1 雪の神霊 1
ひとしきり、屋敷の周り、およびご近所さんの家のまえの雪かきを終えて帰ってきた。
「レイ!」
その声のするほうに、私は顔を向ける。
朝日を背にして立ってるのは、背の高い、とても美しい男性。
「サトル様!」
一条 悟さま。
一条家の御当主さまであり、私の、旦那様。
そして大切なお方。
真っ白な御髪に、ルビーのように美しい目。
体つきはほっそりとしてるのに、筋肉質で、背が180センチくらいある。
知らず、私はサトル様のほうへと駆け出していた。
夜廻りから帰ってきたのだろう。
妻として出迎えねば、というより、単純に彼と話したかったから、体が動いていた。
サトル様は凄まじい速さでかけつけてきて、私のことを、正面からぎゅっと抱きしめてくださった。
その瞬間、私は温かい気持ちで包まれる。
サトル様に、好きな人に抱きしめてもらえるだけで、こんなにもお手軽に幸せな気持ちになれる。
「レイ! 心配したぞ!? 家に帰ってみると、おまえは寝室にいないし……」
「! も、申し訳ありません」
どうやら心配させてしまったようだ。
「いちおう、書き置きはしておいたのですが」
「ああ、そうだったのか。すまん、お前がいないだけで、もう何も考えられなくなってな……」
私のこと、そこまで思ってくださってるだなんて。
「……うれしいです」
前は、気持ちを表に出すのが怖かった。私ごとき、無能の令嬢が、極東の華族、その御当主さまに気軽に口をきいてはいけないと。
でも、今は違う。
私は、サトル様のことが好き。サトル様も、私を愛してくださってる。
それに、彼はとっても優しい。
なので、今の私は、思ったことをそのまま告げるようにしてる。
だって、そうすると、サトル様とても喜んでくださるから。
サトル様がうれしいと、私もうれしくなるのだから。
「レイよ。早朝から何をやっていたのだ?」
「雪かきをしておりました。饕餮の異能で、しゅごーって!」
サトル様は私に頭を下げてきた。
「すまない。お前に、寒い思いをさせてしまったな。こんな寒空の下、過酷な労働をさせてしまった! すまん!」
過酷な、労働?
「? ただの雪かきじゃあないですか。全然過酷ではありませんよ。それに、寒空? これくらいならまだ温かいくらいですっ」
「…………」
「私の住んでいたゲータ・ニィガの冬は、降雪はこんなものではありませんし。それに厳しい寒さの時はまつ毛が凍るときもありますし」
「な、なるほど……もっと寒いのか」
「そんな日の早朝の雪かきと比べれば、全然辛くありません! 雪かきの道具も使えますし、それに、こんなふうに厚着もさせていただけますし。あ、サトル様! 上着をお借りして……って、どうしたのですか?」
サトル様が何か痛ましいものを見る目で私を見てきた。
「レイよ……。もしかしておまえ、ゲータ・ニィガにいたとき、雪かきを強要されていたのか?」
「? はい。使用人がやらないので」
「……そして、雪かきの道具もなければ、上着も貸し出してもらえなかったと?」
「はい。そうですね」
それがどうしたんだろう……?
「おお、レイ……かわいそうに……辛かったな」
ぎゅぅうう、とサトル様が私を強く、抱きしめてくださる。
どうしたのだろう?
