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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第20章『青色』
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第58話

 妙泉円香は、妙泉家の次女として――姉である長女の京香を敬うよう、過去から躾けられていた。

 円香に疑問は無かった。躾けの成果かは不明だが、京香に尊敬の念を抱き、彼女こそが妙泉の『跡継ぎ』に相応しいと思っていた。自分は次女として、支えるまでだ。

 長女として育てられてきた京香の苦労を、円香はこの世で最も理解しているつもりだった。自分であれば、きっと逃げ出しているだろう。先に産まれてくれたことに、感謝すら覚える。

 円香は過去より、京香に同情していた。だから、姉が怠惰な性格に育ったことには、納得していた。本社から工場へ逃げる気持ちも、わからなくもなかった。

 しかし、三十を過ぎた姉には、いい加減に経営側へと就いて欲しいと願う。母親が元気な内に世代交代を行うべきだと思う。

 それに、京香が経営者としてどのような手腕を発揮するのか、純粋に興味があった。

 京香が学生だった頃より、気だるいながらも何でも卒なくこなしているのを見ている。何に対してもやる気は無いが、とても有能な人間だ。

 そう。問題はやる気だけであった。

 性格を改善することは容易でないと、円香は理解している。それでも、どうにかして姉のやる気を引き出せないかと――考えていた。


 四月の終わり、円香は社長である母親からの指示で、京香にスティックケーキの催促を行った。

 開発一課は大変そうだったが、京香が指揮している以上、円香に不安は無かった。きっと、ある程度のものを仕上げてくると思った。

 円香が小柴瑠璃と出会ったのは、六月に入ってからだった。遠くへ出張したある日、直帰ついでに――気まぐれに、姉の自宅を訪れたのであった。


「姉さん、お疲れー。あれ? 誰か先客居るの?」


 玄関には姉のものと思われるパンプス、そして姉が履かないであろうカジュアルなスニーカーが置かれていた。


「ええ、ちょっと部下を呼んでるのよ。まあ、気にすることないわ」

「へぇ。姉さんが……珍しいね」


 全く無いわけではないだろうが、円香にとっては有り得ない出来事だった。他人に興味を持たない姉が、いったいどのような心変わりだろうと思った。

 それに、京香は露骨に動揺した様子だった。


開発一課(ウチ)の小柴さんよ」

「あれ? 初対面だっけ?」


 部下として紹介されるが、円香には見覚えの無い顔だった。開発一課の課員全員を把握しているつもりだった。


「栄養管理士で試作室に居ること多いから……初めて見るんじゃない?」

「試作? ああ、派遣の……」


 まさか姉が派遣社員とつるんでいるなど、思いもしなかった。

 瑠璃は緊張した様子だったが、気だるい雰囲気が漂っていた。

 ピアスだらけの顔面も含め、何とも『派遣らしい』と円香は感じるが、京香への既視感を覚えた。気品や佇まいから、ふたりの立場は正反対だとわかった。しかし、本質的な部分は似ている。

 京香にとっては親近感のある相手なのかもしれないと、円香は思った。


「スティックケーキのアイデアに協力して貰ってるのよ。小柴さんに、とっておきのケーキがあるみたいだから……フレーバーの前に一度食べてみたくてね」


 テーブルには瑠璃の料理した夕飯が置かれていたが、そのような目的があるらしい。

 そもそも、スティックケーキ最後のフレーバーはベリーに決まったと、円香は聞いている。甘い匂いが漂うものの――京香の言葉が、にわかには信じられなかった。

 とはいえ、瑠璃の料理はとても美味しかった。円香は思わず、冗談半分で瑠璃に名刺を渡した。

 やがて、ケーキが焼き上がった。


「小さい頃、お父さんとお母さんがよく作ってくれた、このケーキは――」


 瑠璃が手にしたホールケーキには、角切りりんごにたっぷりのハチミツがかけられていた。円香は甘ったるい匂いに、むせ返りそうだった。どのような味なのか、嫌でも想像できた。

