第二十三話 -文字を書く事の意味-
「それにしても、僕もまだまだ勉強不足だったな」
一輝が自分の想いをしみじみと話し始めた。
「何気ない一言から始まった事だけど、聴覚障碍者がオリンピックにもパラリンピックにも出られないなんて初めて知ったし、聞こえない人達の間で壁を作ってる事や、手話が二種類あってそれぞれが対立してるなんて事も知らなかったし」
「そうそう……俺が話に加わってからも九歳の壁への偏見とか障碍への間違った考え方とか、想像もしなかった話ばかり出てきたしな」
一輝達の言葉に心音が答える。
『それわしょーがないですよ このもんだいわ ちょーかくしょーがいしゃの やみのぶぶんみたいなものですから』
「それはそうなんだけど、これでも色々と調べたり大勢の人に聞いたりしてたから、聴覚障碍についてある程度は分かり始めてきたと思ってたんだけどな」
『きにしなくてもだいじょーぶですよ わたしたちにわ まだまだじかんがあるんですから ゆっくりおしえあえばいいんです』
心音は大きなため息をつく一輝を慰めるように話した。
その時、奏が何かを思い出したのか急に椅子から立ち上がった。
『あっ! 大事な事忘れてた!』
『どうしたのよ奏ちゃん、急に?』
『明日提出する宿題……まだ全然出来てない……』
『うそ! 昨日家に帰ってからも全然手をつけてないの?』
『うん……』
突然手話で話し始めた二人に佑馬が問いかける。
「どうしたの長谷川さん? 急に手を離したりして、何かあったの?」
「心音さんも手を離したから、たぶん二人とも手話で話してるんじゃないかな?」
「え? 二人だけで話してるって事は俺達に知られちゃマズイ話をしてるんだよな? もしかして……
(佑馬さんって素敵な人よね~)
(うんうん、格好いいし優しいし)
(どうしよう心音ちゃん……私、佑馬さんの事が好きになっちゃったかも)
(いいじゃない付き合っちゃえば、今すぐ告白しちゃえしちゃえ~)
……とか何とか話してたりしてな、いやぁ~~まいったな」
ニヤニヤと笑いながら話す佑馬の態度に、奏は慌てて手を重ねた。
『ぜんぜんちがいますから!』
「え~! でも少しくらいは考えてくれてるんじゃないの?」
『まぁ わるいひとじゃないっていうのわ わかりますけど』
「ほらほら~、やっぱり俺の事気に入ってくれてるんじゃん」
『ちがいますってば!』
言い争う二人を他所に一輝が心音に質問をする。
「でも本当に何かあったんじゃないの? もし悩み事があるんだったら相談に乗るけど」
『だいじょーぶですよ なやみごとじゃないですから』
奏が宿題をやらずに焦っているだけなのだと心音は説明をした。
「ご、ごめん、それって僕の試合を見に来てくれたから時間がなくなったんだよね?」
『ちがいますよ かずきさんのせいじゃないですから きのー わたしのいえでいっしょにやろうっていってたのに かなでちゃんったら まんがをよんだり げーむであそんだり おやつをたべたり そんなことばっかりするから』
終わっていないのは一輝のせいではなく、家に帰ってからも宿題をやらなかった奏の責任なのだと話した。
『あー! ここねちゃん そんなことまでばらしちゃうんだ! ゆーまさん ここねちゃんがいじめるんですよー』
「よしよし可愛そうに、おじさんが慰めてあげよう、こっちおいで、いっひっひ」
『うわー ゆーまさん いやらしい』
「いやいやいや冗談だから、本気にしないでよ」
奏の突っ込みに佑馬が焦って返す。
「でもさ、だったら話は早いよ、高校生くらいの宿題だったら俺たちでも教えれあげられると思うから、一気に片付けちゃおうよ」
佑馬の提案に奏は少し考えてから答えた。
『すごくありがたいんですけど しゅくだいわ さくぶんですから』
「え? 作文? 確かにそれは教えてどうにかなる物じゃないな……でも高校生になって作文の宿題って珍しいね」
『そーですか? しょとーぶのときから よくだされるので ふつーだとおもってましたけど』
手話の通じない世界で生きていく為には音声言語である日本語を覚えるのは大切な事、ろう学校ではその考えに基づき口話法を最優先に教えてきたのだが、それと同時に言葉としての表現力を広げる為に『考えを文字に置き換え文章を書く事』も重要な事とされてきた。
「文字を書いて覚えるって、俺も一輝もやった事が無いから何とも言えないけど」
『え? ゆーまさんたちは てんじをかいてるじゃないですか』
「いやいや、点字は頭の中で考えた事や聞いた言葉を書き留めておくだけの物であって、別に点字を打ちながら考えてる訳じゃないから、基本的に言葉や文法なんかは耳から聞いて覚えるものだし」
『そーなんですか?』
視覚に障碍がある者だけではなく、耳が聞こえる者は言葉や文法と言ったものは”声”を耳から聞いて覚えるのではないだろうか?
