3 春期講習は波乱だらけ ②
寄宿舎生活は、規則と規律で成り立っている。
起床は6時。7時までに1階の食堂で朝食をすませ、8時から授業が始まる。
魔仙術学園で初めて迎える朝、大音響で目が覚めた。
館内放送が優雅な管弦楽を流し、ここはどこだろうと目をぱちぱちさせ、今日から授業があることを思い出して飛び起きた。
顔を洗い朝食を食べるだけで、時間があっという間に過ぎてしまう。
白いシャツの首元に渋い赤(ホーイン・レッドと呼ばれてる)のリボンを結び、ホーイン・レッドと白のチェックのスカートをはき、グレイのブレザーを着る。
姿見の前に立ち、靴下をはいていないことに気づき、あわてて白のソックスをはいた。
「早く! 遅刻しちゃうよ!」
森木さんにせかされ、黒のローファーに足を突っ込み、スクールバッグを抱えて部屋を飛び出した。
寄宿舎から教室まで、ゆっくり歩いて5分。
春休みの間、入学前講習――――魔仙術の基礎講習があるため、学内にいるのは講習を受ける中等部1年だけだと思っていたけれど、ちらほらと上級生の姿がある。
制服を見れば学年がわかるようになっていて、女子生徒は首元のリボン、男子はネクタイの色が学年によって違う。
高等部になると女子は青と白のチェックのスカート、男子は同色のズボンに変わる。
白い壁。藍色の窓枠と柱。
校舎は白と藍の洋館風の建物で、まるで観光地にある異人館のようだ。
あふれんばかりに花が咲き乱れ、木々の枝には萌え出たばかりの若葉が茂っている
植物は、いい「気」が豊富にある場所で育つと本で読んだことがある。
この辺りはきっと、いい気が流れているんだろう。
遠目にも高校生とわかる男子生徒が一人、木にもたれかかり、口に白い物をくわえた。
彼の立てた指先から小さな炎があがり、白い物に火をつける。
タバコ――――?!
指先から火を出すって――――火術?
校舎の間から別の男子生徒が現れ、わたしははっと足を止めた。
見覚えのある顔。
見間違うはずもない。……御門様!
すらりと長身の姿は、テレビや雑誌で見るのと変わらない。
ううん、実物はもっと素敵!
憧れの御門様は一直線に男子生徒に歩み寄り、タバコを取り上げた。
「ちょっと、田中さん! ほんとに遅刻するよっ」
「あ、でも、あの人、一条御門様じゃない?」
怒った顔の森木さんは、ちらっと御門様を見て、すぐに視線をわたしに戻した。
「だから何? いてもおかしくないでしょ! 私、初日から遅刻したくないの。急ぐ気がないなら先に行くけど?」
「まだ大丈夫。あと7分ある」
時計台を見上げ、森木さんに目を向けると、彼女の目が吊り上がっている。
「10分前ルールを知らないの?! 授業が始まる10分前には着席してなきゃいけないの。食事も着替えもスローだし、もう付き合いきれない。先に行くから!」
「あ、ちょっと待って……」
まずい。本気で怒ってる。
御門様をうっとりと横目で見ながら急ぎ足で歩き、森木さんを追いかけた。
授業は大事だ。早めに着席しなければいけないことも知ってる。
でも、今この瞬間は授業より大事だ。
初めて歩く魔仙術学園の敷地。この、ときめき。
緑のじゅうたんを敷きつめたように丈の短い草が一面に生え、石畳の小道が縦横に走っている。
白と藍の洋館。花と樹木の香り。
まるで、テーマパークか遊園地だ。
小道の先に何があるんだろうと、想像するだけでワクワクする。
初めての魔仙術学園を体験できるのは、今だけ。
次に歩く時には、初めてではなくなってしまってる。
今が貴重だ。そのうえ目と鼻の先に、憧れの御門様がいる。
森木さんは、何も感じないのかなあ。
このドキドキを楽しみたいとは思わないの?
大切な時を見逃したことに気づいてないの?
