【七十二 観音菩薩、いじける玉龍を諭す】
再び水の底に沈んだ玉龍は、浮上する気も起きずに泣いていた。
「なんだよなんだよ……どいつもこいつも……」
ジンジンする痛みが続く頭も、如意宝珠を使えばすぐに治るけれど、そんな元気もない。
今までは泣いたり怒れば大抵のことを許されてきた。
だがここにきてそれが全く通用しない。
水面の外からあの猿の妖怪と花の精の会話が聞こえてくる。
(うるさい……うるさいうるさい!!)
玉龍は耳を塞いで目を閉じた。
何も聞きたくなかった。特に、自分を傷めたものたちの会話はとくに。
このまま眠ってしまおうかと玉龍が思ったその時だった。
まばゆいばかりの光が瞼に触れたのは。
「玉龍」
優しい声に玉龍がようやく目を開くと、そこにいたのは観音菩薩だった。
「カンノンさん」
玉龍を蛇盤山に封印した張本人だ。
玉龍は複雑な気持ちで観音菩薩を見た。
自分を封印した観音菩薩に逆らうのは無理な事だと流石の玉龍にもわかる。
「悟空に打たれたそうですね。大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないよ……ていうか、ボクはいつまで待てば良かったのさ。オボウさんはいつくるの?」
「あなたのすぐそばまできていたのですよ。あの白馬はあなたが待っていたそのお坊さんの馬です」
観音菩薩の言葉に玉龍は驚き目を見開いた。
「エッ?!あの猿が言っていたのは本当だったってこと?」
再び頷く観音菩薩に、玉龍の顔がみるみるくもって行く。
「あんな乱暴者が言うことなんて嘘だと思ってた」
観音菩薩は何も言わずに微笑みを浮かべたまま、浄玻璃鏡を取り出した。
「ごらんなさい。こちらがあなたが食べた白馬の主であり、あなたが供をする僧侶、玄奘です」
浄玻璃鏡に映し出されたのは目の周りを泣き腫らし赤くした玄奘の姿。
気丈に笑顔を作り受け答えしつつ、時折表情を曇らせ、涙を堪えるような仕草をしている。
「……っ!」
その表情に玉龍の胸はずきりと痛んだ。
「そしてあなたが先ほど水面を打った衝撃で起きた洪水に襲われた、近隣の村の様子です」
鏡に映る場面が変わり、次いで映し出されたのは水で破壊された村の景色。
破壊された家を前に呆然とする村人たちの絶望した姿に、玉龍はようやく自分のしたことの重大さを理解した。
「ボ、ボクは、そんなつもりじゃ……」
玉龍は狼狽え、震える手から如意宝珠を落としてしまった。
「おや……?」
如意宝珠は水の中を緩やかに移動し、観音菩薩の前に流されていく。
目の前に来たそれを、観音菩薩は拾い上げた。
「そ、それボクの如意宝珠……」
玉龍が言い終わるか終わらないかのうちに、観音菩薩の懐から突然現れた蛇に似た黒い不思議な小さな生き物が、玉龍の如意宝珠をぱくりと食べてしまった。
「あ────っ!」
「おやおや」
それは瞬きするくらいのほんの一瞬のことで、玉龍は叫ぶことしかできなかった。
「ボクの如意宝珠が!!なんで?食べ物じゃないよ?!カンノンさん、そいつなんなの?!ていうか返してよ、ボクの如意宝珠!!」
不思議な生き物はその大声に怯えたのか、観音菩薩の懐に潜り玉龍を伺うように見つめてくる。
「この……ッ!返せよ、ボクの如意宝珠!!」
その様子が癇に障り、玉龍は怒りに悶え身をくねらせた。




