5 ひとりぼっち上等! ①
翌日は、授業が休みだった。
クラスメイトの女子7人で近くの町まで出かけることになり、バスに揺られること30分。
笑いさざめく同級生を横目に、わたしの気持ちは暗くて重い。
夕べ森木さんの「気」量を尋ねたら、4万ナントだと返って来た。
もしかしてわたし、最低ランク?
はしゃぐ気分になれないよ。
町に着き、みんなでプリクラを撮り、ランチを食べたけど少しも楽しめない。
来るんじゃなかった……。
入学できないかもしれないのに、遊んでる場合じゃないよ。
学校に残って、樹術の練習に励めばよかった。
クラスメイトはわたしをチラチラ見るばかりで、話しかけようとしない。
わたし、「来るな近寄るな」オーラを出してるのかな。
みんなで文房具屋さんに入り、わたしは一人、棚に並んだ可愛らしい便せんをぼんやりと眺めた。
学校のテストが返されると、舞ちゃんとよく点数の見せ合いっこをしたなあ。
どちらかが70点を越えたら、水筒のお茶で祝杯をあげたっけ。
家に帰ると「どうして百点じゃないの! お姉ちゃんはうんたらかんたら」ってママに叱られるんだけど、舞ちゃんが「おめでとう」と言ってくれたから平気だった。
舞ちゃんは今頃、どうしてるだろ。手紙を出そうかな。
「ねえ、田中さん。いい加減にしたら?」
いきなり話しかけられ、飛び上がった。
目の前に、森木さんの怒った顔がある。
「何が?」
「その不機嫌な顔よ。みんなが楽しんでる時に、空気が台無しになると思わない? あなたの気持ちはわかるけど、少しはみんなの事も考えてよ」
「気持ちがわかる……? わかるわけないじゃない」
わたしのせいで、みんなが楽しめない――――?
やっぱり来るんじゃなかった。
「そうかもね。……素敵な便せんね。わたしも買おうかな。一緒に買わない?」
森木さんの取ってつけたような笑顔。作り笑いだって、まるわかりだ。
何でそんなに無理するの?
こうやって空気を作るんだよって、見本を見せてるつもり?
わたしの頭にカッと血がのぼった。
「買いたいならどうぞ」
「そんな言い方ないんじゃない?」
「そっちこそ、いい加減にしてよ!」
わたし、森木さんに八つ当たりしてる。こんな自分、嫌だ。
人に当たり散らす自分は嫌いだ。でも止まらない。
「買いたいなら買えばいいでしょ。わたしは買わない。だってここの便せん、安っぽくてセンス悪いもん。いらない」
ハッと気づいた時には、手遅れだった。
吐き出した言葉を回収することもできず、振り返ると店員さんが申し訳なさそうに立っている。
「お気に召しませんでした? 残念です」
「あの、そういうつもりじゃ……すみません」
あたふたと謝るわたしの腕を森木さんが強くつかみ、店の外に連れ出した。
「痛いじゃない。離してよっ」
「はっきり言っておくけど!」
力まかせに腕を振りほどくわたしを、森木さんはすごい眼でにらんでいる。
「気をつかわない人は、大っ嫌い。無神経な言葉で人を傷つける人は、大っ嫌い。あなたって、わたしの大嫌いなタイプの最低人間よ!」
言いたいことを一気に言い切り、彼女は円野さんたちに向かって去って行く。
わたしは、唇をかんだ。目の奥が、熱くなって来た。
言い返せないんじゃない。言い返さないだけ。
本当は、可愛い便せんだなと思った。
欲しかったけど、そんな事を口にする雰囲気じゃなかったもん。
お店の真ん中で、あんな大きな声で、ひどいことを言ってしまったと自分でもわかってる。
店員さんは、哀しそうな顔してた。
でも――――でも――――最低人間?!
森木さんだって、わたしのことを陰でコソコソ上級生に聞いたりして。
わたしには何も知らせず、謝りもしないで。
いつもお高くとまって、思いやりのかけらも無くて、森木さんこそ最低人間じゃない!
