第22話
六月六日、木曜日。
晴れ空の午後二時、京香は自動車を運転していた――後部座席に三上凉、助手席に両川昭子を乗せて。工場から、都心部へと走る。
隣に座る新入社員が、ソワソワと落ち着かない様子だった。京香としては実に鬱陶しく、そして憂鬱だった。しかし、これから『仕事』に向かうため、強引に気分を上げていた。
「両川さんは、市場調査とマーケティングリサーチの違い、わかる?」
ふと、凉が訊ねる。
「えっと……市場調査は何がどれだけ売れたかの販売データ、つまり『過去』を振り返ることです。マーケティングリサーチは何をどのように売っていくのかの計画、つまり『未来』を考えることです」
「うん。正解」
つい最近まで大学生だったことから、教科書のような文言だと京香は思った。
勉学で得た知識が記憶から薄れる前に、実践で身に付けなければいけない。その意図で、凉が現場実習中の昭子をわざわざ同行させたのだ。
「それじゃあ、売り場の視察はどっちになるんですか?」
スティックケーキの開発状況があと一歩のところで煮詰まっている現在、打開策として店頭を確認する。本来であれば、京香と凉だけで向かうはずだった。
この行動が市場調査とマーケティングリサーチのどちらに該当するのかは――時間で区別した場合、またそれぞれの意図で考えた場合、確かに難しいと京香は思った。
「どっちだと思う?」
「うーん……後者でしょうか。売っていくためのアクションです」
「違うわ。何が売れているのか、この目で実際に確かめるのよ」
京香は運転しながら、つい口を挟んだ。売り場視察とは、結果に対しての過程を確かめる行動だ。
「え? でも、そのへんデータで貰ってますよね?」
「データだけじゃ、わからないこともあるのよ。店頭での扱いとか、顧客が何かと迷ったとか」
「なるほど。確かに、そうですね」
昭子の主張は、間違っていない。商品開発は基本的にデータで進める。実際に店頭を確かめるなど、最悪無くても構わない。
「というのを、頭の片隅に入れておいてくれないかな……。私らがこれからするのは、他社の動向というか売れ行きの確認というか……ぶっちゃけ、パクれるネタ探しだから」
「ちょっと、三上さん!」
凉が苦笑しながら、本来の目的を打ち明ける。
京香は慌てて制止するも、もう遅い。鬱陶しい新入社員でも、彼女の前では良い格好をしていたかった。
「そういうわけだから、探してね」
「はい! 妙泉部長のためにも、頑張ってパクリます!」
「ああ、もう……」
昭子が白けるどころか、妙にやる気を見せた。
新入社員がそこを頑張ってどうするのだと、京香は思う。頭が痛くなりながらも、運転を続けた。
やがて、コインパーキングに駐車し、とあるデパートに入る。
午後三時前の地下一階――食料品売り場は、とても混雑していた。
立ち並ぶテナントの中に、妙泉製菓の販売店があった。全国に八店舗ある内のひとつだ。京香達三人は、立ち寄った。
ふたり居る正社員の店員は、ひとりがレジで接客し、ひとりが棚に商品を陳列していた。
「どうも、お疲れさまです」
「あら、京香部長。お疲れさまです」
京香は陳列している店員に挨拶した。
訪問することを、わざわざ事前に伝えていない。本社の経営陣もよく立ち寄ることから、ここの社員は突然の訪問に慣れていた。
「そちらの方は?」
「ああ……新入社員の両川です」
「開発一課の両川です! よろしくお願いします!」
昭子自身がこの売り場の存在を知っていたのか、京香はわからない。何にせよ、連れてきたのは初めてだった。商品開発部の人間としてこれから世話になるため、紹介した。
「売れ行きの方は……いつもの感じですか?」
「そうですね。ぼちぼちです」
凉の質問に、店員がにこやかに答える。
当たり障りのない返答だと、京香には聞こえた。いや、狭い店内を見渡しても、まさに最も適した表現かもしれないと思う。
特別賑わっているわけでも、かといって全く客足が無いわけでもない。京香が訪れる度に見ている光景だった。
ただ、陳列してある在庫状況から――二課の水菓子が売れているように感じた。初夏である季節的な現象だ。これからさらに暑くなるにつれ、より売れるだろう。
そう。じき七月になる。スティックケーキの期限は、近い。
自社店舗の販売状況がデータ通り、特に変わらないことを確かめる。
