第60話
円香は瑠璃とカフェを出ると、自動車の助手席に瑠璃を座らせた。
目的地へと走り出す。
「キミとは少し違うかもしれないけど……私もね、姉さんには『本気』になって貰いたいんだ」
カフェで訊いた瑠璃の気持ちに、同意を示した。円香が一方的に知っているだけでは、これから話す『計画』に説得力が無い。
「仕事とか会社とかですか?」
「まあ、そんなところ」
瑠璃にしてみれば、大切な人を苦しめる存在になるのかもしれないと、円香はこのタイミングで気づいた。だが、瑠璃の言う『カッコいい』はそれに該当すると思った。少なくとも、否定はしないはずだ。
「だから、無職になったキミを利用させて貰うよ」
前方を眺めて運転しながら、瑠璃に告げる。円香にとって免罪符のつもりだった。
後から誤解されるぐらいであれば、最初から腹の中をぶち撒けておく――円香が営業で培った、処世術のひとつだ。
「よくわかりませんけど……わたしに拒否権は無いんですか?」
「無いこと無いよ。嫌なら断ってくれて結構。別の働き口を探すといいさ。まあ……キミは断らないだろうけどね」
円香は笑みを浮かべ、敢えて瑠璃を煽る言葉を選んだ。
もはや、瑠璃を客人として扱っていなかった。これからは、大切なビジネスパートナーになるかもしれない相手だ。どのような内容であれ、正直に話せるだけの信用を築きたい。
「妙泉の人間って、どうしてこう……クズばっかりなんですか? アナタ達姉妹だけなのかもしれないですけど」
「よくわかってるじゃないか。たぶん、一族皆こうだと思うよ」
瑠璃からの侮蔑を、円香は笑って受け入れた。
京香と瑠璃を救うことは、円香ひとりで充分に可能だった。だが、ふたりを離れさせるどころか瑠璃を『計画』に巻き込んだのは、間違いなく悪意だ。
全ては――結局は『妙泉』のためだ。どこまでも自分本位であると、円香は自覚している。
やがて、目的地に到着した。
どこまでも広がる更地を見渡せる位置に、駐車する。
そう。ショッピングモールの建設予定地だ。まさか二日連続でここを案内することになるなど、思っていなかった。
強い日差しが照りつける中、円香は瑠璃と共に自動車を降りた。
「姉さんのことだから、まだ開発一課の誰にも言ってないだろうね」
遠くで建設工事を行っている様子を、円香はぼんやりと眺めた。隣には、瑠璃が立つ。
「来年の十一月、ここに大型ショッピングモールが出来る。一階のスイーツフロアのテナントをひとつ、妙泉製菓で押さえた。モールのオープンに合わせて、新店舗が開店するってわけ」
昨日、京香に説明した内容を、ざっくりと瑠璃にも話す。
京香には、新商品の開発を依頼した。しかし、このショッピングモールに関し、京香にはとても話せない――円香が秘密裏に進めている『計画』があった。
「へぇ……。わたしに、その店舗で販売員でもやれって言うんですか?」
円香は、白けた様子の瑠璃から訊ねられる。
わざわざこの地へ連れてきた意図として、そう捉えられても仕方ないと思った。
「うーん。近いようで違うね」
「どういうことですか?」
「小柴さん……。私はね、どうして姉さんが『本気』にならないのか、考えたんだよ」
瑠璃からの問いには答えず、円香は持論へと移った。怠惰な姉に対し、以前から悩んでいたことであった。
「姉さんには、危機感が無いんだと思う。まあ、姉さんがヘマすることも無いんだけど……社内稟議を通して新商品を出す以上はどれだけヘマしても、会社にも姉さん自身にも、たぶんダメージはそれほど無い。あの人は一度、大きな敗北を味わうべきなんだ」
京香がどれほど怠惰で一族への興味が無くとも、ひとりの人間として最低限のプライドを持ち合わせているだろう。円香はそう考える。
だから、ちっぽけなプライドをへし折るまで、叩きのめさないといけない。『計画』の目的は、それだった。
円香は一歩前に出て、瑠璃へと振り返った。
「妙泉製菓の隣のテナントを、私が個人的に押さえてある。それを小柴さん――キミに託したい。姉さんのライバルになって欲しいんだ」
真剣な眼差しを、瑠璃に向ける。
妙泉製菓に『計画』を気づかれてはいけないため、テナントの賃貸契約にあたり、円香は知人の名義を借りている。そこまで用意周到に進めていた。
瑠璃は特に驚く様子も無く、落ち着いた様子だった。
「要するに……わたしにスイーツショップを持てと?」
「私がオーナーで、キミが店長。金銭的な責任は私が持つよ。キミを、そうだな……月給四十万円で雇おう。額面でね」
