思い出・アップデート ⑩
この黒衣はあくまで時間制限付きのリミッターを掛けた状態だ、時間が過ぎてしまえば前と同じ出力と、解除後の激痛が待っている。
独りの時ならいざとなれば時間制限を振り切る事も出来たが、今はダメだ、ラピリス達がいる。
特に局長なんて余波だけで消し炭になりかねない、だから勝負はこの30秒で付けなければ。
「局長さん、すぐ戻る! ちょっと待っててくれ!」
「う、うむ! すぐにね、すぐだよ! 頼むよ君!」
一旦局長から離れ、逃げ足の速い魔物の跡を追う。
ラピリスほどではないがこの姿なら速力も上がっているんだ、逃がしはしない。
『――――――……』
不気味なマスクが振り返り、後ろから追いかける俺と目が合った。
するとその服の裾からもうもうと白い煙が漏れ出し、行く手を埋めつくす。
目くらまし……それとも毒か? どちらにせよ考える暇はない、口元をマフラーで覆いながら熱波で振り払おうとした瞬間――――火の粉に触れた煙が一気に爆ぜた。
「なっ……くそっ、可燃ガスか!!」
《マスター、残り20秒です!》
「分かっ――――あ、つ゛ッ!!?」
幸いこの黒衣の防護性能は高い、爆風を強引に突破して煙の中へ飛び込む。
だが今度は目を開けていられないほどの激痛が眼球と口内を蹂躙する。
しまった。 爆発と催涙、このガスは二重の罠だったのか、だが……。
《マスター、まっすぐ! やや左にズレてます、修正して……距離3m!》
「了解、任せろ!」
激痛を堪え、目を閉じたままハクの指示する通りに暗闇を駆け抜ける。
目が使えない程度なら俺には相棒がいる、足取りを止める必要はない。 残り10秒。
《マスター、今です! シルヴァちゃんに当てないよう頭狙ってドロップキック!》
「難しいけど分かったよ! この距離ならガスは張れないな!」
≪――――BLACK BURNING STAKE!!≫
手探りでスマホの画面に触れ、予定通りの技を押下する。
細かい出力の調整はハクに預け、俺は感覚で地を蹴り上げて蹴りを繰り出した。
残り5秒、これなら間に合う――――
《――――駄目ですマスター! 後ろ!!》
「なにっ!?」
空中では体勢を立て直す暇もない、後ろから振り抜かれる鋭い衝撃をもろに受け、壁に叩きつけられる。
衝撃で罅の入った壁に埋まる身体が落下し、ぼやける視界を無理矢理にこじ開けると、辛うじてカミソリを持ったその姿を確認できた。
「げほっ……オー、キス……!?」
「手強いなぁ、もぉ……手間掛けさせないでよ」
黒衣の効果時間が切れ、いつものモノクロな衣装へと戻ってしまう。
最悪だ、魔物は仕留めきれずに2vs1。
……待て、オーキスがここにいるなら――――ラピリスはどうした?