おそらく文字を書く事だけで言葉や文法を理解させようとするのは、ろう者に対してだけの事なのだと思う。
「でも結局は全員が文字を使いこなせるようにはならなかった訳だろ? それってやっぱり教え方に問題があったんじゃないか?」
『もんだいがあるかどーかわ べつにして とにかく わからないことが おーすぎるんですよ』
「それでも長谷川さんや藍原さんは努力して文章が書けるようになったんでしょ? 凄いよな」
『そんな すごいだなんて』
褒められて照れる奏に佑馬は続けて質問をした。
「生まれつき耳が聞こえない者にとって日本語は全く別の言語だって言うのは理解したけど、具体的にどんな間違いをするんだろうな? アメリカ人が片言の日本語になったり、文法を間違えるのと同じような感じなのか?」
奏は文章を書くのが苦手なろう者について説明をした。
手話には「て・に・を・は」や「~なので」と言った言葉が無い為、日本語の文章にした場合、
「Aの荷物をBさんに届けました」を「A、B、届けた」
「風邪を引いたので休みます」を「風邪、休む」
のように短い文章にしがちである、また何かの感想文を書かせた場合でも、
「○月△日、★★がありました、楽しかったです」
のように時系列に沿った文章になってしまう事が多い。
「まぁ、それは日本手話の文法のまま訳してるから仕方が無いんだろうけどな」
『ほかにわ べつのいいかたが にがてなひとが おーいですね』
奏の言う『別の言い方』とは
人なつこい=仲良くなって親しみやすい
心地よい=気持ちが良い
腰掛ける=座る
口を割る=隠していた事を話す
手を借りる=手伝ってもらう
手に付かない=他の事が気になる
のように、直訳されると意味が分からなくなってしまうような言葉を指し、ろう者にとってそれらは簡単に使いこなす事が出来ず、覚えるのも難しい。
だからこそ前後の文脈を考えながら文字として書き止め、ゆっくりと文章を綴っていくのが大切なのだと教育者は考えているようだ。
「別の言い回しって英語を日本語にする時もあるけど、確かに理解していなかったら訳すのは難しいよな……例えばほら”No way!”なんて直訳すると”道が無い!”ってなるけど、使い方としたら”You wan't get a snack today(今日のオヤツは無しよ)”って言われた時なんかに”No way(そんな!)(うそでしょ!)”って使い方をするし」
『ゆーまさん あったまいいー こんど えいごのしゅくだいを おしえてもらおーかなー』
「おう! 手取り足取り優しく教えてあげるからいつでも来なさい!」
得意げに話す佑馬に続き一輝も質問をしてきた。
「助詞を使いこなせない、別の言い回しが覚えられない……そんな人達はいったいどんな文章を書いてるんだろう? 九歳の壁の時にも話したけど、学校を卒業してる人達が歪んだ捉え方をされてるって事は、学校では間違えた文章を指摘したり直したりしなかったって事じゃないのかな?」
「確かにそうだよ、学校でちゃんと理解できるように教えてたら問題なんて起こらなかったんだからな」
心音は分かりやすいように授業で出された例題の話をした。
「女性ドライバーは男性ドライバーに比べてシートベルト着用率が低いと言った統計がある、事故防止の為に女性ドライバーにシートベルトをしてもらうにはどうすれば良いか簡潔に答えなさい」
上記の文章に対して心音は
(シートベルトを着ける工程が面倒だとか、圧迫感が苦手と言った理由ならば男女の比率に大きな差は生じないと思います。
