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アナタはわたしの手の中  作者: 未田
第13章『告白』
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第37話

 七月十六日、火曜日。

 三連休明けの今日、京香はただでさえ憂鬱だった。それでも、午前十時に京香は三上凉と共に――開発一課の課員をはじめ、関係者を第二会議室に集めた。

 現場実習中の両川昭子は、今日は製造ラインから抜けられないため、不参加だった。

 小柴瑠璃は参加していた。彼女にとって初めての会議であるうえ――白いリネンシャツとグレーのタックパンツといった格好だからか、より落ち着かないように京香には見えた。

 先週末に購入したものを、早速着ている。社会人らしい落ち着いた格好に、周りからの反応は良かった。だが瑠璃本人は、恥ずかしそうに今も縮こまっていた。黒いマスクも外せない。

 その様子が、京香にとって唯一の『癒やし』であった。


「さて、それじゃあ会議を始めます」


 京香の右隣に座る凉が、取り仕切った。


「フィナンシェ――ここ五年ほど何も変わってなくても、有り難いことに現在でも全然売れてます。ですが、いい加減何らかのテコ入れが欲しいとの、お達しです」


 開発一課の主力製品だけでなく、妙泉製菓の『顔』でもある、フィナンシェ。オーソドックスな焼き菓子として、通年でコンスタントな販売実績があった。

 凉がプロジェクターで、改変履歴の一覧を映し出す。創業当初からある商品のため、歴史はとても長い。


経営陣(うえ)はそう言ってるけど……昔から変わらないいつもの味、みたいに売ればいいんじゃないかと、私は思うんだけどねぇ」

「確かに、味はなるべく変えないでください。でも、変わるところは変わっていきましょうよ……コストとか」


 京香はやる気無く漏らすと、左隣の妙泉円香からすかさず突っ込まれた。呼んでもいない営業一課の妹が、どうしてこの場に自然と居るのか――もはや疑問にすら持たなかった。


「ぶっちゃけると、材料費の高騰が割と痛くて……でも、老舗の意地で値上げに踏み切れない背景があります」


 円香が皆に説明した事情を、京香は当然ながら事前に把握していた。近年では妙泉製菓だけでなく、食品業界や社会全体が抱える問題だ。


「それなら、小さくしただけで『美味しくなってリニューアル』でいいんじゃない?」


 皮肉として、投げやりに京香は言う。

 値上げが無理ならば数や量を減らすことは、食品業界の常套手段だ。それを『リニューアル』と謳うのは、消費者を舐めているとしか思えなかったが。


「それも老舗の意地で出来ません。よって、普通にリニューアルしてください」


 考えが一致するものの――こちらはくだらないプライドに振り回されている『被害者』のように、京香は感じた。代弁の立場である円香は経営側だが、京香はやはりそちらに立てず、製造現場側の視点だった。

 課員達が口にせずとも、会議室は苦笑の空気に包まれていた。同じように感じているのだと、京香は察した。


 リニューアルとは言うが、要するに『大きさも味も落とさないコストカット』だ。

 京香は改めて改変履歴を眺めるも、製造方法や材料の変更はほとんど無い。製造設備の一新が最も大きい。

 きっと、過去から味は大きく変わらないのだろう。それでいて消費者から飽きられることなく、現在まで続いていることから、確かな『安定性』を感じる。

 だからこそ、なるべく手を加えたくない案件だと思った。


「製造方法の……こういう言い方が適切でないような気もしますけど『改良点』はありますか?」


 凉が生産技術部に振る。コストカットを考える場合、見直すべきひとつだ。


「うーん……。すぐには思い浮かばないというか……やっぱり、現実的に難しいんじゃないでしょうか。設備の買い替えに目を向けるしかないと思います」


 現時点でその意見はもっともだと、京香は思う。深く追い込む気にはなれない。あまり期待もできない。


「長期的に考えた場合、それもアリかもしれないんで……償却も込みで、大体の試算を提出してください」

「わかりました」


 そうなれば――京香は開発一課の面々を見渡した。


「ウチらは、材料いろいろ試してみましょうか」


 現実的なコストカットは、材料の見直しだ。コストと共にグレードも下げれば、常識的に考えて味も落ちる。ただし、どれだけ落ちるのかは――組み合わせによっても未知の領域だ。結局は、地道に試作数(かず)を回して確かめるしかない。考えただけで、げんなりするが。