――――――――…………
――――……
――…
激しい連撃に押されるまま、足元に水飛沫を上げながら、なんとか相手の攻撃を捌き続ける。
まずいな、足場が悪い。 こうも狭い空間で水に脚を取られると持ち前の速度が活かせない。
いや、例え足場が万全だとしてもだ。 目の前の彼女がただ単純に強い。
「ああもう、防がないでよ!!」
彼女が水面を掠める様にカミソリを振るうと、まるで紙を剥がすかのように、足元の水が一枚剥がれた。
薄く剥がれた汚水の紙切れはこちらの視界を覆いつくし、敵の動きを隠す。
不利と見て一歩引こうとした瞬間、目隠しを突き破って飛び出したカミソリの先端が腹部にめり込んだ。
「コフッ……!?」
幸い、刃自体は腹へ当たっていないが、それでも軽い体は細長い通路を目一杯に吹き飛ばされる。
汚水を跳ね上げながら墜落する身体、肺の中に収めた空気が持って行かれ、意識が一瞬揺れる。
「―――――それ、返すね」
文字通りに息つく暇もなく、距離を詰めたオーキスが目の前に立つ。
ただ私を見下ろすだけの彼女に対し、反射的に刀を……振ろうとした、私の口から鮮血が零れた。
「…………え?」
汚水とは違う温もりが腹部に滴る。
視線を下げると、深い刺し傷のようなものが腹に刻まれていた。
馬鹿な、先の一撃で刃は当たっていないはずだ。 それにこの傷は、まるで……
「スピネが、負った……?」
「そうだよ、だから剥がして返した。 じゃあね」
別れの言葉と共にオーキスが天井をカミソリで削ると、石壁は簡単に切り裂かれ、その切れ目から大量の土砂が降り注ぐ。
呆然と痛みに膝をついていた私は、避ける暇もなくあっという間に土砂の雨に飲み込まれた。
――――――――…………
――――……
――…
「……ああ、あの刀の子。 今は土の下だよ」
「な、に……!?」
馬鹿な、と言いたかったが目の前に立つオーキスの姿がその思いを否定する。
ラピリスが万全なら、目の前の彼女を逃がすはずもない。 それが追ってくる様子も見せないということは……。
「お前……ラピリスに何をした!?」
「土に埋めたんだってば、うるさいなぁ……ああいや、思ったより元気だったね」
無造作に持ち上げられた大きなカミソリへ吸い込まれるように、瞬きの間に飛び込んできたラピリスが激突する。
けたたましい金属音を鳴らしてぶつかり合う二人、しかし渾身の一撃を受け止めているはずのオーキスはびくともしない。
「しぶといなぁ、お腹裂けちゃうよ?」
「腹が裂けたとて、死にはしないッ! ブルーム!!」
「っ……ああ!!」
≪BURNING STAKE!!≫
血反吐を吐くラピリスに合わせ、脚に炎を纏わせる。
そして地を蹴り、放たれた一撃はラピリスを抑える彼女の背へと――――
「――――もう、鬱陶しいなぁ!!」
直撃する寸前、強引に振るわれた大カミソリがラピリスごと俺へと叩きつけられる。
咄嗟にラピリスの体を受け止めるが、それでも止め切れないほどの膂力が、壁を削りながら二人の体を弾き飛ばした。
「が、ハッ……! ラピリス……無事か!? おい!!」
抱きかかえたラピリスの顔は既に白く染まり、いくら揺すっても意識が戻ってこない。
気絶しているだけのようだが腹部の傷から流れる血が止まらない、このままでは最悪の事態に至ることは明白だ。
「ペスマス、帰るよ。 その子も連れてさ」
「め、めいゆぅ……!」
そんな俺たちから視線を外し、魔物へ呼びかけたオーキスが踵を返してカミソリを振るう。
魔物の手にはまだ動けないままのシルヴァが抱えられている、駄目だ、このまま逃がすわけにはいかない。
「待て! お前……お前たちはいったい、どうしてこんな真似をするんだ!!」
「……辿り着いたら教えてあげる、私達の東京にね。 この子を取り戻すためにも頑張って、待ってるから」
「めいゆ……だ、駄目だ! 来るなぁ!!」
「――――シルヴァ!!」
オーキスがカミソリを振るうと、地面はまるでバターのように切り裂かれ、大きな切れ目が生まれる。
どこまでも続くような闇が覗く切れ目、その中へ彼女達の姿が消えると、何も無かったかのように切れ目は消えさり、何も無い地面だけが残された。
「クソッ……東京へ来い、だと……!?」
《マスター、ラピリスちゃんの呼吸がどんどん弱くなっています! 早く手当てを!!》
「分かってるよ、クソ……クソォ!!」
首のマフラーをはぎ取り、出血の酷い腹部に巻き付けて暗い下水道を走る。
魔法局が局長とラピリスの異変に気付いていないはずがない、きっとドクターたちが派遣されているはずだ。
今なら合流すればきっと助かる、祈るような思いでそう信じながら俺は暗い下水道をひた走った。