女性に限って着用率が下がる事から、おそらく自動車の特性や構造に対しての知識や理解が足りない事が理由の一つだと考えられます。
なので着用率を上げる為には、シートベルトの構造を正しく理解させ、着用していない時としている時の死亡率や怪我の度合いを明確に示し、安全に楽しく運転をしたいと思えるようにする事が大切だと思います。)
と書いたが、文字を書く事が苦手な者は次のような文章になっている。
①(シートベルト着用しないのはなぜですか。若い女性の人が、最近に免許をとってふえったらしいだった。かっこいい車をかったことが多いになったってじまんにやりたいと思います。特につっぱりの人が多いだから、流行のため、魅力したのがキッカケある。規約がまもらないので、日本のルールがきびしすぎだから無視ができないことはない。)
②(シートベルト着用してないと思う。女性の体が控えめないのは気持よいけれど事故が安全運転ができないことはない。)
③(女性はほとんどシートベルト着用をどうして使われていないのでしょうか。もし事故が起こったら、シートベルト着用を締めていないと命のことを絶望になるかも知れません。女性の方が交通ルールを習慣を持つ経験よりも、必ずシートベルトの着用したい。)
「確かに心音さんの文章に比べたら、一見意味の分からないものになってるけど、これって書かれた文章じゃなく日本手話で答えてもらったらキチンとした答えになってるんでしょ?」
『そーですよ じゅぎょーのあとで みんなではなしあいますからね』
「だとしたら、やっぱり教え方が悪かったって事になるんじゃないかな」
一輝の意見に続き佑馬が話をする。
「前にも言ったけど、日本手話と日本語は全く別の言語なんだから間違うのは当たり前だし、片言の文章になるのも当たり前なんだよ、なのにそんな文章を読んでおかしいって決め付けるだけで授業を終えたり、指摘もしないでそのまま放っておく学校って何なんだ? 言葉の表現力を広げる為とか言いながら、表現力をつけるとどんなに楽しいかも教えてないし、結局は表現力を広げることも出来てないし」
「うん、本当に聞こえない子供達の事を考えてるなら、楽しいと思える教え方に変える必要があると思うな」
「そうやって考えると、やっぱり長谷川さんや藍原さんって凄いよ、そんな授業でもちゃんと文章を形作って話したり書いたり出来るようになったんだから」
改めて褒められる事で照れる二人に一輝は新たな質問をした。
「書くのが苦手な人は日本手話で考えた事をうまく文字に変えられないのは分かったけど、心音さんや奏さんのようにキチンと文章が書ける人はどうしてるのかな?」
『どーしてるって?』
「健常者が英文を書くときの様な考え方で書いているのか、それとも全く別の考え方なのか、それが分かれば多くのろう者にも文章を書くコツみたいなものが説明できるんじゃないかな? そうすれば筆談が出来ないってろう者も減ると思うんだ」
『それわ せつめいがむずかしいですね』
文字の覚え方は人それぞれである、当然の事だが文章を書くときの考え方も人によって違ってくる。
なので、まず奏が自分はこうやって文章を書いているのだと説明を始めた。
補足として……
九歳の壁の時に『ろう者は文章を書くのが苦手』と書きましたけど、具体的に何が苦手なのか、どんな間違いをするのか、それを説明させて頂きました。
日本手話を文章に変換するのが苦手な人は、日本語の文章を読む事も苦手で、当然の事ながら筆談も上手に出来ません。
『聴覚障碍者は全員手話が出来る訳ではない』と同じように『聴覚障害者は全員筆談が出来る訳ではない』と言う事を多くの健常者の方に理解して頂きたいです。




