第48話
八月二十四日、土曜日。
一泊した瑠璃と共に、京香は午前十時過ぎに自宅を出た。
自動車を走らせること、一時間。向かった先は、この地域の南東に位置する街だ。
かつては城下町として栄え、建築様式の古い土蔵や商家が立ち並ぶ、有名な観光地だった。都心部から近いこともあり、休日の今日は多くの観光客で賑わっていた。
有料駐車場から日傘をさし、瑠璃と歩く。
晴れているが、その分暑い。京香は気分が上がらず、周りを冷めた目で眺めていた。
「ここに来るの……いつ以来かしら。近すぎると、来ようって気にはなれないわよね」
訪れたのは、幼少期以来だった。
まだ地元に近いため、それほど物珍しくはない。かといって、頻繁に訪れることもない。不思議な心理だと、京香は思う。
「わたしは、子供の時に……お母さんとお父さんに連れてきて貰ったことがあります」
亡くなった――パティシエの両親との、思い出の地なのだと、京香は理解した。
瑠璃は相変わらず、自分の素性を明かさない。
意図的に隠しているのか、それともどうでもいいのか、京香にはわからない。それでも、素性を知っているからこそ『小柴の三人家族』にはより温かな印象を持ち――より憐れみを感じた。
「へぇ。それじゃあ、懐かしんじゃない?」
デートとしてここを選んだのは、瑠璃だ。
昨晩から困惑したまま連れてきたが、瑠璃がここに来たがった理由を、京香はようやくわかったような気がした。
「確かに、懐かしいですけど……行きましょう。わたし、食べたいものがあるんです」
しかし、瑠璃はそれほど思い入れが無い様子だった。
京香は調子が狂うも、瑠璃から手を引かれた。
今日の瑠璃は、白い八分袖のカットソーとアイボリーのパンツといった格好だった。日傘をささない代わり、白いキャップを被っている。そして、黒いマスクを着け、黒いウサギのリュックサックを背負っていた。
カジュアルな服装の瑠璃を、京香は久々に見た。しかし、明るい色であるため、以前と違う雰囲気に見えた。
「食べたいものって、何よ?」
「いろいろです。まずは、ここから」
まるでタイムスリップしてきたかのような古い街並みを、瑠璃と歩く。
やがて、古びた蔵造りの建物の前で、瑠璃が立ち止まる。観光客で割と賑わっているが、外観からは何の建物なのか、京香にはわからなかった。
のれんをくぐり――ショーケースや積まれた化粧箱から、菓子屋だと理解する。妙泉製菓よりも歴史のある老舗だと、雰囲気で察した。
瑠璃は店内を眺めることなく、真っ直ぐレジに並んだ。
「スムージーください……。サツマイモのやつを、ふたつ」
「え?」
炎天下を歩いてきたばかりなので、スムージーという飲み物は京香にとって、とても魅力的だった。しかし、思いもしないフレーバーを瑠璃に挙げらた。爽快感どころか口内の水分を奪われ、よりドロドロした喉越しの印象を受けた。
まるで、物好きのための珍味だ。こんなもののために、わざわざ来たのだろうか。
京香はメニューに目をやる。
スムージーは九種類あった。イチゴや抹茶、コーヒー等『普通』のフレーバーで飲みたいと思うも――九種全てに『ポテトスムージー』と書かれていることに気づく。サツマイモにはプレーン扱いだった。
そう。あくまでも、サツマイモをベースとしたスムージーのようだ。
「違うやつにします?」
「それでいいわ……」
京香は白け、瑠璃に従った。どれも同じ味のように思えたのだ。
プラスチックカップを瑠璃がふたつ受け取り、さらに店内の奥へと進む。古民家の雰囲気を残した、レトロな飲食スペースがあった。庭を眺めることが出来るベンチに、ふたり並んで座った。
ベージュの飲み物が入ったプラスチックカップを、瑠璃から受け取った。
京香はストローを刺すも、奇抜だという先入観から抵抗が拭いきれず、吸えなかった。プラスチックカップを抱える両手は冷たく、心地良い。
そんな京香を余所に、瑠璃がズズズと音を立てて飲んだ。
「うん。しっかりと芋の味がして、美味しいです」
落ち着いた声から、嘘ではないと京香はわかった。
それに連れられ、京香も口にする。シャーベット状の冷たい食感は、一般的なスムージと何ら変わらない。特にドロドロもしていない。
「思ってたより甘いわね」
そして、それが意外だった。
先入観が邪魔をしていたことに気づく。独特の甘さがあるそれは――正体を知らずに飲むと、きっと純粋に美味しいと感じていただろう。
「当たり前じゃないですか。サツマイモなんですから」
瑠璃に言われ、確かにそうだと思った。
サツマイモをあまり口にする機会が無いからだろう。芋、即ち炭水化物の印象が、京香の中では強かった。甘味の印象は無いに等しかった。
「まあ……悪くないんじゃない?」
とはいえ、芋類をスムージとして飲むことの違和感が、完全には払拭されない。
京香としては美味しいが、不思議な感覚のスイーツだと感じた。
スムージを飲み干して涼しむと、店を出た。
ふたりで少し歩き、別の店――趣のある、蔵造りの建物に入った。のれんには『甘味茶房』と書かれている。