 一方で、瑠璃は緊張で固まった様子だった。

 一言も喋っていないにも関わらず、会議の緊張感から内容が耳に届いていないように京香は見えた。最も重大な人物がこのような様子で、京香は苦笑した。


「それじゃあ私は、ダメ元でも仕入先に値下げ交渉しますんで――同行願います、京香部長」

「はいはい……」


 現実的に叶わないだろうが、まだ試していないために明確に『無理』とは言えない。

 満面の笑みを浮かべる円香に、京香は小さく頷いた。


「それと――折角のリニューアルなんだから、ついでに新しいフレーバーも考えてくれませんか?」

「は?」


 円香がさらりと付け足し、京香は唖然とした。いや、会議室の空気が一瞬で凍ったのを感じた。


「あんたねぇ……。『ついで』の域を余裕で超えてるじゃない」


 ただでさえコストカットでさえ頭が痛いところに、さらに無茶を突きつけられ、京香は開発一課の気持ちを代弁した。経営陣からの代弁に対抗したつもりだった。

 とはいえ、逆らえるはずがない。京香が感じたニュアンスとしては、コストカットと新フレーバーのふたつを合わせて『リニューアル』だ。ふたつに優先順位は無く、並行してどちらもこなさなければならない。


「ええっと……一応、整理しておきましょう」


 凉も頭を抱える様子で、進行を続けた。


「現在フィナンシェはバラ売りと、化粧箱で八個入りと十六個入りがあります。味はノーマル、抹茶、チョコレートの三種類ですが……幸い、アソートでの販売は無く、それぞれ独立したパッケージになっています」

「販売形式はそのままで、追加のフレーバーはひとつだけ――そういうことよね?」


 京香は念のため、円香に確認した。

 これでも、考えられる限り労力が最小で済むケースだ。逆にこれでないならば、事態はさらに面倒臭くなる。


「ええ、その認識で相違ありません。まあ、本音を言えば……ウチの主力なんですから、いくつかの期間限定(シーズナル)でサイクルを作りたいところではありますけど」


 円香個人の、営業としての本音なのだろう。京香はその部分を聞き流した。

 内容がこちらの想定通りだったとはいえ、面倒であることには違いない。

 フィナンシェという焼き菓子はしっとりした口当たりになるため、それに合うフレーバーは限られる。良いように考えれば選択肢は少ないはずだが、選択肢自体が出てこないだろう。

 いや、そもそもフィナンシェはノーマルこそが『完成形』であり、本来はフレーバーなど必要としない。現に販売実績としても、ノーマルが他ふたつに比べ、頭三つは抜けている。抹茶もチョコレートも『邪道』だと、京香は思う。


「ぶっちゃけ、リニューアルの話題性を加速させるための手段なんで……最悪、すぐ販売中止になっても(ポシャっても)構いませんよ」

「なるほどね」


 売れることが理想ですけどね――円香が付け加え、京香はフレーバー追加の意図を理解した。

 そのように言われると幾分気楽にはなるが、意図を知らない人間からは失望されるだろう。何にしても、京香の責任が綺麗に消えるわけではないのだ。


「そういう意味では、いっそ攻めてみるのも全然アリだと思います」


 スティックケーキの時も同じようなことを言われた気がするが、今回は円香の言い分にも一理あると京香は思った。ノーマルを含む三種で『軸』は完成しているのだから、より『邪道』に振れる余裕はある。


「――というわけよ。スティックケーキみたいにアソートじゃないから、組み合わせやバランスは考えなくてもいいわ。話題性重視でシンプルに、アイデアで勝負しましょ」


 京香は会議室を見渡すと――固まっている瑠璃ひとりを除き、皆が頷いた。

 フィナンシェのコストカットとフレーバー追加によるリニューアル。こうして、途方もないプロジェクトが動き出した。京香はやはり、ひたすらに気だるかった。とはいえ、ひとまずの方向性が定まってよかったと、良いように考えた。

 そして、願わくば――瑠璃が再び活躍して欲しいと思う。スティックケーキが偶然(まぐれ)ではなかったと、確かな実力を見せることに期待した。

 京香はまず、この会議の内容を後で改めて伝えようと、固まったままの瑠璃を見て思った。

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