何か話している御門様と男子生徒から視線をはがし、前を見るとルームメイトの姿はどこにもなく、大あわてで駆け出した。
外からは洋館に見えるけど、校舎の中は小学校と変わらない。
靴をはき替えなくていいと聞いていたから、ローファーのまま廊下を進み、「中等部1年」と書かれた扉を開けた。
教室の前半分に机と椅子が並び、後ろ半分はがらんと空いている。
空きスペースの中央には、丸い台と十数個の植木鉢。
クラスメイトは知らない顔ばかりだ。当然だけど。
スクールバッグを抱きしめて歩き、森木さんの隣に座った。
「さっきの男子、指から火を出してたよ」
呼吸を整えながら言うと、森木さんは冷たい横顔を見せ、「ふうん」と頬杖をつく。
「高校生なんだから、火術ぐらい使えるでしょ」
「ネクタイの色からみて、御門様の同級生……か」
「田中さんだって、その気になれば高等部に上がれるよ。火が操れたら、だけど」
「『飛び気』すれば、でしょ? 無理だよ」
わたしは、手を振って笑った。
中等部で樹術と水術、高等部で火術と天術を学ぶのが基本だけど、いきなり火が扱える天才中学生が現れたりする。
そういう人は高等部のクラスに入り、火術を学ぶ。
基本コース通りではない、ずば抜けた才能。飛び抜けた気。それを「飛び気」と呼んでいる。
森木さんは真新しい教科書を広げて予習を始め、わたしは仕方なく教室を見回した。
内部生たちは、互いに顔見知りなんだろう。いくつかのグループに分かれ、楽しそうにお喋りしている。
あの感じ悪い奴、一条君がいる。彼は窓際に座り、空を眺めていた。
一人の女生徒の肩に小鳥がとまっていて、わたしは森木さんにささやいた。
「鳥がいるよ」
「式神じゃない?」
森木さんはちらっと小鳥を見やり、つまらなそうに教科書に目を落とす。
「式神」って、すごいことなのに――――。
森木さんは、見たことがあるのかなあ。
わたしは初めてだ。
朱色の羽を持つ小鳥は女生徒の肩から飛び立ち、教室の後ろにある棚に降りた。
始業のベルが鳴り、文司先生が教室に入って来て、「担任の文司です」と挨拶した。
今年の新入生は、いつもの年より多いらしい。
男子10名、女子7名の総勢17名。うち外部生は2人。
順番に自己紹介し、一条君は一条滝流、式神を持つ女生徒は円野綾目と名乗った。
講習が始まり、わたし達は17個の植木鉢が乗った台を囲んだ。
「魔仙術の基本は、心にあります。優しい心をもって接すれば、植物は優しい心を返してくれる。悪意を向ければ、枯れてしまいます。心をもって術を為す。君たちは、いずれ水や火を扱うでしょう。中には天を操る者もいるかもしれない。対象が何であれ、心の持ち方は同じです。人として誇れる心を持ち、術に挑んでください。ここに竹があります」
先生は、植木鉢を指さした。
竹の子が、土から先っぽだけを出している。
「竹を育ててください。ただし制限があります。植木鉢を割らないこと。教室を傷つけないこと。竹が育ち過ぎて天井を突き破るなどということは、しないように。では、アイウエオ順で一条君から」
「パス」
一条君の返事に、文司先生は名簿から顔を上げた。
「パスを返しますから、最高のシュートを決めてくださいね」
「やらない。次に行ってくれ」
「一条家の次男ともあろう者が、逃げるのか」
そう言ったのは、近衛貴志君だ。
見るからに秀才そうな近衛君は、ふんと鼻で笑い、人差し指の先でメガネを押し上げた。
「兄貴が有名人だと辛いな。気持ちは分かるが、逃げるのは卑怯というものだろう」
「自分が親父と比べられて嫌な思いしたからって、みな同じだと思うなよ」
「比べられて困るのは君だ。僕じゃない。僕は、近衛家の嫡男として十分な能力を持っているからね。時間が惜しい。さっさと御門以上の技を見せてくれ」
空気がピンと張りつめたような気がした。
一条君の鋭い眼が近衛君に向けられ、教室内はしーんと静まり返る。
近衛君がにらみ返し、わたしの頭の中で小さな泡がはじけた。
兄貴……御門以上の技……一条君は、御門様の弟なの?
