自然と微笑んでいた。
「はぁ。そうですか……」
すぐに瑠璃は確認作業に戻った。
相手にしないという意図が、京香に伝わる。慌てて店内に入り、瑠璃の正面に回り込んだ。
「待って!」
「いや……待てと言われても、こっちは忙しいんですけど。大体、会ってどうしたいんですか? 今さらですよね?」
最後の言葉が、京香に深々と突き刺さる。
この三ヶ月、瑠璃に会いたい気持ちはあれど、探すという行動を取らなかった。いや、真剣に捜索したところで、見つからないのは明白だ。
一切の手掛かりを残さなかった瑠璃が悪い――そのような言葉を、京香はとても言えるはずがなかった。責任は間違いなく、オフィスでふざけた行動を取った自分にある。
瑠璃の退職は、善意によるものだ。両川昭子からの脅迫を救うための、彼女なりの手段だった。
その意図を、京香は痛いほどに理解している。責任を転嫁するどころか、本来であれば感謝しなければいけない。
「もう一度……あんたとやり直したい」
それでも、京香は本心を口にした。自分にとって都合が良い――図々しさを、自覚している。
「また週末に、自宅に来なさいよ。料理作ってよ。あんたと過ごした、何でもない時間が……私は幸せだったの」
具体的な内容など、無かった。瑠璃が傍に居るだけで充分だったのだ。それだけで、退屈で苦痛な日々が輝くのだ。
かつて同じ時間を一緒に過ごした者として、瑠璃もそうであって欲しかった。
「嫌です」
だが、瑠璃は即否定した。
相変わらずの白けた様子だったが、すぐ小さく嘲笑ったのが、マスク越しでも京香はわかった。
「どうしてもって言うなら……いつぞやみたいに、脅迫して従わせたらいいじゃないですか。わたしの『弱み』まだ持ってますよね?」
煽る意図であると、京香は理解している。しかし、どうしてか瑠璃が自嘲気味であるように見えた。
「違う! 私は――」
「知ってますよ。アナタはそんな真似、出来ない。だって……アナタは優しいんですから」
京香にとって瑠璃の表情は、悲しい笑みだった。
一切の慈悲無く、何度も脅迫していればよかったのに――まるで、そう言っているかのように。まるで、与えられた優しさを悔やんでいるかのように。
京香自身、かつて己の脅迫行為を悔やんだ。瑠璃に『罰』を求めたが、拒まれた。
今、それすらも否定されているように京香は感じた。そして、結局は――脅迫こそが唯一の『繋がり』だったのだと、気づいた。
「どうかしら……」
だから、京香は認めるわけにはいかなかった。
たとえ煽りに乗るかたちでも、再び瑠璃を脅迫するしかない。
そう匂わせるために不敵な笑みを浮かべようとするも、出来なかった。頬が引きつっていると、自覚した。
瑠璃がおかしそうに、ケラケラと笑う。
「ざぁこ。ほんっとうにダッサいオバサンですねぇ」
「う、うるさいわね……」
京香は、恥ずかしさに頭が爆発しそうになるのを堪えた。今すぐこの場から逃げ出したい気持ちだった。
「ていうか……こんなところで油売ってていいんですか?」
瑠璃からそう問われるも、今日は祝日であるため、京香は理解できなかった。
「どういうことよ?」
「モールの完成まで時間有るようで、無いですよ? どうせ、オープンに合わせて新商品でも投入してくるんですよね?」
Lazwordの隣に位置する妙泉製菓のテナントへと、瑠璃が視線を向けた。
進捗が遅れているのは、店舗の工事だけではない。新商品の開発もだ。
どうして瑠璃がそれを知っているのか。彼女の『背後』に居る人物が伝えたのだろうか。京香はそのように疑うも、まだ常識の範囲で想像可能であるとも思う。
どちらにせよ、悟られていること自体には違いない。
「それが何? あんたに関係無いでしょ?」
京香は思わず口にするも、その事実に胸を痛めた。
それを知るわけもなく――瑠璃が小馬鹿にするように、クスクスと笑う。
「部外者が口を挟んで、すいませーん。でも、言わせて貰うとですね……よわよわなチームで、一秒でも必死に新商品のアイデア考えた方がいいと思いますけどぉ」
家業について触れられ、京香は少し苛立った。かつての『所有物』として、京香が家業をどう思っているのかわかっているはずだ。だから、傷口を抉られたように感じた。
「言いましたよね? わたし、妙泉製菓を叩きのめしますよ? もしかして、冗談だと思ってました?」
先日ここで再会した際、京香は似たような内容を言われた。だが、瑠璃と敵対することに今ひとつ現実味が無いため、確かに冗談であるとも捉えていた。
「遠慮なんて要らないわ。好きなだけ、かかってきなさい」
とはいえ、敵対するとなっても――妙泉製菓の企業価値を、京香は把握している。無名の一個人が偉そうに出店したところで、常識的に考えて敵うはずがない。
そのはずだった。
京香はそう頭で理解していても、何かが引っかかっていた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて――なーんて言うと思いました? 以前も言いましたけど、妙泉製菓だなんてクソ雑魚なお店なんて、わたしの眼中にありませんよ。わたしの快進撃に、ただ轢かれちゃってください」
瑠璃の悪戯じみた笑みに、京香は少なからず恐怖を感じた。
そう。瑠璃の実力を、誰よりも把握しているつもりだ。ふざけた言葉にも、説得力があったのだ。
いくら無名で始めたとしても、世間の注目を集めるだけの商品を出してくる可能性は充分に有り得る。
「大した自信ね……」
具体的に瑠璃がどのような商品を出してくるのか、想像がつかない。しかし、言動から現時点であらかた決まっているうえ、瑠璃には勝ち筋も見えているのだろう。
何にせよ、店舗が隣接する以上は警戒すべきなのかもしれないと、京香は初めて思った。
「そうだ。万が一にもわたしに勝つことが出来るなら……もう一度オバサンの『所有物』になってもいいですよ」
ニヤニヤした笑みと共に冗談のように言われるが、京香は聞き逃さなかった。
きっと冗談だ。しかし、冗談になるだけの自信――もう二度と『所有物』に成り下がらないと、はっきり告げられたように聞こえた。
「どうです? やる気出ましたか?」
さらに煽られる。だが、京香は苛立たず冷静だった。
たとえ冗談だとしても、言質であることに違いない。今目の前にある、唯一の『希望』だ。
「その言葉、忘れるんじゃないわよ?」
「はーい。あったりまえじゃないですか」
いくら瑠璃が強敵に成り得るとしても、所詮は無名。妙泉製菓と良い勝負になろうとも、結局は勝てるはずがない。
この時、京香はまだ楽観視していた。




