苦悩
飽きもせず、僕は石畳の上を走っていた。
住宅地のきちんとした町並みを眺める余裕は、もうない。
ミリアさんの追跡魔法で追跡組の所在はわかっていた。
しかし不思議なのは、静けさ。
さっき襲ってきた男達の姿は、もうどこにもなかった。
いや、正確には、在った。
ミリアさんやハチが倒したであろう、先ほどまで生きていたであろう男達の残骸。
死体を目にするのは、やっぱり慣れないね。
[大丈夫かよ、兄ちゃん]
……うん。
しょうがないよ、死ぬ訳には行かないし。
路地の間から、家のない開けた場所が見えてきた。
噴水がある、公園みたいな場所だ。
「スグル、もう着くぞ。この先の広場にいるはずだ」
ミリアさんの言葉を、僕はどこか上の空で聞いていた。
「ご主人様!」
広場に入った僕達を迎えてくれたのは、ハチだった。
ここにも、いくつかの残骸がある。
「ご主人様を煩わせた愚か者共は、既に排除しました! 娘も無事です!」
排除、ね。
「うん、お疲れ様。エマ、ユマを危ない目に合わせてごめんね」
エマの腕の中で眠っている小さな少女を見て、僕はそっと息を吐く。
「無事ならいーってんだよ。それに、いつかユマはこういう目にあってたと思う。こいつら、すげえな。ほんと助かったぜ」
エマはそう言ってくれるけど、僕の心はざわついたままだった。
でも、少なくとも、この子は守れた。それだけでも良しとしないと。
「案内だけどよ」
エマがユマを撫でながら、言う。
「巣穴を使って抜けるのは、多分手遅れになるぜ。抜け出す方法は別で考えたほうがいいと思う」
「わたしも賛成だ。ここから最短で、機関車で西を目指すルートを取ろう。待ち伏せしていた奴をいくらか倒したが、突然追跡の手が緩んだ。逃がしたのだとすれば、追跡は激しくなる。もう迂回している暇はないぞ」
ここに来るまで一度も襲われなかったのは、ミリアさんが言うように逃げたからだろう。
僕が倒した奴等の口ぶりじゃ、まだ仲間がいそうだったからね。
「ふむ。では、強行突破するしかなかろう」
強行突破、か。
グレンザムさんの言葉に、また僕の心はざわつく。
「だが、首都内から駅を目指すのは無謀だぞ。ご主人様にあまり無理はさせたくない。お疲れでしょう、少し……」
「いいよ、行こう」
様子を伺ってくるハチを止めながら、僕は言う。
悪いけど、のんびりしてはいられないんだ。
「所で、ご主人様。その縄は外さないのでしょうか……? もし良ければ是非私めにも……是非っ!」
是非じゃねえ。いい加減ほどいてよ。
僕はまだ、縛られたままだった。
◆◆◆◆◆◆
神は思う。
この若者、何と弱く、強いのだろう、と。
若者はただの愚か者だと思っていた。
ただ怯え、ただ流され、ただ盲目的に『就職』に縋るだけの弱い生き物、だと。
しかし、違った。
怯えは、いつのまにか克服していた。
最初は、ひたすらに『就職』を叶える為に。
後には、僅かな時間ではあるが行動を共にした仲間の為に。
命の危機がある局面でも、決して諦めずに。
神と話す少年は、まるで幼子のような口調で語る。
利己的で、理不尽で、何も考えていないような発言も多々あった。
しかし、本心ではない発言の何と多い事か。
若者の心の中は、常に葛藤していた。
一時の仲間の為に、本当に心を許していいのか。
己の目的の、そして命の為に危険に振り回していいのか。
あの子供のような態度は、まるで「放っておいてくれ」と駄々をこねる子供のようで神には微笑ましかった。
今もまた、神は若者の後悔を読み取っていた。
若者は、苦しんでいる。
生き残る為とは言え、この仲間達を、そして幼子を巻き込んでしまった事に。
元の世界に戻る為には、戦わなければならない事に。
恐らく、いくつもの命が失われるであろう事に。
神の知る限り、苦悩を持った人間の多くはその歩みを止めてしまう。
しかし、若者は違った。
悩み、悔いながらも前進を決意していた。必死に受け入れようとしていた。
迂闊に目的を話してしまったが為に、傷つくものが、そして命を落とすものがいると言う事を。
前に進むしか、己が生き残る道がない事を。
神はいたずらに、若者へ語りかけた。
[魔王になって、元の世界に帰らねえとな、兄ちゃん。就職、急ぐんだろ?]
若者はほんとだよ、と返事をする。
こんな危ない世界だなんて知らなかった、さっさと帰りたい、と。
また、いたずらに語りかけた。
[まあ何度か戦いはあるぜ、反乱だからな。覚悟しとけよ]
若者は怖いな、めんどくさいな、と今度は答える。
ウルフヘジンと魔人に任せよう、と。
神は、思わず呆れた声を出した。
[素直じゃねえな、兄ちゃん]
若者はうるさいな、何だがよおっさん、と返してくる。
やるって言ったら、やらなきゃ。
発言したら、その発言で何かが動く。それはやるって言った人のせいなんだ、と。
**ブガニア新聞より抜粋**
創立暦三十四年 八月十四日 朝刊
『住宅街で抗争か!?』
首都ブガニアの住宅地で、集団戦闘があった模様。
複数の家屋の壁や屋根に、血痕が見つかっている。
尚、被害者の人数は不明。
死者は発見されていない。
保安部による調査と軍部と協力した治安維持強化が、本日から実施される。