「ふっ。まあいい。僕が手本を見せてやろう。近衛家嫡男、近衛貴志、先陣をつかまつってかまいませんか?」
「いいですよ」
先生の言葉に、近衛君はちょっときどった歩き方で台まで進み、小声で呪文を唱えた。
「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラマニ・ハンドマ・ジンバラ……」
来た! 魔仙術の真言だ。
雑誌で読んだことがあるけど、長過ぎて覚えられなかったっけ。
近衛君はすらすらと真言を唱え、竹の子はみるみる成長して天井近くまで伸びていく。
青々とした笹が豊かに生え広がり、支えきれなくなった植木鉢がカタカタ揺れた。
「おみごと。立派な青竹です。校内の竹林に植えておきますから、時々声をかけてやってくださいね。植物は、『気』を与えてくれた人間を決して忘れないものです」
拍手する先生に小さく頭を下げ、近衛君は一条君に目をうつす。
「さあ、やれ」
「やらない。何度も同じことを言わせるな」
「卑怯者め」
「近衛、しつこい。一条は後回しでいいだろう。待ちくたびれて腹が減ってきたぞ」
朗々とした声で言葉をはさんだのは、丸々とした巨体の男子だ。
名前は確か、剣持麻呂君。
一条君の顔つきが険しくなり、剣持君をにらみつけた。
「魔仙術の世界は、生きるか死ぬかだ。一条のようなわがままは許されん。分かったら引っ込んでろ、メタボ」
「『様』をつけろ。呼び捨ては許さん」
剣持君は怒ってるみたいだけど、丸い顔と弓型に上がった口とタレ目のせいで、笑ってるように見える。
「この体を作り上げるのに、どれほど苦労したと思っておるのだ。カロリーの高いものを食い続けなきゃならんのだぞ。しかも運動をしてはいかんのだ。気が遠くなるほど食って食って食いまくり、何年もかけてようやくこの体形ができ上がる。常人にできるわざではない。もうひとつ」
重そうな体を軽々と前に運び、剣持君は植木鉢と向き合った。
「腹減りついでに、俺様の技を見せてやろう。ぐおっ、ぐおおおお――っ」
気合をこめ、片手を突き出した。
パッと開かれたてのひらに、海苔とごはん粒がべっとりとくっついている。
形はくずれてるけど……おにぎりが現れた?
「『具現』か!」
「すごい」
「飛び気? 高等部に上がれるんじゃない?」
みんなが口々に言い、剣持君はニタリと笑っておにぎりを頬張った。
何もない場所に物を出現させることを、「具現」と言う。
「天術」に含まれる高度な技だ。
「素晴らしい!と言いたいところですが、樹術の時間ですからねえ。天術ではなく、樹術を見せてもらえませんか?」
「うむ?」
文司先生に言われ、剣持君は口をモグモグさせながら、ごはん粒の残る手を竹の子に向けた。
「うおっ、うおおおおお――――っっ!!」
こぶしを握り締め、雄叫びをあげる顔がみるみる紅潮し、丸い手も顔も真っ赤になって行く。
みんなは、不安そうに周囲を見回した。
剣持君の力は、どのぐらいあるんだろう。かなりある?
まさか屋根が落ちたり、ガラス窓が割れたり、しないよね?
「ぐおおおおおお――――っっ!!」
両こぶしを前に突き出し、ひときわ大声をあげる剣持君。
パッと開いた手のひらの真ん中に、丸い物体が一つ乗っていた。
……たこやき?
