表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第13章『告白』
38/90

第38話

 やがて会議が終わり、参加者が席を立つ。

 京香も会議室を出ようとするが――隣に座ったままの円香から腕を掴まれた。笑顔を向けられ、京香は残るよう言われていることを察した。露骨に不機嫌な表情を浮かべる。

 その様子に凉が気づくも、円香は手のひらを向ける仕草で『大丈夫です』と伝えた。

 凉は素直に従い、会議室を出ていった。

 会議室で、京香は円香とふたりきりになった。


「何よ? 私、割りかしムカついてるんだけど……」

「うんうん、姉さんの気持ちはわかるよ。でも、しょうがないよね」


 ご愁傷さまと付け加える円香は、あくまで『伝言役』だ。妹にあたっても確かに仕方ないと、京香は理解している。

 経営陣である『妙泉一族(みうち)』がフィナンシェのコストカットを考えている件は、以前から耳にしていた。だが、フレーバー追加の件は、京香は初耳だった。商品開発部の部長である自分を差し置き、そのように話が進んでいたことは、腹立たしい。

 とはいえ、経営側の人間では無いのだから、当然とも言える。だから京香は、この無理難題が当てつけや嫌がらせと捉えた。


「で? 一応フォローしとかなきゃ、って感じ?」

「ううん、違うよ。自業自得としか思わないかな」

「あんたねぇ……」


 違うのかと、京香は頭が痛くなった。会議後わざわざふたりきりになった円香の意図が、わからない。


「小柴さんの様子、どうかなって」


 円香がぽつりと漏らす。

 確かに、どちらかというと人目を避けての改まった話だと、京香は納得した。

 瑠璃を正社員にする提案は、円香からだった。自身に責任を感じているとも、単純な興味とも、京香は捉えることが出来た。


「どうって言われても……まあ普通よ」


 京香に悪気は無いが、端的に言い表すならそうなる。これまで通り与えた仕事は淡々とこなしているので、ひとまず相応の働きを見せていると評価していた。

 パソコン操作や事務作業など、思わぬ『落とし穴』はあった。だが、克服する見込みであるため、また瑠璃の名誉のためにも、敢えて伏せた。


「正社員になっても、なんていうか驕らないし……それどころか向上心あるかしら。若い子って、凄いわね」


 念のため、そのような事実を褒めておく。京香としても、瑠璃のそのような姿が意外であり、喜ばしかった。

 今日の会議はまさに『空気』のような扱いだったが、いずれ意見を出してくると信じている。


「へぇ、よかったじゃん。折角の若い新入社員なんだから『次は』しっかり育てなよ?」

「なんか、トゲのある言い方ね……」

「気のせいじゃない?」


 円香がヘラヘラと笑うが、両川昭子の言われているのは明白だった。京香は図星であるため、何も言い返せなかった。


「そういえば……近いうちに、新入社員の歓迎会やるんだって?」


 だから、さり気ない円香の言葉を理解することが、ワンテンポ遅れた。


「……は? あんた、絶対に来ないでよ? 冗談じゃなくて、本当に」


 どこから知り得たのかは、わからない。問い詰めたところで、吐くはずがない。いや、日時と場所まで把握しているのだろうか。

 京香の思考はその詮索よりも、真っ先に拒んだ。

 ただでさえ『会社の飲み会』という苦手な場に関わらず、昭子に歓迎の意を表さなければならない。そこに妹も押し寄せることを想像すると――京香にとって文字通り、地獄絵図だったのだ。

