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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第15章『素性』
43/90

第43話

 八月十一日、日曜日。

 大型連休の初日である今日、午前九時に京香は自動車を運転していた。

 隣の助手席には、小柴瑠璃が座っている。


「すいません、わざわざ」

「いいのよ。私が好きでやってることだから、気にしないで」


 俗に『お盆休み』と呼ばれるこの期間、京香は予定が多く埋まっていた。『婚約者』とのデートも含め、ほとんどが家族絡みだ。

 今日が唯一空いていたが、瑠璃には予定が入っていた。だから、それに付き合うことにした。


「こういうのは、朝方だと暑さがちょっとマシよね」


 そうは言うものの、車内のエアコンは慌ただしく動いていた。メーターパネルの外気温度計は、この時間帯でも摂氏三十四度を示していた。

 それに、フロントガラスから差し込む日差しはとても強い。京香は日焼け止め対策をしっかり行ったうえ、サングラスをかけて運転していた。


「まあ……電車で行くより、全然快適です」


 電車も冷房は効いているだろうが、駅まで歩くだけで汗まみれになるだろう。その意味でも移動手段として自動車が優れていると、京香は思う。


「ていうか、このへんホントに電車通ってるの?」


 今は、山道を走っている。勾配があれば、カーブも多い。

 京香は自身の、自動車の運転が上手いと思っていない。安全面だけでなく――瑠璃の乗り物酔いを気遣い、なるべく速度を落として走っていた。その甲斐あってか、瑠璃は平気なようだ。


