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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第15章『素性』
44/90

第44話

 八月十三日、火曜日。

 京香は午前中、面識がほとんど無い曽祖父母の墓参りを、ひとりで済ませた。自宅のタワーマンションから、自動車で一時間ほどの距離にある霊園に向かった。

 母親から行くよう言われているが、行ったことを確認されることは無いため、適当に誤魔化すことも可能だった。それでも、長女としてのせめてもの責務として――猛暑の中、律儀にこなした。京香に自覚は無いが、過去からそのように躾けられていたのであった。


 チェーン店の冷たいうどんで昼食を摂ると、その足で次は都心に走った。今夜はレストランの個室で、一族集まっての会食がある。とても憂鬱だが、参加せざるを得ない。

 ホテルへ直に向かうのはまだ早いため、午後三時過ぎ『実家』に一度立ち寄った。都心に位置する戸建て住宅は、妙泉の『本家』にもあたる。

 京香は近くのコインパーキングに駐車し、少し歩いた。この時間なら、両親の他に親戚も居るだろうと思っていたが――自動車を二台置ける実家の駐車スペースには、両親の自動車一台が置かれていた。

 意外だと思いながら、インターホンを鳴らす。


「やあ、姉さん。いらっしゃい」


 玄関の扉を開けて出迎えたのは、京香の妹である円香だった。

 実家に円香が居ることは、珍しいことではない。だが、円香のにこやかな表情に、京香はなんだか嫌な予感がした。


「もしかしてだけど……あんたひとりなの?」

「そうだよ。父さんも母さんも叔父さんも、ランチついでに買い物してるみたいだから、留守番してるってわけ」


 予感が的中した。親族に囲まれるよりも、円香とふたりきりになるほうが、京香は嫌だった。


「私も、適当にブラブラしてこようかしら」

「そんなこと言わないでさー。せっかくの姉妹水入らずなんだから、お喋りしようよ」

「あんたと喋ることなんて、何も無いわよ……」


 そうは言うものの、外は暑いため――京香は仕方なく玄関を上がった。二階の自室は学生だった頃のままであり、現在でも使用可能だ。だが、そこへ逃げるのではなく、自然とリビングへ向かっていた。

 円香の言う通り、他に誰も居なかった。テレビの雑音が耳に触れる中、京香はL字のソファーに座った。テーブルには『自社製品』の化粧箱がいくつかお来れていた。

 すぐに、茶の入ったグラスを持った円香が現れた。京香にグラスを渡すと、向かい合う位置に腰掛けた。

 冷房の効いた広い空間で、冷たい茶で喉を潤す。生き返ったようだと、京香は思った。


「はー、ダルい。帰りたい」

「妙泉の長女が三十二にもなって、何言ってんのさ」

「だから、そういうの全部あんたに譲るわよ」


 きっと今夜もこのような話で突かれると考えると、京香は改めて憂鬱だった。愚痴(ほんね)を漏らす相手として、妹は丁度いい存在だった。


「そんなこと言われてもねぇ……それよりも、フィナンシェの方はどう?」


 姉妹での『お喋り』も、結局は家業(しごと)の話しかないのだと、京香は少し呆れた。


「まあ、ぼちぼちよ」


 嘘ではない、限りなく良い表現として、京香はその言葉を選んだ。

 実際の進捗としては、コストカットのためにグレードを落とした材料での試作を繰り返し――そして、新しいフレーバーも、案を募っている。どちらも現状、目処が全くと言っていいほど立っていない。


「へぇ。小柴さん、ビシッと決めてくれるんじゃない?」


 瑠璃も何か案があるのかもしれないが、試作業務で手一杯の様子だった。

 京香としても、瑠璃には期待したい。しかし今、あることが引っかかった。


「あんた……あの子のこと、えらく買ってるわね」


 京香は、自分が瑠璃と最も親しい間柄だと自覚している。瑠璃のことを最も理解している自信がある。そのうえでの、期待と信頼だ。

 確かに、円香もあの夜、瑠璃の作成したハチミツりんごのケーキを口にした。それ以外に、料理の腕があることも知っている。

 だが、たったそれだけで――以前から、ここまで期待を寄せるだろうか。正社員へ拾い上げる案を持ちかけた手前、成果を出して欲しいという願望を持つなら、まだわかる。そうだとするならば、瑠璃にはひどい『圧』になるが。


「そりゃ、小柴さんはサラブレッドだもん。期待したくなっちゃうよ」

「サラブレッド? あの子が?」


 京香は、言葉の意味がよくわからなかった。『優秀な血筋』という意味合いだろうか。しかし、残念ながらつい最近まで『底辺(はけん)』だった印象が、完全には拭い切れない。


「あれ? 姉さん、小柴さんの両親のこと知らないの?」

「亡くなったってことしか知らないわよ。いくら部下でも、デリケートな部分は面と向かって訊けないわ。何ハラになるのか、わからないし……」


 京香は事実を交えながらも、適当に言い訳した。

 瑠璃のことで興味が無いと言えば、嘘になる。彼女がこれまでどのような半生を過ごしてきたのか、可能であれば知っておきたい。だが『ママ活』としても『同僚』としても、深く触れられなかった。

