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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第13章『告白』
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第39話

 皆にジョッキビールが行き渡り、場は一度静まり返る。周りの客の話し声と、コンロの金網で肉の焼ける音が、京香の耳に届いた。

 そんな中、中央の席に居た両川昭子が立ち上がった。


「本日は歓迎会を開いてくださって、ありがとうございます! あたしはまだ現場研修中の身ですけど、学ぶことが多くて、少しずつ成長している実感はあります! この部署の必要な人間になりますので、よろしくお願いします! これからも、可愛がってください!」


 明るい笑顔で周りを見渡しながらの、今日の『主役』の挨拶に、皆が拍手をした。

 驕りと図々しさを京香は感じるが――新入社員は調子に乗るぐらいのフレッシュさがあっていいのだと、最近は思うようになっていた。良くも悪くも、両川昭子という人間の影響だ。彼女にようやく慣れてきたとも言える。

 昭子が着席し、入れ替わりで隣に座っていた小柴瑠璃が立ち上がった。黒いマスクを外す。


「まだわからないことが多くて、皆さんの足を引っ張るかもしれませんけど……わたしなりに頑張りますので……よ、よろしくお願いします」


 たどたどしい口調だった。だが、ボソボソした声ではなく、必死な様子がにじみ出ていた。このような挨拶が不慣れであることは、明白だった。

 それでも周りは、もうひとりの『主役』を拍手で迎えた。

 新卒と派遣上がり――同じ新入社員だが、ふたりの対称的な部分が改めて浮き彫りになった。京香は着席するや恥しそうに俯く瑠璃を、ぼんやりと眺めた。


「というわけで――せっかくお肉が焼けてきてるから、私からは簡潔に」


 最後に、ジョッキビールを持った三上凉が立ち上がる。


「期待のルーキーふたりの歓迎と、一課の発展を願って――乾杯!」


 シンプルな音頭に、皆が近くの者と軽くジョッキをぶつける。

 京香は凉と乾杯をして、一口飲もうとしたところ――昭子がすかさず、ジョッキをぶつけてきた。一応は、下方向からだ。


「えへへ……。妙泉部長、お疲れさまです」

「ええ。現場研修、お疲れさま」


 京香は当たり障りなく労うも、内心では白けていた。

 このような場で、新入社員が真っ先に組織の頭に近寄ることは、間違っていない。それでも、こうまでして初手の『乾杯』が欲しいのは、理解に苦しむ。よその管理職に対してこのような態度は取らないで欲しいと、指導したいほどだった。

 しかし場を弁え、京香は黙ってビールを一口飲んだ。

 久々のビールだった。夏の屋外だからか、よく冷えたそれは喉越しが良く、美味しかった。


「部長、ビール美味しいですか? ウイスキー派ですけど?」


 京香はニヤニヤと笑みを浮かべている凉から、わざとらしく訊ねられた。


「えー。そうなんですかー?」

「部長の部屋ね、ウイスキーの瓶だらけなんだよ」


 案の定昭子が食いつき、凉が打ち明ける。

 そういえば凉を一度自宅に招いたことがあったと、京香は思い出した。


「ちょっと、三上さん……プライベートのことは、あんまり……」

「別に、それぐらいはよくないですか? ていうか、今日は無礼講ということで」

「そうですよ! あたしも妙泉部長の部屋、行ってみたいです!」


 ああ、絡み方が実に鬱陶しい――京香はそう思いながら、ビールを飲んだ。おそらく、今夜は気持ち良く酔えないだろう。

 焼けた肉を皿に盛り、課員が運んでくる。炭で焼かれているので香ばしく、ビールととても合った。


「ウイスキー嗜むなんて、大人な感じしますよねー」

「あー。両川さん、部長の歳イジっちゃダメだよ」

「……言うて、三上さん私よりも年上ですよね」


 出来ることならば、なるべく静かに味わいたいことろだった。だが京香は、早々に諦めた。


「違いますよ、課長! あたしは、妙泉部長みたいな大人の女性に憧れてるんです!」

「え? あ……うん」


 京香はかろうじて頷いた。凉が言うように、年齢を貶さられている意味合いに聞こえなくもなかった。

 しかし、既視感のようなものもあった。そう――入社面接でも同じような告白をされたことを、思い出した。

 自分は大した大人(にんげん)ではないと、京香は自覚している。だからこそ、良いように捉えようとも、皮肉に聞こえた。


 京香はふと、瑠璃を眺める。

 瑠璃は課員達に囲まれ、緊張した様子だった。立ち上がって『肉焼き係』を買って出ようとするも、トングを取り上げられた。今日に限っては、正しい対応だ。

 皆から朗らかに話しかけられ、瑠璃はなんとか喋っていた。酒も自分のペースで飲んでいる。

 悪くない光景だと、京香は思った。

 そして、懐かしさを覚えた。自分もかつて、歓迎会では今の瑠璃と同じだったのだ。緊張しながらも――なんとか向き合おうとしていたことを、覚えている。


「妙泉部長、次はハイボール飲みますか?」


 昭子の声で、京香は我に返った。ジョッキはすっかり空だった。

 ふたりの『主役』は離れて、それぞれ同僚と接していた。歓迎会のあるべき姿であり、何もおかしくないと京香は思う。

 しかし、今日この場で昭子と瑠璃が話しているところを、一度も見ていない。昭子は憎悪をたぎらせ、瑠璃は苦手意識を持ち――きっと、これからも交わることは無いのだろう。他人のことを言えた義理ではないが、京香はなんだか残念だった。