 そして、これこそがスティックケーキに欠けていたものだと、わかった。五種類のフレーバーの商品として考えた場合、最後のフレーバーとしてベリーよりも圧倒的に相応しい。

 この場で実際に味わう前から、円香はこれに決定すると確信した。そして、案を出した瑠璃も、可能性を汲み取った京香も、どちらも優れていると思った。


 後日、社内で回ってきた稟議書から、ハチミツりんごのフレーバーが採用されたことを、円香は知った。

 京香と近い距離に居ることも、関係あるだろう――小柴瑠璃という派遣社員に、少し興味が湧いた。彼女であれば、姉のやる気を引き出せるかもしれない。

 円香は調べたところ、六月で派遣会社との契約更新を迎えるようだ。丁度いい機会だと思い、京香に接触した。

 やはり、京香は通常通り契約更新を行うつもりだった。


「どうして更新するのさ? だって――」


 瑠璃を派遣社員ではなく、正社員にすればいい。試作業務だけではなく、商品開発業務へ本格的に携えるべきだ。実際、正社員に上げられるだけの功績を瑠璃は上げている。それに、妙泉の姉妹ふたりで説得すれば、経営側も人事部も通過できる。

 円香はその旨を伝えると、京香は頷いた。


 六月が終わるまで時間はそれほど無かったが、京香が奮闘したことで、七月から瑠璃は正社員となった。

 それから円香は、京香の元を何度か訪れた。やはり以前に比べ、少し活き活きしているように感じた。

 フィナンシェをリニューアルする案件も、きちんと結果を出すと期待した。


 同時に――円香は瑠璃への興味がより強くなった。人柄から、彼女を信用していないわけではない。だが、姉の傍に居る以上、素性を把握しておきたかった。

 だから、興信所に依頼して探らせた。しばらくして、報告書を受け取った。

 京香との出来事も書かれていたが――それよりも、他界した両親がふたりともパティシエであり『小柴菓子工房』のひとり娘だったことが目に留まった。

 瑠璃がパティシエとしての才能を、大なり小なり持っている可能性が高い。京香がこの事実を知っているのかは不明だが、商品開発業務に適材だと言える。結果的に『現在は』京香の傍が相応しい。

 いや、彼女の能力をより活かせる場面があるのではないだろうか。円香は営業部として抱えているある案件を思い出し、瑠璃を使っての計画が浮かぶも――京香から引き離すことが現実的ではないため、瞬時に断念した。

 それでも、別の計画を進めることにした。


 やがて、残暑は厳しいが九月になり、フィナンシェの案件は片付いた。

 円香は自身の計画を伏せ、京香に会社の大きな計画を伝えることにした。自動車で京香を、ショッピングモール建設予定地へと連れて行った。


「ちなみに、小柴さんのアイデアなの?」

「違うわ……」

「へー。まあ、そういうこともあるよ」


 円香はフィナンシェの濃厚チーズフレーバーのことを車内で訊ねるが、瑠璃の案ではないらしい。案自体は、良いと思う。しかし、何か違和感があった。

 違和感はその件だけでなく、京香に対してもだった。難題だったであろうフィナンシェの案件が片付いたにも関わらず、浮ついた様子が一切ない。それどころか、ひどく疲弊しているように見えた。


「姉さん? だいじょうぶ? 暑さにやられた?」

「夏バテ気味だけど……大丈夫よ」


 過去から姉は体調管理に抜かりが無かった。だから、円香はその返事がなんだか信じられなかった。

 その後、建設予定地を案内し、ショッピングモール出店に合わせて新商品開発を依頼した。

 いつもであれば露骨に嫌な態度を取られ、小言を漏らされるところだ。だが、京香はどこか上の空だった。

 明らかに様子がおかしい。本当に、ただの夏バテだろうか。円香に疑問が浮かぶ。


「余計なお世話かもしれないけど……何かあった?」

「何もないわよ……」


 念のため訊ねるが、京香は答えなかった。

 そのような反応である以上、円香に確証は無い。しかし、姉妹としての長い付き合いから――何か精神的に堪えることがあったのだと思った。


 その日の夜、円香が帰宅してシャワーから上がった頃だった。

 社用の携帯電話が通話着信を告げた。画面に表示されている番号は、電話帳登録外だった。

 個人用の携帯電話であれば無視するところだが、社用でこのような場面は珍しくない。円香は仕方なく、応えた。


「はい。妙泉です」

『もしもし……夜分にすいません。小柴です』

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