またスイーツかと京香は思ったが、瑠璃に食べさせられたのは『芋そうめん』だった。ここで昼食だ。
淡いベージュの麺は、つなぎにサツマイモが三割混ぜ込まれているらしい。京香はここでも先入観に立ちはだかられるも――冷たいつけ汁で食べた。
ツルツルした喉越しは、一般的なそうめんと変わらない。だがコシが強く、そして仄かな甘みが口に残った。
スイーツではないからか、京香はスムージほどの違和感が無かった。美味しく食べた。
店を出た頃には、京香は腹が少し苦しかった。
それでも瑠璃に連れられ、三軒目の店に入った。蔵造りの建物の入口には金魚の提灯が飾られ、入口横の水槽では金魚が泳いでいた。
やはりレトロな店内で、京香は瑠璃から『焼き芋天パフェ』を食べさせられた。サツマイモプリンの上にサツマイモアイスと焼き芋の天ぷらが載り、キャラメルソースで味付けられている。
京香にはもはや先入観が無く、苦しいながらも美味しく食べた。
今日のデートが楽しくなかったわけではない。奇抜な飲食であろうと、瑠璃と共有できたのは嬉しかった。
しかし、思っていたのと大きく違った。
「あんたね……お願いだから、こんな回りくどいやり方、しないでくれる?」
食べ歩きデートだと事前に知らされていたならば、少しは腹を整えていたと、京香は思う。
いや、ただの食べ歩きではない。瑠璃の意図が、流石にわかった。
「サツマイモのフィナンシェ、私は良いと思うわよ」
妙泉製菓には、芋菓子の商品が無いからだろう。京香の持つ先入観を瑠璃は察し、こうして崩した。
今や――サツマイモの味わいは、フィナンシェのしっとりとした食感との相性が良いに違いないと、京香は想像できた。少なくともスムージやそうめん、パフェよりは奇抜でなく、一般的に受け入れられやすいだろう。
ハチミツりんごのケーキを食べた夜以来だった。再び、瑠璃の案に確かな手応えを得た。開発一課の皆も、納得するに違いない。
正解と言わんばかりに、瑠璃が微笑む。
「ありがとうございます。わたしがどうしてサツマイモを選んだのか、わかりますか?」
おかしな質問だと京香は思うが――すぐに答えがわかった。
食べ歩いたのは、先入観を崩すだけではない。そもそも、どうしてこの観光地は、右を向いても左を向いてもサツマイモが目に映るのか。
どちらかというと瑠璃は後者を伝えたかったのだと、京香は察する。
「大昔……庶民にとってサツマイモは、安く買える甘い食べ物だったんですよ。だから、特産品になったんです」
時代は、ここが城下町として栄えていた頃にまでさかのぼる。理由も無く、特産品は生まれない。確かな歴史があったのだ。
そう。サツマイモは、この地域の特産品だった。本社が都心部に位置するからであろう――妙泉製菓としては、これまで関わることが無かった。
瑠璃は黒いウサギのリュックサックからクリアファイルを取り出し、京香に見せた。
「サツマイモ農家のリストです。その……地域コラボなんて、どうでしょう?」
瑠璃が食べ歩きデートに連れてきた真の目的は、それだ。
ここまで考えていることに、京香は驚きを隠せなかった。コンペティションの勝利を確信しただけではない。瑠璃を正社員にしたことが、誇らしかった。彼女は間違いなく、商品開発の能力を誰よりも持っている。
いや、少し以前まで、瑠璃は気だるい雰囲気の派遣社員だった。そんな人間がここまでの案を出してくると、誰が予想できよう。
瑠璃が商品開発の勉強をしていたことを、京香は知っている。機会を与えれば真剣に取り組み、期待に応えた。やはり、この結果も偶然ではなく必然なのだ。
京香は感慨深い気持ちで、瑠璃の頭をクシャッと撫でた。
「ええ、最高のアイデアよ。頑張ったわね……」
フィナンシェとしての出来だけではない。企画としても、とても優れている。
瑠璃はクリアファイルを抱きしめながら、照れくさそうに笑った。
「まだどこにも話せてないんで、言えませんでした」
クリアファイル越しに、瑠璃が農家のリストを指先でなぞる。
せっかくの案がその段階で足踏みしていたのだと、京香は理解した。催促したからこそ、聞き出せたようだ。
とはいえ、放っておいたところで瑠璃がそれぞれの農家に接触していたのか――疑問だった。
「勉強よ。挨拶と商談は、あんたが行きなさい。私も同行してあげるから」
「はい!」
瑠璃が明るい表情で、力強く頷く。
商品開発部の業務として、材料調達の経路まで確保しなければならない。やはり、瑠璃ひとりでは心細かったようだ。だが、いくら内気な性格とはいえ――ここまでの成長を目の当たりにしている以上、きちんと指導さえすれば克服すると、京香は思った。
「まあ、正式に決まってからだけどね……」
動くのは、それからでも遅くない。
近い将来にそのような未来が必ず訪れることを予感しながら、京香はパフェの、サツマイモの天ぷらを食べた。
第16章『食べ歩き』 完
次回 第17章『独占契約』
京香は『ぁぉU』の投稿に、複雑な気持ちになる。