それから三人で、菓子店の一角を歩いた。本来の目的である、他社製品の『偵察』だ。
凉と昭子は私服姿だった。スーツ姿の京香は、奇妙な組み合わせだと思った。どんな格好でも店側から疑われないだろうが、仕事の同僚には見えないだろう。
「なんか……せっかくのデパ地下なのに、パッとしませんね」
ふと、昭子が漏らす。
焼き菓子や水菓子などの店はどこも、客の入りが疎らだった。とても行列は出来ていない。
「そりゃ、そうでしょ。両川さんも、お客の立場ならあっちが欲しいんじゃない?」
凉が顎で指したのは、ケーキやシュークリームなどの生菓子店だった。客の行列が出来ているだけでなく、店によっては『本日完売』の文字が見える。
このデパートだけに限った現象ではない。どこでも、デパート地下のスイーツ特集で取り上げられるのは、生菓子が多かった。
「そうですね。むしろ、買って帰りたいぐらいです」
「買って帰るなとは言わないけど……。生菓子は自分もしくは親しい人と食べる用、ウチが作ってる焼き菓子は専らギフト用。その違いよ」
「なるほど。言われてみれば、そうですね」
京香の説明に、昭子は納得した。
妙泉製菓として、生菓子を同業とは捉えていない。それでも、こうして店頭の売上で負けているのは、京香としても良い気がしなかった。とはいえ、張り合おうにも、こちらが不利であると理解しているが。
「ウチも生菓子作ればどうですか?」
何も考えていないであろう――昭子の無邪気な提案に、凉が小さく笑う。
京香は小さく溜め息をついた。
「そう簡単じゃないのよ……」
妙泉製菓には生菓子に関する技術や流通経路が無いだけでなく、人員や製造場所の問題もある。手を出そうにも、全くの新規事業になるのだ。
ふたりの反応に、昭子は首を傾げた。
しばらく歩くと、ふと昭子が立ち止まった。
京香は昭子の視線を追うと、その先にはマカロンの箱があった。
「あれ、凄くないですか? 十種類もありますよ」
カラフルなそれは、見栄えがとても綺麗だと京香は感じた。味がどうであれ、贈り物として喜んで貰えるだろう。
三人で店頭に近づき、詳しく確かめる。
木イチゴ、レモン、キャラメル、塩キャラメル、カシス、紅茶、ピスタチオ、コーヒー、チョコレート、パッションフルーツ――それぞれのクリームが挟まれたマカロンだった。
店員が近づいてきたので、適当に躱して店頭から離れた。
「なんていうか……けっこう強引でしたね」
「そうですね。無理やり十種類集めた感じで……」
凉の感想に、京香は頷いた。
似たような味が多いというより――味よりも、見栄えを優先したように感じた。
「ていうか、そこまで気にしますかねぇ。カラフルなら、それでよくないですか?」
ふたりの意見を何気なく否定する昭子に、京香は少し苛立つ。
しかし、それはもっともだと思った。むしろ、昭子が入社してまだ間もないからこそ、消費者に近いからこそ、説得力があるように感じた。
「それじゃあ、両川さん……カラフルさで考えるなら、最後のひとつは何になる?」
京香は、その観点で意見を引き出そうとした。
チョコレート、抹茶、チーズ、レモン――味で考えてきたスティックケーキを、色で考える。
「うーん……。ベリーはどうでしょう? あの中に赤系があれば、華やかですよね」
先ほどのマカロンの、木イチゴとカシスから連想したのだろう。色で考えた場合、確かに他四つに対して良いアクセントになると、京香は思った。
これまでも一度、ベリーが挙がったことはある。しかし、レモンと同じく酸味になるので却下したのであった。
それを、色で改めて考える。
「良いじゃん、それ。私はしっくりきたよ」
「そうですか!? あたし、やりました!?」
凉の感触は良いようだ。
昭子個人はさて置き――京香としても、悪くないと感じる。ここまで昭子を連れてきて良かったと思った。
賛同して採用、プロジェクト完了という流れに持っていきたいところだった。
「とりあえず、試作してみましょう。喜ぶのは、それから」
しかし、京香はなんだか腑に落ちなかった。浮かれ気味のふたりを、落ち着かせる。
これまで味で考えてきたものを、最後は色で考えていいのだろうか。それが京香の中で、引っかかっていたのだ。
色だけでなく、味のバランスも五種類で取れているなら、採用したい。そのために、実際に確かめなければならない。




