【九十二 観音菩薩の懇願】
そこへ錦襴の袈裟を持って観音菩薩が戻ってきた。
その姿はもう阿修羅身ではなく、元の菩薩の姿である。
玄奘は申し訳なさから観音菩薩にどんな顔をして会ったらいいのかわからなかった。
「玄奘」
だが玉龍が龍の姿から人型に変化してしまったので、観音菩薩に名を呼ばれた玄奘は玉龍の小さな背からおずおずと進み出る。
「観音菩薩様……」
しかし、どうしても観音菩薩の顔を見ることができなくて、玄奘は俯いたままその場にひざまづいた。
「申し訳ありませんでした……私は……!」
観音菩薩は微笑み、ゆっくりと首を振って玄奘を立たせ、黒風怪から取り戻した錦襴の袈裟を羽織らせた。
だが玄奘はそうまでしても観音菩薩の顔を見ることはできなかった。
「玄奘、あなたの優しさはとても素敵ですが……実はこの錦襴の袈裟は、この師兄が作ったものなのです」
「えっ?観音菩薩さまが?!」
玄奘が驚いて顔を上げると、観音菩薩は優しい表情のままこくりとうなずいた。
「この錦襴の袈裟は、私が特別に力を織り込んだもので、九重の錫杖と一緒に皇帝にあなたへ渡すよう伝えたものなのです」
玄奘は驚いたが、思い返してみれば不思議な力の宿った二つの道具だ。
観音菩薩の力が込められていたと知れば納得する。
「この師兄は悟空たちのようにあなたのそばにいてずっと守ることはできない。だからせめて、守りの道具はそばに置いておきたいと思ったのです」
「観音菩薩様……」
「布施の心は確かに素晴らしいことです。ですが、これはあなたの命を守るための大切なもの。これをこの私だと思い、今後は肌身離さずそばに置いておいて欲しいのです」
そう言って観音菩薩は懇願するように玄奘を見つめた。
玄奘は錦襴の袈裟に込められた力と思いに気づかず、自己満足を優先させた自身の浅はかさを恥ずかしく思いほおを赤くした。
「施すなとは言いません。ですが、物は選べと言っているのです。わかりますか?」
「──はい……」
「あなたの命は一つしかないのです。うかつに危機に晒すようなことを、決してしてはなりませんよ」
今回は錦襴の袈裟の他にも暖をとるための布はあった。
何も持っていなかった釈迦如来の前世のウサギの状況とは全く違う。
安易に故事の真似事をしても得るものは何もなく、しかも失うもののほうが大きい。
玄奘は錦襴の袈裟と九重の錫杖に触れ、後悔の念に目を閉じる。
その様子に観音菩薩は微笑み、玄奘の顔を上げさせた。
「あなたは私の弟弟子──金蟬子だった頃から人に転生して、今生は十回目の人生となっています。今生こそはきっと天竺に着いてほしいと、この師兄も、釈迦如来もそう願っています」
「十回目の人生……?!」
前世の記憶は馮雪のものしかなかった玄奘は、観音菩薩の言葉に動揺した。
(私はそんなにも転生を繰り返して……?)
「この混乱に喘ぐ人界を救うため、釈迦如来の二番弟子だったあなたに授けるための経典は天竺にあります。そしてあなたの到着を天竺で釈迦如来が待っています。どうか今生こそは無事で到着してくださいね」
馮雪の時は若くして人生を終えたせいか天竺を目指す話も何も出てこなかった。
しかしそれ以降の人生の記憶はないので、確かめる術はない。