 円香は典型的な営業の人間だからか、酒の場は得意というより好んでいた。その意味でも自分とは『真逆』だと、京香は感じていた。


「いやー、めちゃくちゃ行きたいんだけどねぇ……。残念ながら、その日は先約があってさー」


 相変わらずヘラヘラしているが、京香はこれまでの姉妹としての付き合いから――嘘ではないと思った。本当に残念がっている様子だった。

 ひとまず最悪の事態を回避し、胸を撫で下ろした。


「というわけだから、姉さんは絶対に行きなよ? もちろん、車は置いてね」


 結局はこの念押しがしたかったのだと、京香は円香がふたりきりになった意図を理解した。実に回りくどいと思う。


「ええ。あんたに言われなくても、わかってるわよ」


 未だに考えただけで憂鬱だが、これも部長としての仕事なのだから、逃げるわけにはいかない。

 そういえば来週末かと、京香は凉が店を押さえたことを思い出した。



   *



 七月二十六日、金曜日。

 午後五時半になり、就業のチャイムが鳴った。

 営業一課のオフィスでは、課員達がたちまち立ち上がる。皆の表情はとても明るいと、京香は部長席から眺めて思った。


「お疲れさまでーす! それじゃあ、行きましょう!」


 現場研修から戻ってきた両川昭子は――いつもの週末であれば疲れ切った様子だが、今日はまだ元気だった。


「それじゃあ、京香部長……私は『主役』らと先に行ってますんで、くれぐれも遅れないように、お願いしますよ」

「は、はい」


 振り返った三上凉から念を押され、京香は観念した。

 ふと目をやると、瑠璃はとても緊張した様子だった。周りに連れられ、オフィスを出ていく。まるで連行される容疑者のようだと、京香は思った。

 去り際の瑠璃が振り返り、視線が合う。目で助けを求められるも――京香はどうすることも出来ず、ただ苦笑した。


 定時で上がるのは、いつ以来だろうか。京香は最後にオフィスを出ると、そう思いながらトイレに入った。敢えて時間をずらす意図で、ここで化粧を直す。

 京香は身支度を終え、工場を出た。まだこの時間でも外は明るく、蒸し暑い。日傘をさして、電車の駅へと歩いた。

 今朝は電車で出勤した。まだ何時間も先だが――電車と徒歩での帰宅は、考えただけでも、とても気だるい。憂鬱さに拍車がかかった。

 駅から電車に乗り、二駅先で降りた。工場から隣街になるここは、駅前にいくつもの飲食店が立ち並んでいた。特に居酒屋が多い。


「えーっと……」


 京香は携帯電話を取り出し、店の名前と場所を確かめる。

 駅から数分歩いた先の雑居ビル――小汚い入口に、小柴瑠璃が佇んでいた。黒いマスクを着けた顔は、なんだか疲れた様子だった。


「お疲れさま。私のこと、待っていてくれたの?」


 おそらくその意図は無いだろうが、京香は微笑みながら日傘を閉じた。

 京香の存在に気づいた瑠璃が、顔を上げる。ペコリと頭を下げた。


「いや、その……なんていうか、落ち着かなくて……」

「逃げ出してきたってわけね」

「……否定はしません」

「素直でよろしい」


 時刻は午後六時十五分。瑠璃がここにいつ着いたのか京香は知らないが、開始時刻までの午後六時半までは、まだ時間がある。

 瑠璃にとって『同僚との飲み会』は、きっと初めてだ。慣れない場で、まだ慣れない同僚と待つのは、居心地が悪いだろうと京香は思う。

 ふたりで雑居ビルに入り、エレベーターに乗った。瑠璃が屋上を押した。


「楽しみなさいとは言わないわ。でも、皆あんたを歓迎するために集まってくれたんだから、それには応えないとね」

「そ、そうですね……」

「ただし、無理はしないこと。酔い潰れるのだけは、絶対にNGよ。飲ませる子は居ないと思うけど……何かあったら、私のところに来なさい」

「そうします」


 瑠璃もまた、自分とは別の意味で憂鬱だと、京香は理解している。だが、瑠璃が開発一課に溶け込むことは今後の仕事に必要不可欠であり――頑張ってほしいと思う。

 瑠璃はスモーキーブルーのカットソーと、白いワイドパンツの格好だった。

 以前購入した中で、瑠璃が最も気に入っていた組み合わせだと、京香は知っている。だから、今日は彼女なりの『勝負服』に感じた。


「私も正直ダルいけど、一緒に乗り切りましょう」

「はい!」


 京香は瑠璃と一度だけ手を握ると、エレベーターが屋上に着いた。


「わぁ。意外と凄いわね」


 狭いが空が高く、開放的な場所だった。夏のぬるい風と共に、炭の匂いが鼻についた。

 あまり綺麗な場所ではないが――それだけで、不思議と京香は昂った。

 この雑居ビルに入る飲食店のひとつが、夏季に屋上バーベキューを提供しているらしい。凉がここを、部下に押さえさせた。


「あっ、京香部長お疲れさまです」

「上座はこっちですよ」


 既に座っていた課員達から、京香は席へと案内される。


「今日の主役は、私じゃなくて……このふたりよ」


 京香は背後から瑠璃の肩に手を置くと、真ん中の席へと促した。

 割と離れるが、瑠璃の席はそこに用意されていた。そして、その隣には――両川昭子が座っていた。


「妙泉部長……今日はあたしのために来て頂いて、ありがとうございます」


 明るい笑みで会釈される。

 京香にその意図は無かったが、表向き(たてまえ)だけでも取り繕わなければならない。なんとか笑顔を作った。


「全員揃ったみたいだから、とりあえず人数分ビール頼もうか」


 凉が課員に指示を出す。

 こうして、開発一課の新入社員歓迎会が始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