「いいえ……ビールで構わないわ」


 折角の場であるため、京香は普段とは違う酒を飲んでいたい気分であった。空のジョッキを昭子に渡した。


「わかりました。この店……瓶ビール無くて、残念です」


 昭子はそのように言うが、京香としては助かっていた。部下達から順に注がれるのが、嫌だったのだ。まだ自分のペースで飲める意味では、有り難かった。

 バーベキューも、割と美味しい。凉に感謝したいほどだ。


「あたしは、ハイボール飲んでみます。普段滅多に飲まないんで」

「口に合わなくても、知らないわよ」


 席を立ってドリンクコーナーへ向かう昭子に、京香は注意を投げかけておいた。いくら炭酸で割っているとはいえ、ウイスキーの刺激(アルコール)は強い。ここのように安物を扱っているであろう店は顕著な印象が、京香にはあった。割る配分も、いい加減だろう。

 正直なところ勧められないが、面倒なので止めなかった。


 やがて、歓迎会が始まって一時間ほどが経った。

 京香はずっと、瑠璃に目を光らせていた。課員達と酒を交えて喋っている姿は、始まりの頃より多少は馴染んでいるように見えた。

 それが嬉しくもあり――部長である自分の元へ一向に来ないことが、不満でもあった。

 瑠璃がずっと周りに捕まっているように見えなくもなかった。そして、瑠璃としても怪しまれないため、意図的に距離を置いているのだろうと思った。しかし、こうまで露骨に避けると却って不自然かもしれない。

 京香はそのように思いながら――結局は、ほとんどの時間を凉と昭子と過ごしていた。

 退屈に感じるだけなら、まだ構わない。


「妙泉ぶちょー、あたし酔っちゃいましたー」


 フラフラとした昭子から腕に抱きつかれ、京香は鬱陶しいことこの上なかった。

 京香の知る限り、昭子はハイボールを二杯飲んでいた。こうなっても仕方ないと思う。

 酔っている昭子を、凉は笑って見ているだけだった。せめて面倒を見て欲しいと京香は思うが『目上の人間』相手に、とても言えなかった。


「というわけで――このままだと帰れなくなるかもしれないんで、一足先に失礼します」


 京香の腕に抱きついたままの昭子が、凉に敬礼した。

 冗談には聞こえない。こんなにも早くに『主役』が退散することは、あってならないと京香は思う。だが何も言わず、ビールを飲んだ。


「それなら、しょうがないね……。駅まで送ってあげたらどうですか? 京香部長」


 凉が許したことも、そう提案したことも――京香はとても意外だった。

 いや、白けた気持ちが表に出ていたのだろうか。諦めて解放されたように、京香は感じた。


「そうですね。危ないんで、送ってきます」


 気だるさから、言葉に甘えた。瑠璃とのことが心残りだが、瑠璃自身は大丈夫そうであるため、一足早く去ることにした。そう考えると、酔った昭子は『良いきっかけ』だった。

 京香は鞄を持って立ち上がる。昭子にもなんとか、帰る支度をさせた。


「そのまま行ってください。皆には、私から伝えておきます」

「ありがとうございます。それでは、お疲れさまです」


 皆に挨拶しようとするも、凉から小声で止められた。皆はもう『出来上がっている』ため、確かに水を刺すのは無粋だろう。

 京香は現金を包んでおいた封筒を凉に渡し、昭子と共にそっと立ち去った。大半の代金を持つため、罪悪感は幾分和らいだ。


「えへへー、一緒に抜け出しましちゃいましたねー」


 エレベーターを降りて雑居ビルから出るや否や、京香は改めて昭子から抱きつかれた。

 時刻は午後八時半過ぎ。賑やかな飲み屋街の一角で、このような光景は珍しくない。酩酊した様子の人間など、通行人達は気に留めない。

 しかし、京香は――昭子の言い草が、なんだか引っかかった。

 本当に酔っているのか? ふと、その疑問が小さく浮かぶ。


「このままどこか行っちゃいます? ホテルなんて、どうですか?」

「両川さん、貴方ね……」


 ふざけた様子の昭子だった。いくら酔っているとしても、そのような冗談は京香の気に触れた。

 早く駅まで行き、昭子と違う電車に乗ろうとするが――京香は足を止められた。腕に抱きついた昭子が、立ち止まったのであった。

 京香は振り返る。

 飲み屋街の灯りに照らされた昭子の顔は、明らかに素面だった。

 酔い潰れた『演技』だったのだと、京香は確信する。

 そう。きっと、この状況に誘い出すために。凉までを利用した。


「冗談なんかじゃないですよ……。あたしは妙泉部長のこと、好きです」


 微笑む昭子から、真っ直ぐ告げられた。

 京香は瞬時に、嫌な予感がした。その先を言わせてはいけない。昭子の狙った位置に着地させてはいけない。まだ誤解できる。


「私も、貴方のこと好きよ? 期待のルーキーだもの」

「誤魔化すのは、やめてください――」


 しかし、京香の思惑は潰された。

 見上げる昭子の顔は飲屋街の灯りを背に、とても落ち着いていた。


「あたしのは……ライクじゃなくて、ラブの方です」

第13章『告白』 完


次回 第14章『キスマーク』

週明けに、京香はオフィスで昭子と顔を合わせる。

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