「一応、通ってますよ。本数めっちゃ少ないですし……駅から割と歩きますけど」

「やっぱり車でよかったわね」


 瑠璃を助けることが出来てよかったと、京香は嬉しかった。

 だから、この時は自分が『邪魔者』だと思わなかった。


 それからもしばらく走り、ようやく目的地に着いた。

 広い駐車場は、京香が思っていた以上に埋まっていた。

 緑に囲まれたここは、強い日差しに照らされ、セミがうるさく鳴いている。のどかさよりも『夏』を、京香に感じさせた。

 そして、サングラスを外して自動車を降りると――京香は線香の匂いが鼻についた。感傷に触れるが、周りは明々としている。なんとも不思議な場所だと思った。

 ふたりでそれぞれ、日傘を広げた。瑠璃が割と手荷物を持っているので、京香が半分持った。


「良い所ね」


 歩きながら、京香はそのような感じた。

 山の中だが広々とした『ここ』は、少なくとも『底辺』には無縁だろう。勘ぐりそうになるが、この暑さの中――意識もまた陽炎のようにゆらゆらと揺れ、無粋だと思った。

 季節柄、割と多くの人が居た。場所にそぐわず、悲しみや寂しさは無かった。


 途中、瑠璃が備品である手桶と柄杓を取った。

 そして、手桶に水を汲んでいる瑠璃の姿を見たところで、京香はようやく『邪魔者』だと自覚した。

 ただの運転手として、駐車場で瑠璃を待っているのが自然だった。どうして自動車を降りてここまで付いて来たのか、わからなかった。今になって戸惑う。

 いっそ今からでも自動車へ戻ろうと思うも――瑠璃が嫌がる素振りを一切見せていないことに気づいた。


「どうかしました?」

「なんでもないわ……。それ、私が持つわよ」

「ありがとうございます」


 だから、京香はそれに甘えることにした。

 とはいえ、さらに歩くにつれ、気まずさが――いや、後ろめたさが付きまとう。

 自分は瑠璃を脅迫して『ママ活』をさせている『所有者(クズ)』だと自覚している。瑠璃とは、とても歪な関係だ。本来は、自分のような人間が瑠璃とここに居てはいけない。

 京香は消極的な思考を巡らせながら、手桶の取ってを握った。水の重みが伝わる。


「ここです」


 やがて、ある一角で立ち止まる。

 整備されたそこにはただ『小柴家之墓』と彫られた墓石が佇んでいた。

 そう。ここは山中に位置する霊園だ。瑠璃が、両親の墓参りに訪れたのであった。


「父さん、母さん……来たよ。今年も暑いね」


 瑠璃が日傘を閉じ、手桶にタオルを浸した。それを絞ったうえで墓石を拭いた。優しい手付きだった。

 この猛暑の中、両親の汗を拭き取っているようだと、京香は後方から眺めていた。

 瑠璃が幼少の頃、彼女の両親が交通事故で亡くなった――それしか知らない。当然ながら、ふたりの顔すら見たことがない。

 これが、初めての対面になる。

 ただの墓石に対し、背徳感があった。ふたりの大切な娘を、好き勝手に扱っているのだから。


 京香も日傘を閉じると、瑠璃を手伝った。枯れた仏花を捨て、水を取り替える。さらに、墓石周りの雑草を抜いた。

 炎天下の中で汗を流す作業は、罪滅ぼしのつもりだった。だが、淀んだ気分は晴れない。

 そんな京香を余所に、瑠璃は新しい仏花を供えると、線香に火をつけ――そして、保冷バッグの中からタッパーを取り出した。

 蓋が開き、京香はむせ返る暑さの中、甘ったるい匂いが鼻に届いた。初めての匂いではない。

 瑠璃は墓石の前に屈むと、タッパーごとハチミツりんごのケーキを供えた。そして、二本の缶ビールを開けた。

 なんとも奇妙な組み合わせだと、京香は感じた。だが、ケーキの匂いから――自宅で円香と共にそれを初めて口にした際、瑠璃から聞いた言葉を思い出した。両親がよく作ってくれていたと、言っていた。

 あの時、瑠璃が気まぐれで作ったケーキは『思い出の味』なのだ。それに助けられたことを思うと、今更ながら感慨深かった。


「わたしね、派遣から正社員になったんだよ。信じられないよね」


 瑠璃にとっては、その決め手になった。

 おそらく、それらふたつの意味で作ってきたのだと、京香は察した。


「この方は、わたしの上司さん。良くして貰ってるよ。良い出会いがあったから……」


 振り返った瑠璃は、いつになく穏やかに微笑んでいた。

 このような表情もできるのだと、京香は少し驚いた。そして、慌てて墓石に会釈した。

 わたしを脅迫している悪い(ひと)です――そう紹介されるのが正しいと思う。しかし、瑠璃の様子は純粋無垢であり、言葉に嘘偽り無いことが痛いほど京香に伝わった。ようやく、背徳感が少し薄れた。

 今日の瑠璃の服装は、水色のブラウスと白いワイドパンツだった。マスクもピアスも無い。

 シンプルというより落ち着いた格好だと、京香は感じる。このような雰囲気を今でこそ見慣れたが、瑠璃にとっては大きな変化なのだろう。言葉だけでなく実際の姿も『天国の両親』に見せたいのだと思った。


「わたしなりに、ちゃんとした大人になるから……見守っていてね」


 瑠璃が両手を合わせて頭を下げた。背後から、京香も続いた。

 強い日差しが照りつけ、セミの鳴き声がうるさい。京香は顔を上げると、青い空に線香の煙が上っていた。


 その後、瑠璃が缶ビールを一本飲んだ。京香は自動車の運転で飲めないため、残りの一本は墓石周りに撒いた。

 三十分ぐらいだろうか。墓参りを早々と済ませ、ふたりで自動車に戻った。

 京香は車内の冷房に、生き返ったように感じた。瑠璃から貰った汗拭きシートで落ち着かせると、自動車を走らせた。


「わたしのお盆は無事に終わりました。ありがとうございます」


 助手席の瑠璃から、改めて感謝される。


「まだ初日じゃない。残り、どうすんのよ?」

「勉強したり買い物行ったり寝たり……適当に過ごしますよ」

「へぇ。いいわね」


 特に大きな予定が無いなりに、時間を有効活用しているように京香は感じた。

 そして、せっかくの大型連休にも関わらず――あまり構えないことが、残念だった。


「はぁ……。私は実家に帰ってくるわ。ダルいったら、ありゃしない」


 京香は、考えただけで憂鬱だった。

 愚痴として漏らしたが、帰る実家が無い瑠璃への配慮が足りなかったと、後になって思った。


「頑張ってください。これ、あげますから」


 瑠璃の、声の抑揚に変化は無い。わざわざ謝りこそしないものの、京香は反省した。

 ちょうど信号が赤になり、ブレーキを踏む。助手席に振り返ると、瑠璃が保冷バッグを差し出していた。


「ありがとう。後ろに置いておいて」


 味が好きである以上に、瑠璃の手作りであることから、素直に嬉しかった。少しだけ、気分が和らいだ。

 信号が青に変わり、京香は再び自動車を走らせた。


「けど、まあ……心折れそうになったら、いつでも呼んでください」


 今日のこれも『ママ活』のひとつだ。京香は別れ際に、きっちりと『小遣い』を渡すつもりだ。

 この大型連休中、会う機会があればその都度渡す。それが取り決めだ。

 しかし、瑠璃の言葉は金銭が目当てではないと――なんとなく、京香はわかった。


「ええ。本当にヤバい時は、助けて貰うわね」

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