5 ひとりぼっち上等! ②
夕食の時間。
同級生女子6人と大テーブルを囲み、精一杯明るく振る舞おうと努力した。
わたしの気分が暗いのは、わたしの問題だ。
わたしが解決しないといけない問題で、他の人には関係ない。
関係のない人にまで、自分の問題を押しつけたくない。
絶気のことは悩ましいけど、お喋りしている間は忘れることができた。
問題は、部屋に戻ってからだった。
無言の森木さんは、明らかにわたしを無視してる。
ムカムカと怒りが湧いて来るけど、冷静に話そう。
深呼吸して、机に向かう森木さんに話しかけた。
「まだ怒ってるの?」
「べつに」
森木さんは棚から教科書を取り出し、パラパラとめくった。
明日は校外学習で出かけるはずだから、あさっての予習でもするつもりなんだろう。
机の横に立ち、わたしは森木さんを見下ろした。
「わたしは反省したよ。みんなに対しても、お店での振舞いも。だから森木さんも反省してよ。わたしに謝って」
「何を?」
「わたしのことを、コソコソ上級生に相談してたじゃない。ああいう場合、本人の了解を得るものなんじゃないの?」
「上級生に聞かれたから、答えただけよ。わたしがあなたの事を、人に相談するわけないじゃない」
「本当に? 相談してない? 誰にも?」
「してません」
わたしの勘違い、早とちりだったの? のどがグッと詰まった。
「だとしても、あの時上級生からこんな話を聞いたんだけどって、知らせてくれてもいいんじゃない?」
「絶気について悩んでる人に、わざわざ絶気の話題を持ちかけろって言うの? 悪いけどそこまで馬鹿じゃないのよ、わたし」
「そうでしょうね。いつもツンツン頭のいい人ぶってるもんね」
森木さんは、ちらっとわたしを見上げた。
「満足した? そろそろ向こうに行ってくれない? 勉強を始めたいの。ついでだから言うけど、絶気を治すには欲を捨てて心を無にするといいんですって。おやすみなさい」
「はあ……?」
ム? 何わけのわからない事を言ってんのよ。
森木さんはノートに呪文を書き始め、わたしは目をむいた。
授業で習ったばかりの梵字――――真言の原点で、古代インドの文字だ。
わたしには読めないし書けない文字を、森木さんはスラスラ書いている。
何よ、ちょっと勉強ができるからって!
わたしとは違い、森木さんの本棚には参考書がずらりと並んでいる。
その中に「絶気について」と書かれた背表紙を見つけ、ハッとした。
魔仙術学園の図書館マークがついているところを見ると、借りたんだろう。
森木さんが学校の図書館で、「絶気について」の本を借りた……?
どういうつもりだろうと、一心に梵字を書くルームメイトを再び見下ろした。
もしかして、だけど――――。
森木さんは、わたしのために本を借りた?
もしかして、わたしを心配してくれたの?
ううん、そんなはずない。
冷たくてジコチューな森木さんが、人の心配をするなんて想像できない。
本に何が書かれてたのか、一言も口にしないじゃない。
「ム」がどうとか言ってたけど、説明がないんじゃ何のことだかわからないよ。
ベッドにもぐり込んで、数時間。
仕切りの向こうからもれて来る光に目を細めた。
森木さん、まだ勉強してる――――。
努力家なのは認めるけど、まぶしくて眠れないよ。
壁に向き直り、あきらめて起き上がった。
眠れないのは、まぶしいからじゃない。気になることがあるせいだ。
ベッドから降り、クローゼットを開けて薄手のコートを羽織った。
そっと部屋を抜け出して、小さな明かりのついた廊下を歩いて階段を下り、寄宿舎の外に出た。
樹術が使えなくても水術が使えれば、入学できるはず。
そう思い、こっそり洗面所で水術を使おうとしたけど、水は少しも動いてくれなかった。
昼間はできたのに、どうして――――。
校舎の間にある噴水までやって来て、周囲を見回した。
この時間、噴水の水は止まっている。
みんなは寄宿舎に戻ってるから、わたしの姿が見られることもないだろう。
「オン・マイタレイヤ・ソワカ、水よ! 踊れ!」
鋭く命じ、人差し指を突き出した。
水は鏡のようになめらかで、吹き上がる気配はない。
何が違うんだろう。
あの時は命の危険を感じたけど、今は違うから?
