33話 ウィスタリアのお礼
「何ニヤニヤしてるんだ。」
ランタンの薄い明かりの向こうから、おおかみが毛むくじゃらの顔をにゅっと僕のほうに近づけた。
「いや、別に。」
胸の内を悟られまいと表情を引き締める。
「これ、本当にもらっていいのか。」
「いいとも。」
そして小屋の隅に詰まれた薬草の知識に関する本の束の中から、僕は一枚の地図を取り出した。
「これ。」
「何だ。」
「この地図に薬草が取れる場所が載っている。アイセンナもあるはずだ。」
「え。」
おおかみは戸惑った顔をした。
「いいのか。こんな大事なもの。」
「いいんだ。母さんが大事にしていた地図だけど、僕はもう薬草を採りに行ったりしないし。村には他に薬草を取って病気の人に分けたりしている者がいる。今は僕には必要がないんだ。それよりも妹さんのために役立ててあげて。」
おおかみはちょっと考え込んだように首をかしげて、じっとしていた。
「生まれて初めてだ。こんなに親切にしてもらったのは。」
僕は小屋の前に立っておおかみが後ろを振り返りながらゆっくりと山を下っていくのを見ていた。
〝ちび。いや、クロム。市場で俺のことをかばってくれたのはお前だな。俺は市場から出入り禁止になりかけたらしいが、どうもやせた山羊がかばうようなことを言ってくれたおかげでどうやらごめんこうむったらしいって。他のおおかみ族のやつから聞いた。〟
ウィスタリアは別れ際、尖った耳を真っ赤にして、小さな声で僕にそう言った。
咄嗟に僕はどう返していいのかわからず、小さく頷いたまま黙り込んでしまった。
天敵であるおおかみにお礼を言われるなんて。思いもしない。食べられなかっただけましなのに。
そして、ウィスタリアは僕の手に何かを握らせて、風のようにすばやく身を翻した。
あっと思うまもなく、ウィスタリアは山道を疾走した。小さくなっていく彼の姿から視線を逸らし、自分の手のひらの中身をじっとカンテラの灯りにかざして見た。
(あの実だ。)
赤い実。じっと暗闇の中カンテラの灯りの下で目を凝らすと、実のお尻の方に薄い黄緑色の突起があった。
僕とアーバンが探していた実。栽培が出来るという赤い実。
ウィスタリアは、その実を5粒僕の手に握らせてくれた。
「ありがとう。ウィスタリア。」
彼の精一杯の礼なのだ。瞬時に理解した。
これで、フォレストの家族も冬を越せる。春になったら、みんなでこの実を栽培しよう。豊かで誰も飢えることのない世界。僕とアーバンが見た夢。
叶うんだ。
胸がどきどきして、自然に頬が緩んだ。
〝アーバン。今行くよ。アーバン、実が手に入ったんだよ!〟
僕はカンテラを手に軽やかな足取りで山道を下り始めた。