 円香に対し、咄嗟の反応だった。しかし、どうして言い訳をしなければならなかったのか、京香は後になって疑問を抱いた。まるで、何かやましいことを隠しているようだ。冷静に考えれば、何も焦る必要は無い。

 いや、それよりも――


「ていうか、知ってるような口振りね」


 そうでなければ、この会話は成立しない。円香が瑠璃の両親を、少なくとも自分よりも詳しく知っていると、京香は確信した。

 だが、円香が瑠璃と絡んでいるところなど、あの夜に一度見たきりだ。もしかすれば、円香がこっそり工場を訪れ、試作室で瑠璃と会っているのだろうか――そのように、京香は怪しんだ。そうであるならば、接触していることを、瑠璃からも接伏せられていることになる。あまり良い気はしなかった。


「うん、知ってるよ。正社員に拾い上げた手前、念のため素性を把握しておこうと思って……。興信所に調べて貰った」

「は? 興信所? あんた、ストーカーみたいな真似、やめなさいよ」


 京香は瞬時に白けると同時、そうきたかと思った。

 自分以外の妙泉の人間が興信所を利用することは、滅多に無いが、初めてでもない。身内が利用していることを知っている。その意味では、妙泉の人間らしい行動と言える。しかし、まさか妹が手を出すとは、思いもしなかった。

 そもそも、瑠璃を正社員に拾い上げる案を出したのは、円香だった。京香の目から、円香が立場を気にせず、瑠璃に別け隔てなく接している様子だった。

 それでも、腹の底では瑠璃を完全に信用していなかったと言える。『念のため』という前置きがあるものの――どう解釈しようが、つまりはそういうことだ。

 自分の推薦も届かなかったということもあり、京香は残念に感じた。


「別に、ストーカーでもいいよ。お陰で、面白い情報が手に入ったから」


 にんまりと笑う円香に、京香は息を飲んだ。ようやく、ある可能性に気づいた。

 つまり、京香の知らないところで、興信所の人間が瑠璃を張っていたことになる。円香の言葉から、おそらく瑠璃が正社員になった――七月以降の話だろう。

 その間も『ママ活』として瑠璃は京香と会っていた。それを押さえられ、円香に報告されていることが考えられる。


「へぇ。面白い情報って? あの子の両親、何者なのよ?」


 京香は動揺を隠し、必死に冷静を装った。脚を組んで見せた。そして、さり気なく論点を定めた。


「昔ね『小柴菓子工房(こしばかしこうぼう)』ていう小さなケーキ屋があったんだ。パティシエの夫婦が営んでたんだけど……十二年前のある日、閉店してしまった」


 たったそれだけの説明で――京香は全てが繋がったような気がした。

 両親が生きていた頃、ハチミツりんごのケーキをよく作って貰っていたこと。

 衣食住の選択肢がある中で、敢えて『食』に進んだこと。

 そのどちらも、ある理由で説明がつく。


「あの子……パティシエの娘なの?」


 円香が頷く。


「そういうこと。結果的に……菓子製造の商品開発に、適材だったわけ。姉さんてっきり、それを踏まえて拾ったんだと思ってたんだけど……」


 京香は静かに驚く。サラブレッドという表現も、ようやく理解した。

 しかし、なんだか釈然としなかった。


「ちょっと待って。十二年前って……あの子、十歳ぐらいよ? パティシエのキャリアなんて、無いじゃない」


 そのように思う一方で――ハチミツりんごのケーキを『思い出の味』として作り上げた事実は、頭から離れない。

 京香の考える可能性は、ふたつあった。ひとつは、当時に両親からレシピを教わっていたこと。その場合は情報だけでなく、実践も行っただろう。


「いやー。大なり小なり、何らかのセンスは引き継がれてるんじゃないかな。片方ならまだしも、両親ふたり共だよ?」


 そして、もうひとつは、当時の味を思い出して再現したこと。

 どちらにせよ『並大抵』でないのは確かだ。京香としても――円香の推察を信じてみたくなる気持ちが、少なからずあった。

 まさか瑠璃にそのような素性があったなど、思いもしなかった。

 本来であれば、喜ぶべきなのだろう。しかし、京香はどうしてか複雑だった。


「そうそう。商品開発が適材て言ったけど、もっと向いてる仕事があるんじゃないかって思うんだ」


 円香の言葉に、京香は首を傾げる。

 詳しく訊ねようとするが、玄関の方向から複数の足音が聞こえた。


「あっ。母さん達、帰ってきたね」


 立ち上がる円香に、京香も連れられた。姉妹ふたりで出迎えないとならない。

 京香は、少しの間忘れていた憂鬱な気分が込み上げる。

 少なくともこの時は――結局のところ円香が興信所を使って『どこまで』知り得ているのか、気にする余裕など無かった。

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