せっぱつまらないと、わたしの「気」は反応しないの?
足音が聞こえて振り返り、桜の木の間から現れた人物に目を見張った。
一条君!
パンパンにふくれたバッグを肩から下げ、旅行にでも行くような服装で立っている。
「……夜逃げ?」
「そんなところ」
一条君はバツが悪そうに顔をそむけ、溜め息をついて歩み寄って来た。
「そっちこそ何してんの。泳ぐの?」
「んなわけないじゃない」
「こんな時間まで練習か」
彼は水とわたしを交互に見て、噴水のふちに腰をおろした。
「実を言うと、俺も小学校4年まで『絶気』だったんだ」
「えっ……そうなの?」
「うん。どうやっても治らなくて、スッパリあきらめてサッカー・クラブに入ったんだ。4年の時に、初ゴールを決めた。嬉しくて、気がついたら大声で叫んでたよ。何年も俺の『気』をふさいでた物が、叫んだ瞬間コルクの栓みたいに吹っ飛んで、『気』がシュワシュワ噴き出した。治る時は、あっけないもんさ」
「わたしもそうだといいな。一条君の『気』をふさいでた物って、お兄さん?」
「兄貴が何で?」
「何でって……御門さまみたいな有名人を兄に持つと色々と苦労があって、それで魔仙術を避けようとしてるのかなって。うちの姉貴が美人で秀才でスポーツ万能だから、そう思うんだけど」
「御門さま、か。俺の『気』は20万ナント、兄貴のは10万ナント。比べられたって痛くも何ともない」
一条君は不愉快そうな顔になり、わたしは呆気にとられた。
「一条君の方が上ってこと?」
想像していたのとは違う。
優秀な弟と比較されて、嫌な思いをしたのは御門さまの方?
「測定値だけならな。兄貴は努力家で、俺は違うから。どっちが上でもないよ」
「それじゃあ何で? どうして魔仙術をやめるの?」
「嫌だから」
「やめて、どうするの?」
「考えてない」
「こんな時間に夜逃げする理由は?」
「おまえは警察か。尋問してんのか」
「そう、警察に捕まるよ。一条君、どう見たって怪しい不審者だもん。そして文司先生が、責任を問われると思う」
「文司は関係ないだろ」
「生徒が逃げ出したら、担任の先生が責任を問われるよ。文司先生、あんなに一生懸命わたし達のことを心配してくれてるのに。一条君のことだって、すっごく心配してたよ。一条君がいきなり消えたら、先生は責任を取らされて、担任をやめさせられるかもしれない」
彼の表情が暗くなり、ちっと舌打ちした。
「あいつのことだから、図太く居すわりそうだけどな」
「どうしてもサッカーがやりたいなら、こんな夜にコソコソ逃げ出すんじゃなくて、昼間に堂々と出て行ったら? 授業放棄するとか言ってたけど、対決すべきは学校や先生じゃなくて、ご両親なんじゃない? 相手が違うと思う」
「わかったような事を言うな」
「ごめん」
言い過ぎたかも。素直に謝ると、一条君はニヤリと笑った。
「おまえのお蔭で、昼間に堂々と退学できそうだよ。不純異性交遊で」
「……不純? ……イセイコウユウ?」
「夜、男子と女子が2人っきりで会うことは校則で禁じられてる。生徒手帳に書いてあるだろ? どこかで誰かが俺たちを見てるだろう。親切なそいつは教師にチクり、俺たちはめでたく退学になるというわけさ」
「たちって何よ、たちって! わたし、退学になりたくないから!」
生徒手帳を読む余裕もなかったし、校則なんて知らないよ。
慌てて周囲を見回し、校舎に明かりがついていない事を確かめたけど、暗闇で誰が見ているとも限らない。
「わたし、部屋に戻る。一条君も戻って。いい? 戻ってよ。退学になりたいなら、誰にも迷惑をかけない方法を考えて。いい?」
それだけを言って走り出したわたしを、一条君の声が追いかけて来る。
「ラーメンのくせに、一人前の口をききやがる」
振り返ると、彼は噴水のふちにすわったまま、こっちを見ていた。
やっぱり嫌な奴――――。
ツンとあごを上げ、わたしは再び駆け出した。




