052話:【体育祭編】玉入れ
「はぁ、はぁ……」
「え? ど、どうしたの祐樹君、そんなに息を切らして……準備運動?」
「祐ちゃんは真面目だねぇ、僕達の出番は午後だから今から準備運動しても無駄だと思うけどなあ」
逃げ切ってやったぜ……
走って帰ってきた俺は、とりあえず準備運動お疲れ様、と声をかけてくる真一と葵の二人に適当に返しておいた。
さっきの三年生の不良達によるタバコ事件は俺の中でなかったことになっているのだ。
……俺のことバレてないといいけど、つか、向こうも俺が見ていたということを忘れてくれるもしくは気にしないでくれるのが一番良いんだけど……
少し悩みつつもグラウンドを見ていると、どうやら今、障害物競争をしているのは三年生のようだ。
もうすぐ終わる所だった。
障害物競争は女の子達が網をくぐったり跳び跳ねてパンをくわえたりしながらゴールを目指す競技である。なんだかそんな姿が少しだけ萌えた。
そして、競技を眺めていた俺達の元へ競技を終えた二年生達が続々と帰ってくる。
「ふへぇー! 疲れたぁ……んで、どうどう祐樹!? 私の勇姿を見てくれたかな?」
「あっ、委員長お帰り。お疲れ様!」
「え!? う、うん。ありがとう宮城君……ハハ」
あえて委員長を労う俺。
神崎の視線があるので委員長が苦笑いだ。
しかし、キチンと空気は読めてる。流石我らが委員長。
「もう! 今日も麗ちゃんは絶賛シカトなり!! こういうときはさぁ、『ほら、汗ふけよ……べ、別にお前のために用意しいたタオルじゃないんだからな!』、これでしょ!?」
「なるほど、だから春香にタオルを持たされたのか……あいつ良く分かってるな……」
そうなのだ。
なぜか、必要でしょ! とかって俺は妹にタオルを沢山渡されていた。
これはあれだ、所謂『男子力』なるものだ。
女の子のことを考えて、汗だくな彼女に清潔なタオルをさりげなく渡してあげることがイケてる男子の常識だとかご高説に神崎が語っていた。他にもスポーツドリンクを頬に当てるってのもグッドらしい。
春香は俺が薫と付き合っていることを良く知っていた。だからこそなのだろう。
ともすれば、俺がタオルを渡すのは神崎、お前じゃない。薫だ。だからヤッパリ無視することにした。
さて、次は確か……玉入れか。
玉入れには神崎は出ないみたいで俺達男子の隣に居座っている。なんでも彼女は走る競技以外はほとんど出ないらしい。
それは良いのだが、こいつは俺達がワザワザ三年生の女子にこの最前列の場所を譲って貰っていることを分かっているのだろうか?
三年生女子の睨みや「なにあいつ、私達が真一君に譲ってあげた場所に勝手に入ってきやがって」なんて小言を言われていることが分かっていないのか、男子に囲まれて男臭い良い匂いじゃぁ! なんて言いながらグイグイ来る。
今もなぁんかにやにやとしながらグラウンドに用意されている玉入れの道具を眺めていた。
「ねぇねぇ、祐樹、次なんの競技だっけ!?」
「は? 『玉入れ』だろ? それよりも、なんかそのにやにやしてる顔、気持ち悪いぞ神崎……」
「グ、グフフ……玉、入れ……ど、どこに『玉』を入れるの!?」
「いや、あの袋に入れるんだよ! お前本当にどうした?」
「ふ、袋っ! ……た、玉っ! と、所で、その袋はどこにあ、ああああるんだっけ!?」
「な、なんなんだよお前っ、だから袋はあのさ……」
「さっ!? 『さ』とはなんだ、さぁ!! さぁさぁその続きの言葉を……!!」
あっ。
なんか分かったかもしれない。
これはあれだ。
俺から『竿』とか『棒』とか『玉』とか『袋』とか、とりあえずそんな単語を聞き出したいのだ。
真っ赤な顔で、ギラギラした目を剥きながら詰め寄ってくる神崎の鼻からはタラリと鼻血が垂れていた。
お前は思春期の中学生か?
ハァハァと呼吸が荒い神崎に冷たい視線を向けつつ、この世界ではここで恥じらうのが普通の男子なのだろうが、俺は特に恥ずかしさなんてないし、なんか神崎に辱しめを受けるなんて屈辱だ。
だから俺は言ってやった。
「あの“さお”についた“袋”に玉を入れるんだよ。んで、競技が終わったら“棒”を倒して、“玉”の入った“袋”から入った玉を取り出していって、何発入ったのかで勝敗を決めるんだ」
「ブッハ!!」
「うわっ、汚っ!! おまっ、鼻血拭けちょっと!!」
神崎がボディブローを受けたようによろめいた後、鼻血がピピッと飛んだ。
俺は仕方なく薫に渡すためのタオルを一つ渡してやった。
真一達も大丈夫か? と、神崎を心配してくれたようだが、回りの三年生達は皆真っ赤な顔で鼻を抑えたり、向こうの方を向いていたりした。
オイオイ、あんたらもかよ……
神崎を三年生が用意してくれた俺達の三つの観客席に寝かせると再びグラウンドに目を向ける。
玉入れが始まっていた。
こちらの観客席からもワーワーと歓声が飛んでいる。
グラウンドでは玉入れには出ない薫が大声で応援をしている。
ここにいても、聞き慣れた薫の声がよく届いていた。
熱いだろうに額から汗を滝のように流し、金髪とハチマキを濡らしながら彼女は必死に応援をしていた。
去年は斜に構えていて、体育祭に必死になっている人に対してこんなに熱い気持ちを持ったことはなかったのに。
だけど、今は薫のおかげだろうか、彼女の応援を受けて頑張る人々や他の選手達、それから敵ではあるが桃色のハチマキをつけたボランティア部の応援団長、双子の妹を鬼のように応援する兄や何故か応援団長を応援する不良、さらにはあの鼻血を出してぶっ倒れている神崎でさえも本心で皆スゴイと思えたし、頑張っている、お疲れ様と暖かい気持ちで見て、労えるようになっていた。
そして俺はその時間、玉入れをする赤組の人達よりもキラキラと輝く薫の応援している姿をじいっと眺めていた。
彼女はまるで羽化した蝶のようだった。
薫は何かに本気になったとき、その時こそ綺麗に輝く。
少し前までは俺に対して見せてくれたそれを、今はグラウンドの真ん中で見せていた。
少しだけ、ほんの少しだけ寂しい気がした。
さて、次の借り物競争には薫も出場する予定だ。
その間、応援団は借り物競争に出場しない人に任せることになる。
薫も少しくらい休憩する時間が出来るだろう。
俺はさっそく用意してあったタオルを渡してやろうと用意をした。