もはや、提案ではなく契約の段階だった。この場で具体的な金額を提示しなければ前に進まないと思い、円香は咄嗟に挙げた。
スイーツショップという業種の、具体的な給料相場は知らない。瑠璃の二十一という年齢と、一般的な企業での管理職を参考にした。
「誰か引き受けてくれる人を、探してたところだったんだ。このタイミングは偶然だけど……私は、小柴さんが適任だと思う。キミの実力を認めてるからね」
円香の台詞は、嘘偽りの無い本心だった。
特に、瑠璃に関しては焼き菓子の商品開発業務より――妙泉製菓に生菓子事業があるならば、それを任せてみたいと考えていたほどだ。今回の店舗としては、生菓子の製造販売が充分に行えるだろう。
「引き受けるのは構いませんけど……本当にいいんですか? 妙泉製菓をボッコボコにしちゃいますよ? 割りかしムカついてるんで……」
「ああ、好きなだけボコってくれて結構。キミに負かされるなら、姉さんも本望だろうさ。どんなスイーツで勝負を仕掛けるかも、キミに任せるよ」
隣接する店舗、かつ見知った顔同士となれば、嫌でも客の入りや売上を意識するだろう。まさに、円香の計画としては理想のかたちだ。
円香は瑠璃に肩入れするつもりだった。もしも瑠璃が圧勝することになれば、妙泉の人間で自分ひとりだけが『旨味』を得ることが出来る。妙泉側としても、再起不能になるほどの痛手を負わない。だから、円香としては、どちらに転んでも構わなかった。
「もっとも――妙泉製菓をあまり舐めない方がいい。私の姉さんは、手強いよ?」
今の状況と、生菓子を商品に出来ることから、瑠璃が有利であることは確かだ。
それでも、一筋縄ではいかないだろう。円香は妙泉の人間として、相手の力量を瑠璃よりも把握しているつもりだった。
「上等です。アナタに利用されるのは癪ですけど、あの人の寝ぼけてるところを見るのはわたしも嫌なんで……叩き起こしてあげます」
瑠璃がにやりと笑って見せる。
ここまで感情を露わにしたことが、京香は意外であり――そして、逞しくもあった。
「ありがとう。もしもキミが勝った暁には、姉さんを好きにするといいさ。寄りを戻しても全然構わないよ」
その提案に、瑠璃が力強く頷いた。
書類は後日作成するが、ひとまずは契約が完了したと円香は捉えた。
開店までまだ一年以上の時間はあるが、悠長にはしていられない。店そのものを考えた場合、開店準備に店長である瑠璃の協力は必要不可欠だ。瑠璃を商品開発だけに専念させるわけにはいかなかった。
「とりあえず……モール側と書類の手続きあるから、お店の名前考えておいて」
支配人である円香が考えてもよかった。しかし、瑠璃自身に決めさせることで、自分の店であると意識させる狙いがあった。円香は金銭面以外で、なるべく口を挟まないつもりだ。
「いっそ、小柴菓子工房でもいいよ」
「……知ってたんですか?」
「まあね」
興信所を利用したことは伏せるが、素性を把握していることを円香は明かした。
「小柴菓子工房はもうありませんし……復活させるつもりもありません」
瑠璃は遠くの工事風景を眺めながら漏らす。
そして、円香を見上げた。
「お店の名前、今決めました。『Lazward』にします」
円香は後で知ることになるが『瑠璃』即ち『|lapis lazuli』は、ふたつの言葉が語源とされている。ひとつは『宝石』を意味する『lapis』そして、もうひとつは――
「とある外国語で『青色』の意味です」
瑠璃の言う『lazward』だ。
円香は瑠璃の髪に紫のインナーカラーが見えた。名字や気だるい雰囲気だったことからも『紫色』の印象を持っていた。
しかし今、強い覚悟を持ち――凛とした様子の瑠璃は、間違いなく『青色』だった。更地だから、背後に広がる青空がより映えている。実に清々しい光景だった。
パティシエであった彼女の両親は、きっとこの姿を願って瑠璃という名を授けたのだろうと、円香は思った。
「うん。いいんじゃないかな」
ビジネスパートナーとして、円香はこの小柄な女性がとても心強かった。間違いなく姉を本気にさせることが出来ると、確信した。
瞳に気だるさは無く、むしろ――静かながらも貪欲さを感じた。彼女の確かな意思だ。
瑠璃は頷くと、改めて決意を表した。
「体も心も、あの女の全てが欲しいです。わたしの憧れた……大好きだったあの女を……」
第20章『青色』 完
次回 第21章『ざぁこ』
年が明け、京香は円香にショッピングモールの建設現場へ連れて行かれる。