わからない、けど、ぎゅっとされると心地よくて、たまらない。
天下の往来だとか、そんな事実は頭からすっぽり抜けていた。
「レイ。これからは一人で雪かきしなくていいんだぞ? なんだったら黒服たちに全て任せていいのだ」
「お心遣い感謝いたします。ですが、大丈夫です。これくらい一人でできますし」
それに朝早くから皆さんに辛いことをさせたくないのだ。
普段彼らに優しくしていただいているから。
その恩返しをしたいし。
「わかった。ただ、外に出る時は誰かに一声かけてから出かけてくれ。そういえば、蒼次郎はどうした?」
今日の私の護衛は、蒼次郎くんだ。
「すっかりおねむのようです」
蒼次郎くんはまだこども。
夜更かしは苦手らしい。
今頃ぐっすり眠ってる。起こすのもわるかったので、私は一人で出てきたのだ。
「レイは優しくて、気遣いのできる女だな。それに、家長としての仕事もしてくれる。とてもいい妻だ。良妻賢母とはまさにお前のことを言うのだろう」
「さ、サトル様……ほ、ほめすぎです……」
ふにゃふにゃ、と私の口の端が緩んでしまう。
サトル様に褒められたからだろう。今朝はキンキンに冷えているというのに、私の心はポカポカしていた。
「照れてるレイは、この世の誰よりも可愛いな。そんな顔をされると、キスしたくなる」
「え、え、っと……んっ」
か、彼が望むならっ。体を差し出すのもやぶさかではない。
私は目を閉じて顔を近づける。
すると彼の冷たい手が私の頬を包み込み、そして、ちょんっ、と私の唇に指が乗せられる。
「冗談だ」
「じょ、冗談……」
ちょっと、いや、かなり残念。
サトル様と、キスしたかったな。
「そうか、レイ。俺は別にいいぞ? でも、おまえ、みんなに見られてる中してもいいのか?」
「えっ!?」
一条家の塀の上には、黒服の皆さんが乗っていた。
皆さん異能者なので、塀の上に乗っかるくらい容易い。
そんな黒服の皆さんたちが、にまにましながら、わ、私を見ていた!
かぁ……っと顔が赤くなるのがわかる。
「あのその、ここではちょっと」
「俺はいいぞ? さっきレイはとても物欲しそうにしていたじゃあないか? ん?」
「さ、サトル様……い、意地悪です」
「ははっ。すまないな、レイ。おまえがあまりに可愛いから、つい、意地悪したくなってしまってね」
私には理解できない感情だけども、好きな子にはイタズラしたくなっちゃうらしい。
「そんな可愛いレイが、俺は好きだ。おまえはどうだ?」
「は、恥ずかしいです……」
「なんだ嫌いなのか?」
「もうっ」
はっはっは、とサトル様が楽しそうに笑う。
意地悪されてても、全然嫌じゃあない。彼がからかってくるのは、私が好きであるが故にと言うのがわかるからだろう。
「「「続けないの?」」」
と、黒服の皆さんっ。もうっ。
「しませんっ! 皆さんが見てるなか、できるわけないじゃあないですかっ」
「「「なんだー」」」
残念そうにする皆さん。
「レイちゃーん!」
門か小さな男の子が出てくる。
百目鬼 蒼次郎くん。
一条家に古くから仕える、鬼の一族であり、私の護衛。
「わー! 顔真っ赤だよぉう! さむかったよねー、ごめんねー!」
蒼次郎くん、私に寒い中作業させてたと思っているらしい。
優しい子。
でも、顔が赤いのは、別に外が寒いからだけではない。
「レイが顔赤いのはな、寒いからじゃあないだぞ」
「はえ? じゃあサトルにいちゃんも、なんか寒い以外の理由があるの? 顔真っ赤だけど」
恥ずかしかったので、サトル様のお顔を、見れていなかった。
でもよく見ると、サトル様のお耳も真っ赤だった。
「……自分も照れてるんじゃあないですか、もうっ」
「ははっ。さ、朝餉にしよう。と、その前に。ありがとうな、レイ。雪かきしてくれて。助かるよ」
サトル様がそういうと、黒服の皆さんもいう。
「ありがとうお嬢様!」「雪かき大変だもんねー!」「寒かったでしょう? あったかいご飯できてますからね!」「あとでお風呂でマッサージしてあげますー!」
優しい旦那様に、お家の人たち。
私は、彼らが大好きだ。
この屋敷にこれたことを、私は改めて、神に感謝するのだった。