「そろそろ帰りましょうか」
円野さんが言い、みんなでバス停に向かった。
「わたし、歩いて帰る。気にしないで。最近運動不足だし、歩いた方が近道だから」
精一杯無理をして、笑みを浮かべた。
バスはいくつもの停留所にとまり、30分かけて山を一周して魔仙術学園に着くけど、歩けば町から学園まで登り道を一直線だ。
山の上にある学園まで20分ほどかかるらしいけど、男子はみな歩いて往復している。
歩くのは嫌いじゃないし、何より一人になりたい。
「一人で山道を歩くのは危険よ」
円野さんが言ったけど、わたしは手をひらひら振った。
「大丈夫。先に帰って待ってる」
それだけを言って、山に向かった。
「魔仙術学園入り口」と書かれた標識をすり抜け、細い山道に入って振り返ると、ちょうど到着したバスが目に入った。
クラスメイト達はバスに乗り込み、わたしは一人。
どうしてこんな事になったんだろう。
学園に来る前は、あれほど夢と希望に満ちていたのに。
友達と仲良くして勉強も運動も頑張って、立派な魔仙術師になって胸を張って家に帰ろうと思ってたのに。
何もかも駄目になってしまいそう。
目から涙があふれ、あわてて周囲を見回した。
誰もいない。
かすかに鳥の鳴き声が聞こえるばかりで、人影はない。
「もっと優しくしてくれたっていいじゃない! 話しかけてくれたら、わたしだって答えるよ。みんな遠くから見てるだけで、冷たいよ。わたし達、友達じゃないの?」
うめくように言葉を吐き出すと、あとからあとから涙がこぼれ落ちる。
「わたしのせい? わたしって話しかけづらい? そんなの言われたことないよ」
舞ちゃんがいてくれたら――――。舞ちゃんに会いたい。
2人でなぐさめ合って励まし合って、元気になりたい。
でも、ここに幼馴染の親友はいない。
友達のいないわたしは、一人ぼっち。
「魔仙術測定なんか、なければ良かったのに。喜ばせるだけ喜ばせておいて、出来が悪いから入学させないなんて、ひどいよ。絶気だから入学できないって、最初から言ってくれたら良かったのに。ここまで来てあきらめろだなんて、ひど過ぎる」
入学できずに帰ったら、パパもママもがっかりするだろう。
近所の人たちの手前、恥ずかしい思いをするかな。
お姉ちゃんは何て言うだろ。やっぱりね? 駄目だと思ってたよ?
――――くやしい。
泣きながら山道を登り、開けた場所まで来ると小川が見えた。
向こう岸まで10メートルほどありそうで、橋はなく、敷石を踏んで渡るらしい。
木陰で黒くて大きな物が動き、わたしは涙にくもった目をゴシゴシこすった。
「……熊?!」
えっ。まさか。
何でこんな所に熊がいるのと思ったけど、本物だ。
黒っぽく見えたのは全身が汚れているせいで、よく見ると金色の毛並らしい。
動物園にいる熊は可愛くて愛嬌があるのに、野生の熊は目つきが悪くて、じっとりとこちらを見てる。
わたしのこと、餌だと思ってる――――?
「こ、こういう時、どうするんだっけ。伏せる? 木に登る? 動いちゃいけないんだった?」
テレビ番組で見た覚えがあるけど、よく思い出せない。
そうか。男子生徒が山道を歩くのは、魔仙術を使って野生の動物を撃退できるからだ。
そんな力、わたしにはないよ……。
どうしよう。逃げたら追いかけて来るかな。
大きな熊だし、すぐに追いつかれそう。
熊は口を開き、ゆっくりと川を渡って来る。
一瞬だけ上下四本の鋭い牙がちらっと見え、わたしの足がふるえた。
「助けて……だれか、助けて」
周囲を見回したけど、誰もいない。
一人ぼっちで熊に食べられ、死体が見つかるのは明日の朝かも……。
そんなの嫌だ!
「オン・マイタレイヤ・ソワカ、水よ、踊れ!」
人差し指を川に向かって突き出し、必死に念じた。
そばには誰もいない。頼れるのは自分だけ。
わたしを助けられるのは、わたしだけ。
一人ぼっち、上等じゃない! 誰にも頼らず、やってやる!
「熊を通すな。水よ、動け!」
川の水が小さく吹き上がり、わたしは目を見開いた。
動いた――――っ!!
その調子! もっと高く! もっと強く!