「竹はどうした」
クラスメイトの爆笑の中で、剣持君は満足そうにたこやきを口に放り込む。
「育てたところで食えんからな」
「はあ……食べるためでなく……というか授業中は飲食禁止です。食べ終わったら、樹術を見せてくださいね。次、行ってみましょうか。円野綾目さん」
困った顔の先生に会釈して、小柄な円野さんは静かに前に進み、ポケットから小さな白い紙を取り出した。
声を出さずに呪文を唱えながら、和紙らしい紙を手のひらに乗せて口もとに近づける。
ふうっと息を吹きかけると、和紙はトンボに変わり、植木鉢の上をひらひら飛んだ。
羽からきらめく銀色の粉が降りそそぎ、竹がぐんぐん背丈を伸ばす。
すごい! トンボは、きっと式神だ。円野さんは、式神を自由自在に操ることができるんだ。
興奮するわたしの心を、近衛君の声が一気に冷ました。
「式神を使うのは、校則違反だ。学校に持ち込むのも禁止されているはずだ」
近衛君は、教室の後ろで羽を休める小鳥をちらっと見上げた。
円野さんが、凜とした声で答える。
「学園長先生の許可はもらってるわ」
「式神持ち込み可なら、俺も連れて来たいよ。子犬だけどな」
「うちの式神は、黒くて大きな化け猫よ」
生徒たちが口々に言い、近衛君はメガネのふちを持ち上げた。
「学校の規則には、理由がある。式神同士の争いになりかねないこと。何でも式神にやらせていては、使い手の力が育たないこと。だから中等部では持ち込み不可となっている。円野家には、規則を破っていいという家訓でもあるのか?」
「円野家と学園との取り決めなの。近衛は口出ししないで」
「ああ、ええっと」
ますます困った顔で、文司先生が言葉をはさんだ。
「事情がありまして、円野さんの式神は、春季講習の間だけ教室にいていいことになっています。その後は、学園長先生預かりになります。素晴らしい技でしたよ、円野さん。いいものを見せてもらいました。皆がどの程度の力を持っているのか、この機会に見せてくださいね。ただ、次の授業からは式神禁止にしましょう。近衛君の言う通り、式神に頼るというのも良くないですからね」
円野さんと近衛君の間に、ピリピリした空気が流れてる。
魔仙四十八家の子たちは、みんな仲良しだと思ってたけど、そうでもないみたい。
それから次々と内部生が植木鉢の前に立ち、技を見せてくれた。
小さい頃から指導を受けているらしく、慣れたようすだ。
竹を躍らせたり笹を広げたり閉じたり、楽しんでいる。
森木さんの番になり、彼女は歌うように小声で真言を唱えた。
竹は盆栽ほどの大きさに育ち、笹の葉がサワサワと揺れる。
優しい音色もよく聞くとちゃんと音階があって、「ドレミの歌」を奏でていた。
「素晴らしい! 竹が演奏していますね」
先生や皆が拍手し、森木さんは誇らしげに顔を上げた。
「竹が嫌がるならやめようと思ったのですが。竹はわたしの心を読み、メロディをまねてくれました」
「魔仙術の修行を始めたばかりでしょうに、よく竹と心を通わせることが出来ましたね。植物は、音楽を好むものですよ。森木さんは、将来が楽しみですねえ」
わたしも拍手したけど、心は複雑だ。
森木さんが褒められれば褒められるほど、わたしの立場は苦しくなる。
同じ外部生なのに……って。
最後に回って来た、わたしの番。
絶気のわたしは、「気」を使うことができない。どうしよう……。
「心配はいりませんよ。肩の力を抜いて」
文司先生が背後に回り、わたしの肩に手を置いた。
先生の手のひらとわたしの背中が熱くなり、ぽかぽかと温かいものが背からお腹に向かって流れて来る。
先生から圧倒的な「気」が流れて来て、わたしの中の「気」を押し出そうとしてる。
「これは掌道術と言って、医療魔仙術の一つです。いずれ皆さんも学ぶと思いますが、よく見ていてください。手のひらに『気』を集中させ、対象に流し込む。田中さんは、気の流れに意識を集中させて。あなた自身の『気』を前に流すんですよ」
苦しい。ちゃんと呼吸してるのに、息が詰まる。
お腹のあたりが、風船のようにふくらんでいくような気がする。
きっとわたしの「気」はお腹で止まり、少しも外に出ていないんだ。
「最初ですから、ここまでにしておきましょうね」
先生が手を離し、わたしは大きく息を吐き出した。
助かった。やっと息ができる。
でも――――。
クラスメイトの視線が痛い。憐れむような、さげすむような目。
竹の子はぴくりとも動かず、みんなはわたしのこと、駄目な奴だと思っているだろう。
「では最後に、一条君。……あれ? 一条君?」
一条君の姿はどこにもなく、文司先生は大きなため息をついた。
授業が終わって休み時間になり、廊下で話す女生徒の声が耳に届いた。
「今年の外部生、絶気なんだー」
「3年前だっけ? 絶気が治らなくて退学になった外部生がいたの」
「『気』を使えないんじゃ、この学校に通う意味ないもんね」
同級生の言葉が、ぐさりと胸に突き刺さった。
やっぱり今までに絶気の外部生がいて、治らなくて退学になったんだ……。
わたし、どうなるんだろう。
まさか、退学?
どんどん気持ちが落ち込んで、次の授業が始まってもクラスメイトの目を見るのが怖くて、顔を上げられなかった。