水は輪を作り、噴水のように円を描き、熊の体に吹きつけた。
御門さまの時のような、美しく可愛らしい水の演技。
熊にとってはシャワーみたいなもので、気持ち良さそうに浴びている。
全然、効いてないよ……。
「やっぱり逃げるべき?」
少しもひるむことなく近づいて来る熊に、わたしは一歩下がり、硬い物につまづいて転んだ。
熊はチャンスとばかりに一気に走り出し、尻もちをついたわたしに飛びかかる。
「きゃあああああ――っっ!!」
目の前が金色の毛でいっぱいになり、わたしの顔に冷たい物が当たった。
「……え?」
熊が大きな舌で、わたしの顔をぺろぺろ舐めている。
「もしかして、君、人なつこい?」
熊は「クウ……」とくぐもった声で鳴き、川に戻って行く。
水浴びをして汚れを落とした毛並は黄金色で、キラキラ輝いて美しい。
目つきが悪いのは変わらないけど、何かをお願いするようにじっとわたしを見ている。
「あっ。シャワーだ」
立ち上がったわたしは、人差し指を川に突きつけた。
「水よ! 踊れ! もう一度!」
何度も念じたけど、水は吹き上がらない。
熊はがっかりしたように肩を落とし、川から土手に向かって歩き出した。
ごめんね、期待にこたえられなくて。
でもがっかりしたのは、わたしだって同じだよ。
さっきは出来たのに――――何で?
熊は何度も振り返り、何か言いたそうにわたしを見ている。
もしかして、ついて来いと言ってるの?
田中さあーんと声が聞こえ、山道の下から女の子が駆け上がって来た。
円野さんだ! 円野さんが来てくれた!
「あっ、ランスロット! やっぱり!」
円野さんは熊を見て言い、わたしに走り寄った。
「大丈夫?! 森木さんはランスロットのことを知らないって言ってたから、田中さんも知らないんじゃないかと思って。いきなり熊に出くわしたら、びっくりするだろうと思って追いかけて来たの。やっぱり驚いた?」
「うん。驚いた。……ランスロット?」
「学園長先生の式神よ。学園の周囲を守ってくれてるの」
「式神……」
熊にしては、金色の毛が神々しいと思った。……今、思ったんだけど。
「ランスロットが、わたし達を学校まで送ってくれるみたいよ。行きましょうか」
円野さんが言い、わたしと円野さんは熊の後から歩き出した。
「円野さん、ありがとう。来てくれて」
口ごもりながら礼を言うと、円野さんは「どういたしまして」と明るく笑う。
「いいの? 他の人を置いて来ちゃって、大丈夫?」
「平気。それに、近衛がバス停にいたから。あいつと一緒のバスなんか、まっぴらよ」
「近衛君、円野さんにきつく当たるもんね」
「逆らう人間が許せないんでしょ。お父さんが長官だから、自分も偉いんだとか、将来は自分も長官になるんだとか、勘違いしてるのよ。馬鹿な奴」
円野さんは吐き捨てるように言い放ち、口びるを引き結んだ。
「あいつのせいで、朱羅が外の警護に回されてしまって。入学式までに自立しようと思ってたのに。こんな形で離れたくなかった。わたしの意志で離れたかった。ほんと、頭にくる」
「朱羅と離れて、寂しい?」
「それはもう。生まれた時から、ずっと一緒だったから」
円野さんの横顔が曇り、水術をほんの少し使えたことを話すと、パッと晴れた。
「水を操れたの? 絶気が治りかけてるのかもしれないわ」
「でも、また出来なくなっちゃって……」
「『気』は感情と強く結びついてるから、その時の気分やなんかに左右されやすいのよ。きっとまた使えるわよ」
「そう思う?」
「うん、思う。文司先生が、毎日治療してくれてるんだし。文司先生は天術師で、腕のいい治療師よ。掌道術が得意で、医師免許も持ってるのよ」
「すごい! そんなすごい人が担任でラッキー!」
円野さんとお喋りしながら山道を歩いていると、気持ちが明るくなった。
わたしを心配して、来てくれた人がいる。
それだけで、こんなにも明るい気持ちになれる。
円野さんをちらっと見た。
友達になってくれるかな――――無理かな。




